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終話 ソフィア

 王城から酒場へ向かう道中で奏瀬とも会ったが、特筆すべき事は無かった。

 変わらず無駄にいいやつで、心配をされ、心配することは無いとはねつけ。

 そして感謝を述べた。それだけ。


 確かこの戦争中最も魔物を倒したとかで、何か大きな豪邸が貰えるらしい?

 という謎の話も聞いたけど……正直殆ど頭に入ってこなかった。

 奏瀬には申し訳ないけど、今は何より先にやるべきことがある。



 ◇ ◇ ◇



 酒場に足を踏み入れると、懐かしい香りがした。

 木製のテーブルと、厨房から漂う小麦の香りの混ざった、独特の安心する匂いだ。


「あら、おかえりなさい」

 千鶴さんはいつも通り、カウンターの内側で食器棚を整理していた。

 部屋の隅には、異様な存在感を放つ魔素水のサーバーが鎮座している。


「どうも……久しぶりです」

「ほんと、久しぶりねー。ソフィアなら上に居るわよ」


 記憶を取り戻す前とまったく変わらない。これがこの人の素なのだろう。

 この人は、魔王を倒し世界を救った初代勇者なのに。

 記憶があろうとなかろうと、千鶴さんは変わらないらしい。


 思えばあの日、この酒場に勇者が来た時に、

 律さんの事を我が子のように(・・・・)可愛がっていたのには理由があったんだな。

 と、今になって思い出す。


「その……ソフィ、どんな感じですか? ずっと部屋に籠ってます?」

「そうねぇ……声を掛けても生返事で、部屋からは出てこようとしなかったわね。

 具合悪いのかしら? 良く分からないんだけど」

「そうですか……」


 ここしばらくの間、ソフィとは顔を合わせていない。

 すべてが終わったというのに。


 その理由については……心当たりがある。

 俺も俺で、ソフィに顔を合わせるのは少し緊張するし。


 記憶を取り戻した今なら分かる。

 ソフィは明らかに、今の俺と昔の俺を区別して別人として扱っていた。


 当時の子供だったソフィアと俺の関係と、

 今の成長したソフィと俺の関係は全くと言っていいほど違う。


 静かで無口な虫も殺せない少女ソフィアを思い出すと、その成長と変化に驚く。

 色んなことをずけずけと言うようになったし、行動力もある。

 強い言葉も言うし、ハイド相手には少し大人な冗談も言う……

 そんな姿は二年前には想像もできなかった。


 ソフィ当人からすると、急に記憶を取り戻されると困る部分もあるのだろう。


 例えるなら、友達とはしゃいでいるところを親に見られるとか、

 逆に親と話している時のテンションを友達に見られる……みたいな。


 もっと正確に表現するなら、大学デビューした姿を昔の友達に見られ……

 いや、やめておこう。



「イズは……そっちに居るんですか?」

「そうよ。随分疲れてるみたいで……何杯もご飯食べた後は、気絶するみたいに眠り込んじゃった」

 だから起こさないであげてね、と千鶴さんは指を立てる。

 俺は頷いた。

 

 結局最後まであいつが活躍してるところは見なかったけど……

 疲れてるってことは、イズも何か頑張ってたのかな。

 6000年前に猫が研究所から逃した犬は、今も元気に生きている。



 再び作業を始めた千鶴さんの横を通って、階段を登る。

 普段は気にならないが、階段に体重を乗せるとぎしぎしという音がする。

 ソフィには聞こえているのだろうか、そんなことを考えながら一歩一歩足を踏みだす。


 ソフィは俺の事を先輩と呼ぶ。

 記憶を取り戻した時に、その理由についても同時に思い出した。

 当時ソフィアは俺に内緒で勝手に婚姻を結んでいた。

 その事実を霞友から知った俺は、ソフィアが俺の事を“あなた”と呼ぶのがどうも恥ずかしく感じるようになった。

 

 ソフィアにそう呼ばれると、夫婦という関係をどうしても思い起こされて仕方がない。

 そこで何とかして他の呼び方に変えてもらった。

 

 呼び捨てでもさん付けでもあだ名でも何でもいいのだが、

 この関係である以上どの呼び方でもそこに変な意味を感じてしまう。

 

