第八話 ① 地道な冒険の準備
「すみません先輩……そろそろ約束の時間なので席外します。
本当は先輩一人に負担を掛けさせるつもりは無かったんですけど……」
申し訳なさそうにソフィは手を合わせ、立ち上がる。
別にソフィが謝る事じゃないよと、そう爽やかに言えれば良かったのだけど。
「……行ってらっしゃい」
分かっていてもついつい恨めしげな声が出てしまった。
ほんとうにごめんなさい、ともう一度言ってソフィは店を出て行く。
ソフィがギルドの方へと駆けていくのが窓から見えた。
時間ギリギリになるまで気を使って居てくれたらしい。
一人、ため息が出た。
そうしている間にも、手は動き続ける。
手元には大きな大きな地図。
数時間前はまだ、この地図が白紙だったというのだから驚きだ。
……そう。
俺は数時間、一度も休まずに地図を書き続けている。
それはもう、ノンストップで。
スキルによって地図を書くという経験はこれが初めてではないのだから今更ではあるのだが、このスキルは何事も正直に全て答えきるまで止まらない。
昨日の二つの遺跡の地図だって合わせて一時間ほど書き続けたので、今日もそれをやらされるのだろうな……と予想はついていた。
予想はついていたが、ここまでとは思っていなかった。
テーブルの上には継ぎ足し継ぎ足しして巨大な大きさになった地図が広がる。
あまりに広すぎるのだ。今日攻略をするはずの、ナーガ迷宮は。
朝から書き続けていたのにもかかわらず、今はもう昼前。
シァトナで見つけた鏡の引き取り手との交渉の予定の時間が来てしまい、ソフィはギルドへ行ってしまった。
もしかしたら今日中にお金が入ってくるかもしれないと、聞いたときはわくわくしていたんだけどな。
頭を使わないで良い作業なのでソフィと話して気を紛らわせている間はまだ良かったのだけど、完全に一人となると本当につらい。
ただただ無心に、右手が描いてゆく地図を眺めるだけ。
受験勉強に訓練されたせいか、長時間ペンを持っていても疲れる事は無いのが唯一の救いかもしれない。
ナーガ迷宮は、大まかに言うと中心部から放射状に広がるような形になっている。
大きな特徴として、入り口が一つしかないのに対して出口が無数にあることが挙げられる。
入ってすぐに脱出することが出来るようなルートも存在するが、それ相応の報酬しか手に入らない。
反対に、より複雑で困難なルートを通ればより価値のある宝が手に入る。
命を落とす危険を背負って夢を追うか、堅実に歩み、身の丈に合った報酬を得るか。
そういう駆け引きが行われている。
そのリスクリターンは青天井と言われ、どのルートが最も危険で最も報酬が良いかという結論は出ていない。
つまり、そのあまりの広大さゆえに、数多の冒険者が挑んだにもかかわらず未だに全てが明らかになっていないのである。
それくらいに広く謎に包まれた迷宮。
……いや、広大なのは最初から聞いてたんだけどね?
ここまで凄いとは思わなかったというか。
もちろん最初から危惧して、スケールは小さめに書き始めたんです。
それでも最初に用意してたそこそこ大きな紙がすぐに埋まった時に背筋が凍ったよね。ほんとに。
今日何度目になるかも分からないため息をまた一つ吐くと。
「お。まだやってたんだ、佐伯君おつかれー」
入口の方から声がした。
声からしてすぐに千鶴さんだと分かった。
「まだやってますよ……。あとソフィはギルドに行ってますから」
「あ、分かってる。途中ですれ違ったから。なんかお金がもらえるんでしょ?」
なんだその適当すぎる解釈。
あくまで取引であって、ただお金が貰えるわけでは無いのだけど。
「でも早いのね。取引先が見つかったのって昨日とかじゃなかった?」
「あぁ……そうですね、話が変わったそうです。取引先が金を積むから早めに現物をくれと急かして来たそうで。おかげで多少貰えるお金は増えたそうですよ」
そうなの、と千鶴さんは眉を上げた。
「良かったじゃない。それが無かったらもう、本当にカツカツになるところだったし。
ほんとにわたし、反省してるのよ」
千鶴さんは魔素水の契約の件で、かなりの大金を無駄遣いしてしまっている。
ソフィはもう千鶴さんを責める様子は無かったが、それでも本人は気にしているらしい。
千鶴さんは、でもね? と弾みをつけて続けた。
「今日から心入れ替えて、本気で働くことにしたの。
