第十五話 ③ 夜の会話
思えば、こうして王城に足を踏み入れるのは二度目になるらしい。
……いや、厳密に言うのなら足を“踏み入れた”事は一度もないのか。
俺はここに転移をしてきてるわけだし。
そういう意味では、王城に入るという経験そのものは俺にとって初めてという事になる。
一方の奏瀬はここ五日間で城内にすっかり慣れてしまったらしく、足取りに迷いは無かった。
なんか良いな、王城に慣れてるって。
俺なんか門兵に通してもらうときに自分の心臓がうるさすぎて、周りに聞こえてるんじゃないかと不安になったくらいなのに。
で、その奏瀬はもう隣にいない。
報告のために行政を執り行う区域に行ってしまったのだ。
俺は入れて貰えなかった。
まぁ別に、最初から入りたかった訳じゃないからいいけど。
何か変な事を訊かれた時点でゲームオーバーだし。
そんなわけで、一人になった俺は奏瀬の帰りを待つついでに城の内部を徘徊していた。
転移初日にはほとんど観光する暇もなかったので丁度いい。
行政区は二階にある。
三階は王族の私的なスペースらしく、俺みたいなただの市民は足を踏み入れる事すらできないらしい。
一階に降りるのもなんなので、広い二階を探索することにした。
電気の普及していない城内は、明かりと言えば蠟燭の放つ光に頼るしかないらしい。
通路は暗く、それがまた神秘的で美しい。
長い廊下に足音が響く。
右手に続く数々の扉は何処へ繋がっているのだろうか。
気になるけれども、開ける勇気は無い。
あまり目立つことをするのは得策じゃないし。
しばらく歩いた先にあった、中庭を見下ろせる橋のような通路の傍に腰を下ろした。
連絡通路というのだろうか。風通しが良さそうだ。
ここで夜風を浴びながら、奏瀬が帰って来るまでの時間をつぶそう。
――なんて思っていた矢先だった。
人影が連絡通路の向こう側、別館の方から近づいてくるのが見えたのは。
あまりじろじろ見るのも憚られるので横目でちらりと見てから中庭に目を戻す。
背丈からして男だろうか。
余裕をもってゆったりと歩くその姿勢に、年の甲と同時にどこか風格のようなものを感じる。
王城にいるのだから当たり前だが、庶民とはどこか違うような気がした。
なんであれ、話しかけられると面倒だ。
どうかさっさと通り過ぎてくれ……と願う俺に対して、男はこちらに顔を向ける。
……と、彼が一瞬目を見開いたように見えた。気のせいだろうか。
「少し」
男が短く言う。
低く、柔和な声だった。
最初の印象通り、そこそこ年を食っているらしい。
この状況で問いかけを無視するのは流石に不自然だろう。
仕方なく応じる。
「何でしょうか」
男は、この世界ではあまり見ない丸い眼鏡をしていた。
白髪の印象的な初老の男性。
おじいちゃん、と言うには少し若すぎるが、お世辞にも若いとは言えない。
「ここで何をされているのですか?」
まぁその質問だよな。
スキルが余計な事を言う前に、用意していた答えを口にする。
「ここへは……騎士の付き添いで来ております」
無難な答え。
ちょっと不自然だが、だからと言ってこれ以上踏み込まれることもないだろう。
男性は口を閉ざしたまま俺の瞳を見透かすようにじっと見つめた後、中庭に視線を移した。
「今、王都内は大変なことになっているそうですね。ご存じですか?」
話は続くらしい。
面倒だな。
というか、この事態をご存じない訳ないだろ。
「ええ、もちろん知っています。
皆恐怖に怯えていて、見るのもつらいくらいですよ」
また当たり障りのない答えをする。
もういいだろ。さっさと行ってくれ。
自分で訊いたくせに、男は俺の返事に興味を示す様子は無かった。
「今晩は良く冷えます。人々は凍えていることでしょう」
相変わらず視線は中庭に落としたまま、そう呟く。
何がしたいんだこの人は。
暇つぶしのつもりなのか?
俺は頷くも、言葉を返すようなことはしなかった。
「報告では、今回の襲撃で初めに報告があったのが南区だったらしいですね。
つまり、敵は南区の軍に先陣を切らせたようなのです」
男はゆっくりと話し始めた。
何を急に、と戸惑う俺をよそに彼は続けた。
「しかしこれは少し不思議な話です。
戦いにおいて先手を取るは百計にも勝ると言います。
となれば相手の油断をついて最初に攻め入る、
その行為は慎重に効果を狙って行なければならないはずです。
全ての軍を一斉に攻め入れさせるも良し、
また城に最も近い西区を最初に攻めるも良し。
色々な選択肢があった中で、どうして南区だったのでしょうか」
なんだこのじいさん。
めっちゃ語るじゃん。
そんな事俺に言われても困るんだけど。
半ばあきれ顔の俺を無視して、男は欄干に乗せた指をとんとんと動かし、思案を交えながら言葉を紡いでいく。
「聞けば、その襲撃の直前に奇妙な事があったそうです。
南区の城壁近くにある荒れ果てた砂漠地帯で、
それはそれは大きな炎が上がったという目撃情報がありまして……。
恐らく、その炎を戦いの狼煙と勘違いした前衛の魔族兵士たちが攻め入るに至った……というのが現時点の推察だそうです」
ようやくなぜ男がそんな話を始めたのかが分かり、俺は声を出すことが出来なかった。
喉の奥が乾ききり、唾を飲み込もうとすると音がしそうだ。
「ですが私たちにとっては僥倖ですね。
そのおかげで相手の足並みが崩れ、
現在の少ない戦力でも戦えているというのですから。
その謎の炎には感謝しないといけないくらいですよ。
……どうですか? なかなか面白い話でしょう」
言って男は振り返った。
その目は優しく曲がり、声は柔和で人を安心させるような語り口だった。
にもかかわらず、俺の背中には一筋の汗が伝った。
どうして今、その話を俺にしたのか。
その真意が俺の予想している通りだとするのなら……
「……興味深いお話です」
と一言断ってから俺は間髪入れずに続けた。
「しかし夜風が冷たいですね、もう体が冷えてきてしまいました。……失礼ですが僕はこれで」
強引に話を切り、俺は立ちあがる。このまま話をし続けるのはリスクが大きすぎる。
「あぁ、貴重なお時間を奪ってしまいましたね。申し訳ありません」
相当高い位についているだろうに、嫌に腰が低い。
そこに嫌な感覚を覚えながらも、何とかして足早にその場を去る。
……と。
「一つだけ」
男は追いすがるように声をかけてくる。
声には答えずに、振り返って顔だけを向けた。
目が合った。
「私は今、どこにいますか?」
突然の質問に、俺は一瞬何を訊かれているのか理解することが出来なかった。
俺の脳がその質問の意味を考えるよりも早く、スキルは発動してしまう。
『王都王城内二階、東連絡通路です。』と、抑揚のない声が口から洩れる。
一瞬の沈黙の後、男は口を開いた。
「ありがとう。これで迷いなく歩き出すことができそうです」
男は目を合わせたまま、かすかに微笑む。持って回ったような言い回し……
その直後、視界が歪んだ。
男は既に背中を向け、歩き出していた。
歩く男の背中が捻じれ、曲がり、そして……
見た。




