第一話 ② 軽く拉致られる
なんだこの子は。
透き通るような肌に、儚げな印象を与える整った顔立ち。美麗な線を描くシルエット。
シンプルな白のインナーに、少しだぼっとした印象の大きな黒のアウターを羽織っている。
手なんかは殆ど袖から出ていない。
繊細に作られた人形のようだ、という印象を受けた。
見た目だけで言えば間違いなく綺麗――なのだが、
気だるげな表情と半開きの口にどこかあどけなさを感じる。
こちらが彼女に気付いたのが分かると、今度は腕をつかんできた。
「ちょっと、しゃがんでください」
静かで落ち着いた声の雰囲気とは裏腹に、思いのほか力が強い。
ぐいっと地面に引かれて目線を合わせるような形で屈むと、
彼女はおもむろに顔を近づけてきた。
蒼く澄んだ瞳で、彼女はそのまま目を覗き込んでくる。
整ったまつ毛の一本一本が数えられるほどの距離感。思わず息を止めてしまう。
……正直に言うと、びっくりするからやめて欲しい。
この世界ではこんなことが日常茶飯事なのか?
「そっか……そうですよね」
何が“そう”なのかは分からないが、彼女はそう呟いて顔を離す。
あまり口を大きく開けずに喋るのはこの子の癖なのだろうか。
彼女は腕を掴んだまま、辺りをきょろきょろと見まわした。
何が何やらで俺は彼女に尋ねようと……
する前に彼女は手を上げ、すぐそばに来ていた馬車を止めた。
遠くで見た時に疑問に思った通り、そこには御者がいない。
にもかかわらず扉は開かれる。
「ほら、乗ってください。はやく」
彼女は言うと、有無を言わせずに俺を引っ張りあげた。
馬車の段差に躓きながらも、言われるがままに馬車に乗り込む。
近くで見るとこの馬車は御者がいないだけでなく、馬と車の部分が繋がっていない。
どうやって走ってんだこれ。
「スィレートまで。ちょっとだけ、急いでくれるとありがたいです」
相変わらず呟くように言うものだから、声は届いているのかと一瞬訝しむ。
しかしすぐに客室の扉は閉まり、ごとごとと舗装されていない道路を走り出した。
往来を歩く人々は馬車を避けるように歩いてゆく。
四人乗りで向かい合うように椅子が取り付けられている客室。
彼女は進行方向に向かった奥の席に乗り込むも、
俺は何となく気後れして彼女の対角線上に乗っていた。
形の良い眉を少し寄せ、彼女は静かに立ち上がって隣の席に移ってきた。
進む方とは逆方向に二人が並んで座っていることになる。
なんだこれ。意味が分からない。
「こっちの方が好きなんですか?」
覗き込むようにして彼女は尋ねてきた。
な訳ないだろ。乗り物酔いもそこまで強い方じゃないし。
隣も正面もなんだか緊張するからだ、とは口には出せずに曖昧に頷く。
馬車に乗る経験は初めての経験だけど……おそらく地球上のどの馬車に乗っても、
こうは快適じゃないんじゃないか。
力の伝わり方が良いのか、急な加速も減速もなく、カーブですらほとんど加速度を感じない。
ドアを締め切ると中には外との音が遮断され、静かな空間になる。
レンガ造りの建物に、時代錯誤なガラス窓。
通りを歩く人々は大げさな杖を持っていたり、腰に剣を携えていたり。
見慣れない硬貨で薬草やらなんやらを売り買いしている様子を見ていると、
まるで……
「まるでファンタジーみたいって、言ってましたよね」
口を開いたのは彼女だった。
静かに、呟くように言う彼女は小さく首を傾けている。
「ここは、剣と魔法の世界。
冒険者は人間に害をもたらすモンスターを討伐するのが仕事。
ダンジョンの奥深くの宝物や、倒した敵の装備、魔物の素材を生かして自身を強化し、
さらなる強敵と戦うのだ!」
……なんでこの子は急にゲームの設定説明みたいなことを言い出したんだ。
声音こそ明るいのに、表情は変えずにただぼんやりと前を見据えている。
しかし彼女はそのまま、大げさなナレーション風に続ける。
「地の果てに魔王が住んでおり、それが我々を脅かしている。
信頼し合える仲間と切磋琢磨して勇者となって立ち上がり、
この世界を闇の勢力から守ろう!
