白い烏【1】
意識が浮上して最初に感じたのは温かさだった。
何か大きな、どっしりとしたもので包まれるような感触。安心する匂い。どこか懐かしさすら感じるほどの。
「んっ……」
トロトロとした微睡みの中、私はゆっくりと目を開ける。
すると背中を支えていた何かがもぞりと動き、私を抱え直したのがなんとなく分かった。
「……起きたか」
「は、え……あれ?」
「どこか気持ち悪いところとかないか?」
「あー、えっと……大丈夫、ちょっとぼんやりはしてるけど……」
「そうか、良かった」
ほわり、と効果音がつきそうな感じで、目の前の白い青年が表情をゆるめる。
私はそれを瞬きと共に拝みながら、まだどこか夢を見ているような感覚のままに口を開いた。
「えっと……あなた、だれ? え、というかここ、どこ……?」
改めて周辺状況を確認すれば――そこは先ほどまで居た城内の客室とは明らかに違っていた。というか室内ですらない。外である。しかも視界に入る情報から察するに森。葉の生い茂る木々に囲まれていて空すらもまともに拝めないくらいには鬱蒼としていて、だから今が昼なのか夜なのかすら良く分からない。
そうして視線をぐるりと巡らせたあとで、私は改めて自分の姿に目を落とす。
着ているのは就寝前に着せられた絹のワンピースのまま。だけどその上から分厚い黒の外套を毛布のように掛けられている。これのおかげで寒さを感じなかったのか――と納得しかけた直後、重大なことに気づいてしまった。
すなわち、背中側が妙に温かいことに。
そして少し視線を上に向ければ、心配そうな白髪の美青年の顔に行きつく時点でもうお判りいただけるだろう。
ほぼ初対面の男の人の太ももの上に座った状態で、抱き寄せられている……!!
その異常事態に私は一気に脳が活性化するのが分かった。
ついでに体温も急上昇である。上半身が特に。
「ちょ、なんで!? や、あの、お、下ろして……っ!!」
反射的に彼から離れようとジタバタする私に、だけど白い人は困ったような表情を返してくる。
「今下ろすと服が汚れるから、この体勢の方がありがたいんだけど」
「だからってこのまま抱きしめられてるのは問題あると思うよ!?」
「そう? ……ああ、まぁそうかもな」
僅かに逡巡した様子を見せた後で、白い人は私に掛けていた外套へと手を伸ばす。そして躊躇わずに外套を裏返して湿り気を帯びた地面に敷くと、私をそっとその上へと下ろした。よくよく見れば私は素足のままだ。どうやら肌や服が土で汚れないように配慮してくれた結果らしい。
しかし外套を取り払われてしまったため、森の冷気が直接肌を撫でるのに思わず身震いをする。
「ごめん、すぐに火を焚くからちょっと待って」
言って、白い人は腰元のポーチから数本の短い木の枝のようなものを取り出した。
それを地面に放ると同時に小さく何かを呟く。パチリ、と赤い閃光が爆ぜた。
「着火」
「うわっ!」
思わず声を上げた私に、白い人はどこか意外そうに目を瞬かせる。
「魔術を見るのに慣れてないんだな」
「う、うん……こういう直接的なものは、あまり」
眼前には木の枝を起点にして、高さ数十センチの火柱が上がっている。
円柱状のそれからは十分な暖が取れて、私は無意識のうちに両掌を火の方へと近づけた。あったかい。
私が普段見る魔術的な事象は自分が行使する祈りの光くらいなものなので、こういうのは新鮮だった。
私が感心したように火柱に目を向けている間に、白い人はまだゴソゴソと何かをしていた。
気になって視線を向ければ、どうやら飲み物を準備していたらしい。どこからかカップを取り出した彼は、
「創水」
またしても魔術を行使する。次の瞬間にはカップは透明な水で満たされていた。
「水、嫌じゃなければどうぞ」
「あ……ありがとう……?」
「どういたしまして」
「……貴方の分は?」
「俺はいい。カップがひとつしかないから」
そう言われてしまうと微妙な気分になるのだが――とは口に出せず。
私は厚意を無下にするのも良くないと判断し、ありがたくカップに口を付けた。喉が渇いていたのも事実だし。魔術によって生み出された水は冷たく喉を潤していく。美味しい。
ぷはぁ、と飲み干せば人心地ついた感じがあった。頭も先ほどよりスッキリしている。
そこで私は改めて白い人へと目を向けた。
火柱を挟んだ向かい側の大木に背を預けながら座り込んでいる彼は、口もとに手を当てながらこちらを静かに見つめていた。赤と黒のオッドアイが炎に炙られて煌くのに、内心でどきりとする。
「……水、足りなかったか? 必要なら創るけど」
「いや、そういうんじゃなくてね……あの、今更なんだけど――貴方は誰なの? どうして私はこんな場所に居るの?」
