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魔王城にて ① 第三階層 北区 第参拾四会議室

 薄暗い廊下に足音が響く。

 

 時折廊下の上の標識を見上げ目的地を確認しながら歩いてゆく彼女の足取りは、早歩きとまではいかないが、多少は急いでいるように見えた。

 冷たい空気の満たされた廊下はとても居心地が良いとは言えず、それも彼女の足を早める要因の一つなのだろう。


 広すぎて不便だと常々漏らす同僚の気持ちが良く分かる、と彼女は思った。

 

 辺りには人の気配はなく、無駄な装飾品も予算の都合で売り払ったせいで、ただひたすらに同じ場所を歩き続けているような錯覚に陥ってくる。

 ただ部屋の前にある表札だけを頼りに、彼女は歩き続けた。

 

 二十八……二十九……三十……三十一……三十二……



魔王城 第三階層 北区 第参拾四会議室。



「あ、シアおねぇちゃん! おかえりー!」

 舌足らずな声が上がった。

 

 ソファに寝転んだ幼い少女が、女性の方を見上げている。

 アイスを片手に、仰向けで逆さまになった状態の少女は手を振っていた。

 よほどうれしいのか、ソファをぱたぱたと蹴っている。


 今しがた少女に“シアおねぇちゃん“と呼ばれた彼女は、静かに後ろの扉を閉めてから愛おしそうに笑いかけ、ただいまと返す。

 

 赤みがかった茶色の髪を後ろに束ねており、澄んだ藍色の瞳が良く映える顔立ちだった。

 毅然とした足取りによく通る声を持つ彼女の胸元には、かわいらしいエプロンが付いている。髪色に合わせたものなのか、赤を基調として花柄のプリントがされているようだ。

 

 その小柄な体躯とエプロンを見て、彼女を年端も行かない少女だと勘違いする人もいる事だろう。


「それ、汚さないようにだけ気をつけてね。カーペット、洗濯大変なんだから」

 シアは少女をたしなめるように言う。

 

 ソファに体をうずめる少女は頷き、甘えるように手を伸ばしてきた。

 彼女は鼻を小さく鳴らしてから少女の手を掴んで引き上げ、きちんとソファの上に座らせる。

 

 ついでと言わんばかりにシアは少女の頬をむにむにと触っているようだったが、少女は慣れているのか気にする様子は無い。


 “シアおねぇちゃん”と呼ばれた彼女は、改めてあたりを見渡す。

 四方は無機質な灰色の壁に囲まれており、部屋の入り口側には木製の小さなテーブルと座り心地のよさそうなソファ。

 その下にはふかふかのカーペットが敷かれている。



「お疲れ様です。こちらへどうぞ、シア様」

 見ると、ソファの奥にある大きめのテーブルには既に男が席についていた。

 この世界では見慣れないスーツに身を包んだ男は、若いながらも余裕のある物腰で彼女をねぎらう。


 シアは少女の頬から手を放す。

 名残惜しそうにぽんぽんと少女の肩を叩いてから、彼女は部屋の奥へと向かう。


「お疲れ様。……今日は部外者さんがいないみたいね。安心したわ」

 言いながらシアは男の正面の席の椅子を引く。


「ああいえ、ハイド様なら……」


「おじゃましてまーす!」

 奥の戸棚から声が上がる。

 底なしに明るく、快活な声だった。

 

 露骨にシアの表情が曇る。

 ため息を一つ。


「あのねぇ……これは真面目な会議の場で、部外者がほいほい入っていいところじゃないの。わかる?」


「はいはい、分かってるって。邪魔はしないからさ、おかまいなくー」

 悪びれる様子も無く、両手に一杯のお菓子を抱えて彼女は立ち上がった。

 