自分でヘマした分のお金は取り返して、
沢山作った料理から出る生ごみをイズにお腹いっぱい食べてもらうわ」
高らかにそう宣言する。
「……そうですか。頑張ってください」
一応儀礼的に応援をしておいた。
対して千鶴さんは、ありがとうと屈託のない笑顔で返してきた。
何故だか罪悪感を感じる。
ちなみにイズの食糧問題は意外と深刻で、たった二日でこの家のゴミ箱の中身は食べつくされてしまっていた。
このままではお腹を空かせて動けなくなってしまいそうなので、とりあえず解決策を考えつつ、冒険に連れていくことは控えることにした。
飢餓状態の犬を労働させるとか、虐待にもほどがあるので。
結局コゥイガ遺跡で土を掘って以来全然役に立ってないじゃないかと、思わずソフィの前でぼやいてしまったのだが……ソフィ曰く、イズはペットであって家畜ではないとのことだった。
ごもっともで。
生命というのは、ただそこに存在していること自体が尊いのであって、意味や価値を求めてはいけないのだろう。
そこまで考えてソフィがそう発言したかどうかはともかく。
千鶴さんは一度カウンターの方へ行き、両手に持っていた荷物を開封し始めた。
確かあれは例の魔素水のおまけの自動水差し魔道具だったはず。
水の補充が自動で行われるので手間がかからないという利点を千鶴さんが力説していたのを覚えている。
契約解除はもうあきらめて、五年間はあれと付き合っていく道を選んだという事らしい。
まぁ、お水はおいしいし良いんじゃないですかね。
しばらくがさがさと包装を解く音が聞こえて来ていたが、やがて止んだ。
見上げるとそこには、場違いなまでに見覚えのあるウォーターサーバーが鎮座していた。
明らかに持ってきた荷物より大きい……というのはもう突っ込まないとして。
しかしまぁデザインが現代的すぎる。
こんな雰囲気のある酒場に置いてあると目を引いて仕方ない。
プラスチックのボディやレバーに関しては、この世界じゃ逆に高級なんじゃないのか?
「どう? 意外と良くない? このデザイン、私が選んだんだけど」
千鶴さんが選んだのか。なら納得。
いいんじゃないですかね、と適当なお世辞でも言ってここは……
『ちょっと雰囲気にあってない気がします』
おい。嘘も方便という言葉を知らんのかこのスキルは。
「そうかな? なんか特別な感じがしていいと思うんだけど」
失礼な発言に気分を害した様子は無い。懐が広くて助かった。
「後は……お水を入れてやればいいのよね」
呟きながら千鶴さんは機械を弄っている。
そういえば電気はいらないのだろうか。流石に魔法があるから大丈夫か。
外に電信柱は見当たらなかったし、そういうものなのだろう。
千鶴さんは一度屈みこみ、円柱形の水のタンクをカウンターの上に持ち上げた。
めっちゃ見た事ある。
確かあれを逆さまにウォーターサーバーにぶっ刺して、そこからお水が出てくるんだよな。
ここまでくると動力源が違うだけで魔法要素が全くないじゃねーか。
なんて思いながらぼーっと作業を見ていたのだけど。
「これで……良いのかな」
千鶴さんは呟き、カチリという音と共にスイッチを入れた。
タンクを設置する前に?と思ったのも束の間。
おもむろに地面に置かれたタンクから、何もない空を水が昇ってゆく。重力に逆らうようにして。
その水は機械の上にゆっくりと流れてゆき、小さな水の塊を作る。
無重力状態の水のようにふよふよと浮かぶ水はだんだんと成長して行き、しばらくするとタンクの中の水は空になった。
ウォーターサーバーのうえには、ビーチボールほどの大きさの水の球が浮かんでいる。
千鶴さんはそれを見て満足したように頷くと、辺りに散らばったゴミを片付け始める。
……なんだその付け足したような魔法要素。
衛生的にも効率的にも普通にタンクをぶっ刺した方が良いだろ。どう考えても。
ふよふよと大きな水玉が浮いている姿は確かに綺麗ではあるけど、こうなってくるとなおさらプラスチックのボディとの釣り合いが気になる。
ゴミを捨てた後、千鶴さんはまたウォーターサーバーの前に戻る。
動作確認も兼ねてレバーを上げ下げしていた千鶴さんは、ようやく満足いったのかコップを片手にこちらに歩いてきた。
「ほら、お水どうぞ……ってわ、すごい。これ全部佐伯君が書いたの?」
テーブルの上に広げられた地図を見て、感心したような声を上げた。




