聖女エマ【4】
城内にある大ホールを貸し切っての祝宴は、まさに豪華絢爛を絵に描いたような様相だった。
本日の主役であるところの私は私で華美な装飾に彩られた式典用の法衣を着せられ、ホール中央最奥に設えられた貴賓席へと座らされている。すぐ隣には婚約者兼本日のエスコート役であるフィクタ様が控え、その少し後方には王家の方々が私を見守るような布陣で席を並べていた。地味に視線が痛い。
「聖女様、本日は拝謁が叶い感無量でございます……!」
「なんとまぁお美しい……まるで聖女様の清らかな心根が外見にも表れているようですわぁ」
「我が国の堅牢な護りは聖女様にしか成しえない偉業! 引き続きどうぞ我が国をお護りくださいませ」
「……はい、これからも皆様のご期待に沿えるよう尽力いたします」
次々に挨拶に来る国の重鎮と思しき人々に聖女らしく愛想笑いを振りまきながら、私は一刻も早い祝宴の終了を心から願っていた。
やっぱりこういう席は苦手だ。気疲れしかしない。ろくにご飯も食べられないし肩も凝る。
なんとか開宴から続いていた挨拶の列が一旦途絶えたところで、内心疲労困憊な私にフィクタ様が飲み物を差し出してくれた。ありがたく受け取って爽やかな果実水にホッとしていると、突然、背後から無遠慮な声が掛かる。
「……しっかし想像以上に従順だなぁ、今回の聖女様は」
驚いて反射的に顔だけ振り返れば、赤銅色の髪をした野性味あふれる美丈夫と目が合った。長身に服の上からでも感じられる鍛えられた体躯。力強い琥珀色の瞳が獲物を捉えた猛禽類のごとく細められるのを見て、私はこの人物の名前を思い出す。
三年前の継承の儀の時に一度だけ会ったことがあるこの青年は――インぺリウム王国の第二王子。
「リヴェルタス王子」
「へぇ? 一応オレのこと覚えてたのか」
「勿論です。三年前に一度ご挨拶もさせていただきましたので」
「それにしてはエスコートの件もあっさり断るし、つれない聖女様はオレになぞ興味の欠片も抱いてないと思ってたんだがな?」
あからさまな挑発を含むその表情に、眉を顰めたくなる気持ちをグッと堪える。
先ほどから失礼極まりないが相手は腐っても王族だ。機嫌を損ねて良いことはない。
「……口を慎みなさい、リヴェルタス。聖女様に失礼でしょう?」
「はいはい、分かってますよ母上」
王妃様の苦言にもどこ吹く風といった様子のリヴェルタス王子は、悠々と自席から立ち上がると私のすぐ隣――フィクタ様の反対側へと回った。思わず身構えるように身体を硬くすれば、何が面白いのか王子の笑みがより深まっていく。
「そんなに警戒しなくてもいいだろ? まだ何もしてないんだからさ」
「……申し訳ありません。男性と距離が近いことに慣れておりませんので」
「それにしては、そこの神官とは随分距離が近いんじゃないか?」
「彼は私の世話役筆頭ですから」
「ハハッ……そこは真っ先に『婚約者ですので』って答えるのが正解だと思うぞ?」
完全に揶揄われている。流石に頭に来たので不快感を示すべく私は王子へ精一杯の冷たい視線を向けた。するとそれとほぼ同時に、今まで黙っていたフィクタ様の口が動く。
「――殿下、お戯れはその辺りで。これ以上は流石に聖女様にお仕えする者として看過出来ません」
「ハッ……お仕えねぇ? アンタの口からそういう言葉が出ると可笑しくて堪らねぇな」
「……どういう意味でしょうか?」
「決まってるだろう? ちゃっかり婚約者の座にまで納まってる辺り相当上手くやってるなっていう褒め言葉だよ」
リヴェルタス王子の無遠慮かつ意味深な発言にフィクタ様の纏う空気がヒヤリと冷たさを帯びる。しかし王子は全く動じることなく、フィクタ様から視線を切ると再び私の方へと話し掛けてきた。
「なぁ、どうせ今日が終わったらまたしばらく会う機会もないんだ。一曲ぐらい付き合ってくれてもいいだろ?」
差し出された右手はダンスの誘いの証。
受けるべきか判断に迷った私は無意識のうちにフィクタ様へ救いを求めようとしたが、
「――これくらい構わないよな、婚約者殿?」
その前にリヴェルタス王子が機先を制した。
フィクタ様は依然として冷たい無表情のまま王子を静かに見返す。その凍てつくような気配を間近で浴びせられた私が思わずごくりと喉を鳴らせば、フィクタ様はそこでハッと我に返ったように目を見張った。
そしてすぐにいつもの穏やかな笑みを作ると、
「……聖女様がお受けするのであれば、私に否やはありません」
と、私に対して小さく頷いてみせる。
これは誘いを受けても構わない……いや、むしろ受けろという合図だろうか?