 最後に落ち着いたのが“先輩”だった。

 夫の事を先輩と呼ぶ妻なんて居ないだろう。という安直な理由だった。

 当然本人には別の理由で誤魔化したが。


 それでも、ずっと使っていた呼び名を変えてくれなんて急な頼みにすぐに適応できるはずもなく。

 頼んで数日の間は結局あなた呼びのままだった。


 そのままついぞ先輩呼びが定着する日は来ず、俺は死んだ。



 階段を上がった先に見えるのは、小さな丸テーブルの置いてる今のような空間。

 窓際には植物の植えられた小鉢と、長いソファが一つある。

 転移してきた初日はここで眠ったんだったな。


 このテーブルの上で三人でご飯を食べた事もある。

 あれは、この店が急に繁盛し出したころだったか。


 そして窓の反対側、右手には二つのドアがあった。

 手前の一つは千鶴さんの部屋、そして奥のもう一つがソフィの部屋だ。

 別にソフィの部屋に足を踏み入れるのははじめてじゃない。


 王城地下の牢獄から逃れた日に、ソフィの荷造りを少し手伝ったこともある。

 今思えば、あの時俺用の服が用意されていたのも、元をたどれば俺の残した指示によるものだったのかもしれない。


 ポケットに触れて、ズボン越しにハイドがくれたICレコーダーの感触を確かめる。

 この中には、三日前に律さんが吐露した本当の気持ちを録音してある。


 律さんはソフィの事が本当に好きなのに、その気持ち故に噛み合わない所があった。

 見ていてもどかしいくらい、本当に不器用な人だ。

 世界で一番強いくせに。


 その律さんには申し訳ないけど、これはソフィ本人に聞かせる。

 そうでもしないと二人の関係は治らない。

 ハイドがそんな未来を見たからこそ、俺にこのレコーダーを託したはずだ。


 律さんが返ってきた時にソフィには、

 “おかえりなさい、姉様”なんて、他人行儀な言葉じゃなくて、

 “おかえり、おねえちゃん”と呼んであげて欲しい。


 律さんにとっては、何よりも嬉しいサプライズになる。

 何なら、世界が救われたことよりもこっちを喜ぶだろう。

 あのシスコン勇者は、そういう人だ。



 手の甲を扉に付けた。一つ、深呼吸をする。


 少しの躊躇を振り切って、ゆっくりとノックをする。



「……どうぞ」

 静かな声がした。


 ドアを開けると、ソフィはベッドの上にあおむけに寝ていた。

 二の腕が顔を覆っていて、表情は見えない。

 ドアを閉めると、部屋は一気に暗くなった。


「終わったぞ、全部」


 静かな部屋の中、空気に耐えかねて一度喉を鳴らした。

 

「神代は倒したし、魔物達ももう攻撃はしてこない。

 それと、律さんとデュオさんと……茂呂くんは無事帰ってこられることになった」


 ソフィは声を出さずに小さく頷いた。

 それだけ。


 茂呂くんに関しては初耳のはずだけど……

 もしかしたら、どこかで感づいていたのかもしれない。


「あ……えっと……。ソフィア(・・・・)は……」

 思わず口が滑る。

 ソフィは体をびくっと震わせ、そのままベッドの上で横向きに転がった。

 壁の方に顔を向けてまま、ぎゅっとうずくまる。


 やべ……

 なるべくソフィアって呼ばないように気を張ってたのに、逆に意識しすぎてつい口に出てしまった。


 とはいえ、今更誤魔化せるものでもない。


「そう……記憶は無事戻ったんだよ。だから、全部思い出した。

 二年前の、まだソフィがちっちゃかった時の記憶がさ」


 ソフィは身じろぎ一つしない。

 抱きかかえた枕を、がっちりと掴んでいる。


「今はこんなに明るく俺と話してくれてるけど、あの頃は本当に辛かったんだな。

 断片的には聞いてた話だけど、実際に見るとなんかもう……

 十六歳の女の子が受ける仕打ちじゃないって言うか」

 

