魔王城にて ② 第三階層 北区 第参拾四会議室
一つ溜息をつき、シアは柊に向き直った。
「“付与”の件だっけ。それは二年前のアイツ……サエキの事でいいのよね?」
その口調には憎々し気な感情がこもっているように聞こえる。
「仰る通り、二年前に死んだ彼のことです。
その彼がつい今朝の転移で戻ってきた、と。報告ではそういう事でした」
シアは何も言わない。頬杖をついたまま柊の言っていることを吟味しているようだった。
「二度目の転移自体は良くあることです。
そもそも召喚というものはシステム上、
一度呼び出された人間がその親和性の高さゆえにもう一度呼び出される、
なんてことは日常茶飯事ですから」
「そうよね。そのことは前から危惧はされていたもの」
柊は頷く。
「しかし、想定を事態を超える事態が三つ起きたようなのです。
一つ目は、彼自身の精神が健常だったこと。
二つ目は、どうやら一度目の転移の記憶が失われていること。
三つ目は、スキルがあの“付与”ではなく別のスキルになっていたことです」
「それは……どういうこと?スキルが変わっているなんて聞いたこと無いんだけど」
「今の所はまだ解釈のしようがありません。何しろ前例がありませんから」
シアは一度居住まいを正すと、考える素振りを見せながら言う。
「その話が本当だと仮定するなら、一つ悩みの種は消えたことになるのかしら。
世界のバグみたいなスキルの持ち主が暴れる前に、自然消滅したってことで」
「そうだといいのですけどね。
狙った相手を確実に殺せる能力なんて、手の施しようがありませんから」
ただ……と、シアは口を開く。
「アレをこちらで手に入れて、対勇者に活用するという案があったけど……
それは完全に頓挫したことになるわね」
「それに関してはまだ分かりませんが……今の所は第二案を通す準備を行っているそうです」
そうね、それが良いわと彼女は頷いた。
「あと……記憶がないって言うのは、どうにも信用ならないような気がするんだけど」
シアは無意識に髪を弄っているようだった。
「そうですね。
記憶の有無というのはある程度演技などでごまかしが効きますから……
監視の目を潜り抜けるための策略という可能性も十分に考えられます」
一度言葉を切り、シアが口を開く様子が無いのを確認してから柊は続けた。
「しかし、少なくとも現在彼は記憶を失っているというのは確定だという報告がありました。
先生自ら確かめたそうで……その目的くらいなら予想がつくだろうという事です」
「そう、とりあえず信じていいのね。助かるわ。で、その目的ってのは?」
「彼の精神が健常であった事から考えるに、
廃人化するのを防ぐためであろうという事でした。
先ほど申し上げたように、二度目の転移という現象は珍しい事ではありません。
しかし、その転移者が健常な精神を持っているという事例はごく稀です」
「死の恐怖……よね」
呟くようにシアは言う。
それを受けて柊は頷いた。
「その通りです。
転移者は通常、この世界で命を落とすと元居た場所へと帰れるわけですが、
殆どの人間は死の恐怖を味わい発狂します。
それゆえ、二度目の転移者はほとんどの場合、
まともな生活を送れずに廃人となる事が知られています」
しかし、と柊は続ける。
「今回のケースでは、恐らく彼の目的が一時撤退であった事から……
その死の恐怖を思い出さないようにするために、
それにたどり着くかもしれない周辺の記憶全てを除去することで廃人化を防いだものと見られます」
「そっか。
転移の記憶そのものを消してれば、死の恐怖とかも後遺症を及ぼさないものね。
あまり真似してほしくないけれど、考えたのね」
彼女はため息をつき、部屋の入口の方を見た。
そこには仲睦まじくお菓子を食べている少女が二人、座っている。
「ただ、わざわざスキルも記憶もない状態に戻ったところで何ができるのか、という話はあります。
彼自身は確実に弱くなっているはずですから」
「仮にスキルが戻ったり、記憶が戻ったりすると厄介な事にはなるんだろうけど……」
「彼らには時間がありません。あと十三日では」
いつの間にか柊の手には懐中時計が握られている。
しばらくその文字盤を見つめていたが、男は顔を上げると、パチンと音を立てるようにして蓋を閉じた。
「よほどのことがない限りは、我々の脅威になりえない、
というのが先生の考えのようです。
私もそれにおおむね賛成しております」
それもそうね、とシアは頷く。
「あと二週間……こんな短期間で大量にレベルを上げて強力な装備も整えて、
強力なパーティをそろえて魔王城までたどり着いて、守護獣も倒してとなると……
私たちのもとにたどり着くことはまずないよね」
やることが多すぎる、流石にあり得ない……と、口に出して確かめるように言う。
「しかし万が一の事……
彼の記憶や、スキル“付与”を再び手に入れてしまうような事態に備えて、
監視を付ける事と致しました。担当はモルテ様が行うそうです」
柊の言葉に、シアは目を見開いた。
「モルテ君が、なるほどね。
でも保険を掛けるためだけにしてはなかなか……贅沢な人選じゃない?
脅威になりえない……なんて言っといて、本心では案外危険視してるってことなのかな」
シアの言葉に柊は肩をすくめる。これ以上の情報は受け取っていないらしい。
話が一区切りついたところで、シアは先ほどから気になっていたことを男に尋ねた。
「そういえば、アイツの新しいスキルってなんなの?」
「ああ、そうですね。これまた良く分からないスキルでして……」
柊が話を続けようとすると。
「ねー! これってもうないのー?」
見ると、消音魔法の障壁の内側に、外から幼い少女……ティネが顔を突っ込んできていた。
手には空になった、たけのこの里の箱が握られている。
「あったように思います。お待ちください」
言って柊は立ち上がる。
シアは、いそいそと部屋の隅にある戸棚を開ける彼を見て、ため息をついた。
両手にお菓子を持ってティネはソファの方へと戻って行った。
「柊くん?」
声を掛けると、柊はシアの方を見て小さく首を傾けた。
「わたしにも……何かちょうだい」
何でもない頼み事のはずが、シアの声はかぼそかった。
柊は頷き、かがめて菓子を見繕う。
手元に置かれたお菓子はシアのお気に入りの甘いミルクチョコレートだった。
やるじゃん。と呟いて包み紙をほどく。
口いっぱいにチョコレートの甘みがひろがる。
ビターこそが大人の味だなんて世間では言われているが、この美味しさが分からなくなるのなら一生子供のままでいい。
そう思えるほどの美味しさだった。
幸福感に浸っていたのも束の間……緩み切った顔を柊に見られているのに気付いたシアは、ごまかすように一つ咳ばらいをする。
「……ちょっと、あんまりじろじろ見ないでよ」
シアの抗議を受けて、おやと柊は姿勢を正す。
「これは失礼を致しました。仕事の疲れをとるのに丁度良いと思いまして……つい」
「……わたしのこと、動物かなんかだと勘違いしてない?」
怪訝な表情で言うシアに、柊は肯定とも否定ともとれない曖昧な頷きを返した。