フィクタ様の意に沿うべく私が慎重に判断を下そうと思考を巡らせる中、
「よし! お赦しも出たことだしさっそく踊ろうぜ!」
「え、あっ……ちょっと!?」
こちらの事情などお構いなしにリヴェルタス王子は私の右手をやや強引に取ると、貴賓席が設けられていた雛壇からダンスホールの方へと引っ張り始める。
結局ろくに抵抗する間もなく王子の誘導でホールの中央まで連れて来られてしまった。
周囲の視線が一気にこちらへ集中するのを肌で感じながら、私はいつの間にか腰を抱いてきた王子に対し彼にだけ聞こえる音量で囁く。
「――私、貴方の婚約者にならずに済んで良かったです」
そこで一瞬、王子の動きがピタリと止まる。
だがすぐに彼は唇に弧を描くと、私の腰をさらに引き寄せてきた。
「なんだ、嫌味くらいは言えるんじゃないか。つまらねぇ女だと思ってたが、反発してくるならむしろ好印象ってもんだぜ?」
「それならつまらない女で結構です。好かれたくないですし」
「ハハッ! まぁオレも聖女なんぞに好かれて結婚させられるのはごめんだからな。そこはお互い様だろう」
その発言に私は思わず王子の顔をまじまじと覗き込んでしまった。
「……あ? なんだよいきなりじっと見つめてくるなんて。まさかオレに惚れた――」
「そんなわけないでしょう。……いえ、てっきり貴方の方は私との婚姻を希望していたのかと思っていたので、少し意外に思っただけです」
「は? なんでオレがお前みたいなお子様聖女との結婚に乗り気だと思ってたんだよ? 自意識過剰か?」
「うっ……言われてみれば、確かにその通りですが……お子様と言われる筋合いはありません」
「いやお子様だろ。確か十七とかだっけ?」
「そうですが、貴方もそれほど年は変わりませんよね?」
「オレは今年で十八だ」
「一つしか変わらないじゃないですか……!」
「馬鹿だなぁ、その一つの差が重要ってもんだろ?」
「なんですかそれ、意味が分かりません」
曲が始まると同時に自然とリードをしてきた王子に身を委ねながらの、二人きりの会話。
これが思った以上に弾んでしまって少々複雑な気分になる。しかし他の王侯貴族に比べると格段に話しやすい。半分以上は取り繕う必要がないからだけど、会話のテンポが妙に噛み合うのも事実。
あと何気にこの王子は踊りが上手い。私は最低限のダンスレッスンしかしたことがないのでお世辞にも踊り慣れているとは言えない。それなのに普段以上に踊れている実感がある。ちょっと悔しい。
「……おい、なんだよ。不満そうな顔して」
「別に……」
「もうすぐ曲も終わるし、そしたら解放してやるから安心しろよ」
彼の言葉の通り曲が終わりへと近づいていく。
ほんのちょっとだけ楽しいと思える瞬間もあったので、私は少し迷った挙句、
「……誘ってくださってありがとうございました。ダンス、ちょっとだけですけど楽しかったです」
とお礼の言葉を口にした。するとリヴェルタス王子はここにきて初めて私に対して複雑そうな表情を向けてきた。どこか憐れむような視線に、自然と胸がざわつく。
「あの……私、何かおかしなこと言いましたか?」
あれだけ軽口を叩き続けた王子は、私のこの問いかけには口を噤んだ。
しかし曲が完全に止まり、向かい合ってダンスの終了のお辞儀をした刹那――
「……お前、あんまりあの神官に依存すんなよ」
とだけぼそりと言い残して、さっさと私から離れて行ってしまった。
私は脳内で王子の言葉を反芻しながら、入れ替わるようにこちらへと足早に向かってくるフィクタ様の姿を、その場からただぼんやりと眺めていた。