「周りからの重圧とか、それを面白く思わない人たちからの虐めとか。

 見てみぬふりする周りの人間とか、それでも辞められない責任とか」


 反応のないソフィに、ただ語りかける。


「どこにもぶつけられない、やり場のない感情を、

 ただ目から流すしかなかったんだよな。

 他にどうしようもなくて、ただそうしてるしかなかった。

 ソフィアは泣き虫なわけじゃなくて、他に方法が無かったんだよな」


 言葉が溢れ出てくる。

 一方的ながらも、ここで話しておかないといけないような気がした。


「でも、その後二人でした冒険はすごく、すごく楽しかった。

 魔法の使えない魔法使いと、スキルだけはいっちょ前の雑魚冒険者の二人で。

 初めての自由な冒険に、はしゃいでたよな」


「あの頃って、本当に毎日が楽しかったんだよ。

 思い出した時に、どうしてこんな楽しい記憶を忘れてたんだろうって思うくらい。

 冒険者として才能のない俺が、ソフィのお陰でいろんな経験をして、各地を歩き回って」


 部屋に足を踏み入れた。部屋の中央にはカーペットが敷かれている。

 光の入らない部屋の中では、その色も良く判らない。


「思えば、それこそ作られたゲームをただ遊んでただけなんだろうけど……それが楽しかったんだ」


「思い出しながら、こんな生活がずっと続けばいいのにって心の底から思ったんだよ。

 だからこそ……その幸せが一晩のうちに崩れ去ったって経験は、本当につらかったと思う」


 ベッドのそばを通り、部屋の奥のクローゼットの横にある茶色のカーテンに手を掛ける。


「長く住んだ家は燃えてボロボロになって、優しかったお手伝いさんは血を流して死んでて、お父さんは殺人の罪で投獄されて……。本当に、意味が分かんないよな」


「生きる理由も分かんなくなるくらい、酷い話。

 辛い事が重なって、しかも身寄りも居なくなって」


「多分、俺には理解できない程苦しんだと思う。

 色んな事考えて、色んなことで悩んで。

 この世界で、ソフィほど苦しい思いをした人って居ないんじゃないかなってくらい」


 カーテンを開ける。

 外は快晴だった。


「それでも、指示書を見つけてくれて、そこから前を向き続けてくれて。

 こんな苦しい目に合わされたのに、

 そこからまだやらないといけないことがあって。

 なのに、なんとか自分の使命をやり遂げようって、今日まで頑張ってたんだな」


 部屋は光に満たされ、その色を徐々に取り戻す。


「そこまで頑張って、無理して、自分に鞭打って二年間も帰りを待ってたのに……

 今度はデリカシーの無い男が覚えてないとか言い出して、ソフィの事疑い出すんだもんな。

 本当に理不尽な話だよ」


「でも、その時のソフィは本当に、微塵もつらい様子を見せないで、

 ずっと気丈にふるまってくれてたんだよな。

 今思うとあんな状況、普通でいられるわけないのに」


 光指す部屋は、それだけで温かく感じる。

 つまるような空気から解放されたような、そんな心地がした。


「俺にソフィって呼ばせたのってさ、多分自分の中で区別をつけたかったんだよな。

 自分はこの人にとって、初対面の知らない人なんだって自覚するために」


 ソフィの方へと歩みより、ベッドに腰かける。

 きぃ、と少しきしむ音がした。


「今日まで頑張って、無理してくれたおかげで、今があるんだなって。つくづく思うよ。

 これは受け売りなんだけど……街に死体の匂いが漂っていないのも、外を歩けば子供の声がするのも、通りに笑い声が響いているのも、やっぱり全部ソフィがやった事なんだよ」


「本当に、頑張った。本当に、強くなったよ」

 座ったまま、窓の方を見やる。

 部屋に入って来る日差しに目を細めながら、空を見上げる。


 と、急に体が重くなった。


「強くなんか、なってないです」

 ソフィの声は震えていた。

 あふれそうな感情を必死で押し込めて、なおも言葉を発する。


「今も、泣きそうです。先輩の顔を見た時も、泣いてしまいそうでした。

 ずっと、ただ我慢してただけです」


 耳元から聞こえるソフィの声と息。

 見えるのは、窓ガラスに反射しているぼんやりとした顔の輪郭だけだった。


 声はどこか幼さを帯びていて、あの頃のソフィアを思い起こさせる。

 大人になって身に付けた建前や、表面上のごまかしを全て忘れたような話し方。


「悪夢、みたいでした」


 震える声と、ソフィの腕に力が入る。


「帰る家がなくなったのも、優しくしてくれたお手伝いさんが亡くなったのも、父が人を殺して捕らえられたのも、全て辛かったです。でも……」


「それでも、子供ながらに恋心を抱いていた人の死を見るのは……!」


 しゃくりあげるように息を吸いながら、言葉を紡ぐソフィ。

 これ以上続けることは出来なかったのだろう。

 しばらくの間、体重を預けたまま沈黙が流れる。


 何も言わずに、ソフィの言葉を待った。

 小さな窓から見える空は蒼く、透き通っていた。


「その……先輩。先輩は、あなた(・・・)は――」


 右耳に息がかかる。

 途切れ途切れのソフィの言葉に、一度相槌を打った。


「――わたしのこと、すきですか?」


 消え入りそうなか細い声だった。


 言葉に詰まる。

 いつかは訊かれるかもしれない、そう思っていたんだけど。


『俺は……』


 口をつくように出かけた無感情な言葉を押しとどめた。

 この答えは、俺の言葉で伝えないといけない。


 嘘偽りなく。

 思いの丈をそのまま、正直に。


 覆いかぶさるソフィの手を取る。

 窓から差すやわらかな光が、微かに濡れた頬を包んでいた。


 二年前の少女の面影が重なる。

 でももう、二年前とは違う。


 少女が孤独に涙を流す世界は捨てた。


 この子が笑顔でいられる世界、そんな世界を選んだから。

 その選択が出来たのは、間違いなく彼女のお陰だから。


 不安げに眉を寄せ、その目を伏せて身を固くしているソフィア。

 その姿はいじらしく、言葉を失うほどに綺麗だった。

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