私の至極当然な質問に、白い人はひとつ頷いてから口を開いた。
「俺の名前は――クロウ。フリーランスの魔術師をしてる」
先ほどから気軽に魔術を扱っていることから、魔術師というのは想像がついていた。
私の知識が正しければ、魔術師とはその名の通り魔術を行使して依頼を達成することを生業とする人々のことを指す。そもそも魔術は適性がある人しか使えないため、魔術師の数はそう多くない。
そんな中で独立――ということは、相当に腕が立つということだ。
外見からまだ二十歳くらいのようだが、確かにクロウは見た目以上に落ち着いた雰囲気の持ち主である。きっと様々な経験を積んできたのだろう。
そう考えると呼び捨てにするのはマズい気がしてくる。
「クロウ……さん?」
「クロウでいい」
何故か思いのほか強く言われた。
ここで話の腰を折りたくなかったので、私は要求通りクロウと呼ぶことにする。
「じゃあ、クロウで。フリーの魔術師ってことだけど、私をここに連れてきた理由は? 確か……魔女が何とかって言ってたような気がするけど」
そもそも魔女という存在が良く分からない私が説明を促せば、クロウは素直に応じる。
「魔女は、大雑把に言えば代価を支払うことで願いを叶えてくれる存在だ」
「願いを叶える……魔術師とは違うの?」
「違う。代価さえ用意出来れば魔女に叶えられない願いはないらしい」
「……凄すぎない? それが本当なら聖女なんかよりもよっぽど――」
「魔女の代価は法外だと聞く。願いと引き換えに命を要求されることも珍しくない、と」
願いを叶えたところで命を失う――それでは割に合わないことも多そうだ。
「そもそも魔女は一般的には秘匿された存在だから」
「そうなんだ」
確かに私も魔女については全く知らなかった。
……なら、クロウは何処で魔女の存在を知ったのだろうか?
私がその疑問を口にするより先に、クロウが重々しい声音で呟く。
「俺はどうしても魔女に会う必要がある――お前と一緒に」
「……どうして、私と一緒じゃなきゃいけないの?」
「それは……悪いが、説明することは出来ない」
小さく首を横に振ったクロウに、私は不満から思いきり眉を顰めた。
「なにそれ。そんな説明じゃ到底納得出来るわけないんだけど」
「お前の言い分は尤もだ。……だけど、本当にこれ以上は言えないんだ」
「どうしても?」
「言えない」
「――……言いたくない、じゃなくて、言えない、なんだね……?」
似て非なるそのニュアンスを口の中で転がしながら、私はじっとクロウを見つめる。彼は彼でこちらから目を逸らさなかった。
後ろめたいことはないと。ただ説明が出来ないだけなのだと。
その瞳が言葉以上に雄弁に告げてくる。
「ちなみに……私の命を代価に願いを叶えて貰おうとか、そういう話じゃ――」
「それだけは絶対にあり得ないから安心して欲しい。俺は決してお前に危害は加えないし、何があっても守ると誓う」
冗談で言っているようには到底思えず、私はむず痒さを誤魔化すように大きく溜め息を吐いた。
……さて、ここまで頑なに言えないものを無理に聞き出すのは流石に危険かもしれない。
それなら別の角度から情報を集めようと頭を回す。
「……なら、その魔女って何処に居るの?」
「ここから遥か北の地に」
「それって……もしかしなくてもインぺリウム王国の外ってこと?」
「いや、北の大国ニクスとこの国との国境沿いにあるグラシアス山脈に魔女は居る――はず」
「はず?」
「俺は実際に魔女と会ったことはないから。師匠からの情報だから間違いはないと思うけど」
確証があるんだかないんだか。絶妙に締まらない説明に私は苦笑を禁じえなかった。
それでもクロウが嘘を吐いていないことは直感的に分かるので、なんとなく責める気も起きない。
おかしいなぁ……突然こんなところに連れて来られたのに。
本当なら今すぐにでも神殿に戻らなければならないのに。
――どうして私は、クロウの願いを叶えてあげたいと、思い始めているのだろう……?
「……ねぇ、クロウ」
「なんだ?」
「私を今すぐに神殿まで帰して欲しいって言ったらどうする?」
瞬間、クロウの息が詰まったのが分かった。明らかな動揺。
彼は不安げに瞳を揺らしながら、それでも私の目を見て、ゆっくりと口を開いた。
「…………すまないが、今それは聞けない。ただ、もし魔女に会った後でお前がそれを望むなら――必ず神殿まで送り届けると約束する」
随分と不思議な言い回しだな、と思った。
だけどクロウの表情は真剣そのもので。並々ならぬ決意に溢れていて。
とにかく彼はどうしても私と一緒に魔女に会いたいのだと――それだけは、痛いほど理解した。