……みたいな、感じでしょうか」
突き上げた拳をふにゃりと下ろす。
我慢できなかったのか、はにかむように相好を崩す。
不覚にもかわいいと思ってしまった。初対面の男を馬車に連れ込むような不審者に。
「……でもこの文言、どこかで聞いてると思うんですけど」
そうだよな。先ほどから気になってはいたが、どうにも口を挟めずにいた。
「まんま同じって訳じゃないけど……
王城の広間で聞かされたのと内容が似てる気がするな。
ステータスやら騎士団やらなんやらが」
Fランクの烙印をぐりぐりと押しつけられたことを思い出して少し不愉快になるが、
言われてみるとあほくさいというか、いかにもな感じ。
剣と魔法の世界。
自己の鍛錬。
信頼し合える仲間。
そして、魔王の討伐。
「王城を出てすぐの、この大通りをまっすぐ行ったところ……
城下町の中心にはギルドがあるんです。
そこではクエストを受けたり、仲間を募ったり。
先輩の想像する通りの冒険が、そのまま出来ます」
本当にそのまま、と彼女は呟くように付け足した。
想像する通りの、というところに妙に力を入れて言ったのが気になる。
……それと、さりげなく二人称がおかしかった気もする。
この子今、俺の事先輩って言わなかった?
「大通りを歩いてる途中、色んな魔道具を見てきませんでした?
この馬車とか、乗り心地良いですよね」
とんとんと、靴で馬車の床を軽く踏み鳴らす。
まぁ、それは確かに感じた。
「この馬車一つとっても、駆動魔法、使役魔法、記憶魔法、停止魔法、消音魔法、認識魔法、衝撃吸収魔法、発光魔法、追従魔法……。
まぁ、数えきれないほどの魔法が使われてます」
「……すごいな」
素直にそう口にしていた。小並感。
よくある、科学の代わりに魔法が発達した世界という奴だろうか。
しかし彼女は首を振って続ける。
「ただ本来この国は、こんな公共交通機関に多大なお金を掛けられるほど豊かではありません。
これは明らかに過剰な投資です。
他にやることは沢山あるはずなのに」
……良く分からないが、公共の福祉に力を入れているのならいい行政じゃないか。
もし他の何かを犠牲にしているというのであればそれは見過ごせないが。
というか。
「大通りの賑わいを見ている限りだと、豊かじゃないって言われてもピンとこないけどな」
これだけ様々な格好の冒険者や商人が行ったり来たりしている往来は、見ていて飽きない。
「王城から出てすぐの大通りはある程度自由な商売が認められてるんです。
ちょっとした治安の低下と引き換えに盛り上がるようにするが目的で……。
そのおかげで転移者は皆、この世界観に酔えるわけです」
先輩もそうでしたよね? とこちらを覗き込んでくる。
確かに色とりどりの魔法に見とれていたのは認めるが……それが何だって言うんだ。
結局この子は何がしたくてこんな話をしているのか、まるで見えてこない。
というか。
「さっきからあたりまえみたいに俺が転移者ってことになってるけど、
やっぱり髪色で分かるものか?」
見た感じでは黒髪の人間は一割もいないみたいだったけど、
その全員が転移者ってことなのかな。
なんてぼんやりと考えていたのだが。
「いえ。私は先輩を個人的に知ってるだけです」
「……は?」
予想外の答えに、思わず声が漏れた。
俺を、個人的に知っている?