 立ち上がっても戸棚の高さほどしかない小型な体躯を、機能的で身軽な服装に包んでいる。

 室内だというのにハンチング帽をかぶったままというのも特徴的だ。


「いつも思うんだけど、会議召集の日時ってこの子には連絡してないのよね?」

 男は頷いた。

「なんで分かるのかって? バレたら対策されちゃうから教えないよーだ」


 ハイドと呼ばれた少女は笑いながらそう言うと、滑るように少女のいる方へと歩いてゆき、ソファの前のテーブルに抱えたお菓子をどさりと置いた。


「そうだ、これ捨てといてくれるかな」

 ハイドはテーブルの上のアイスの包装とお菓子の袋を丸めてテーブルの上に放り投げてきた。


「こら、それくらい自分で……」

 シアが注意しようとするも既に男はゴミをくずかごに捨てていた。


「あんまり甘やかすから、この子も調子に乗るのよ」

 シアの発言が耳に入っているのかいないのか、少女は機嫌が良さそうに鼻歌を歌っている。

 まったく……とシアは髪の毛を弄りながら頬をふくらませた。


 嫌な顔の一つも見せない男にシアは憤慨する。

(しゅう)くんもさ……あごで使われてムカつかないわけ?」


「いえ、滅相もございません。喜んでお手伝いさせていただいておりますよ」


 ある意味で予想通りの返答を聞き、シアはため息とともに机に突っ伏した。


「ティネもそれがいいー!」

 大きな声が部屋に響く。

 ハイドの手にあるお菓子を見て声を上げたらしい。


「そっかぁ。じゃあ分けっこしようね」

 優しい声色でハイドが言うのが聞こえる。

 ハイドと少女、ティネは仲良くお菓子を食べている様子だった。


「今日は先生、いないのね」

 体を起こそうとはせず、シアは机に突っ伏したまま呟いた。


「忙しくて戻ってこられないそうです。なので、今回は報告だけ」

 (しゅう)は胸元から手帳を取り出す。


「今回は……そうですね」

 報告を読み上げようとする柊に、シアは片手でそれを制す。

 

 柊は一度目をぱちくりさせてから、思い至ったようにソファの方を見た。

 部外者が居るからちょっと待て、という事らしい。

 シアは少女達の座るソファの方に手をかざし、一度目を瞑る。

 

 すると、先ほどまで聞こえていた二人の会話が聞こえなくなった。


 消音魔法。

 任意の空間に空気の振動を通さない膜を作ることで音を消す、古典的な補助魔法の一つである。

 また、音を通さないだけでなく副次的な効果として、多少の攻撃であればその勢いの減衰が見込める優秀な魔法として知られている。


「ありがとうございます」

 柔らかな笑顔でそう言う柊に、シアは目を逸らすようにして片肘をついた。


「今回は……“付与”の件での報告です」

 柊の言葉を聞いてシアは目を見開いた。

「“付与”って……あの? てっきり、今回はランス侵攻かタリア侵攻の事だとばかり思っていたんだけど」

「ランス侵攻は今の所何も問題はありません。

もしかしたらやりすぎてしまうかもしれない、という懸念点は依然としてありますが」


 柊の言葉に、シアは呆れたように天井を見上げる。

「エーヴィスさんだったよね?ランス侵攻の取締役は。

 あのじじい様、未だに我々の目的が世界の支配だと勘違いしてるんだから手に負えないのよね。あの人もいい加減歳なんだからさ……」

「しかし、『お歳ですので引退してください』だなんて,

あのお方に面と向かって言うのははばかられます」

「それはそうだけどさ……」

 一度は考えを改めたかに見えたが、シアは呟く。

「定年退職のルールなんかがあればいいんだけど」


「確かに良い考えだと存じますが、少し問題がありそうです。

 うちには多様な種族の方がいらっしゃるわけですからね。

 例えば人間に合わせて60で退職だと定めると

 人族以外の大抵の職員が追い出されることになります」


 シアはうーんとうなる。


「システムの欠陥ですね。

 いつかは何とかしなくてはなりませんので、このような議論は大事なものと存じますが」


 解決に至らずとも、問題提起は必要。

 そうフォローする柊に、シアは目を逸らしてソファの方を見る。


 二人は相変わらず仲良くお菓子を食べているようだった。

 何かをしながらお菓子を食べるというのは分かるが、ただお菓子を食べるだけで盛り上がれるのはやはり子供の感性ゆえなのだろう。


 しかしティネを子供と呼ぶのは……

 

「そうね、ティネちゃんに関しては定年の定めようがないもの……」

 呟くシアの言葉に、柊はまた頷く。

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