望まぬ邂逅【1】
あまりにも想定外の事態が発生すると人の思考は停止する。
それは私も例外ではなく、目の前の現実を脳が処理出来ないまま、ただただ呆然と目を見開いた。
薄暗い森の木々の間から現れた男は間違いなく、インぺリウム王国の第二王子リヴェルタスその人で。
彼は私の驚愕した様子を捉えると心底楽しそうに嗤う――が、次の瞬間にはその表情を一変させた。
「ステラ、口を閉じて」
潜めるような低音が聞こえたのと、私の身体が誰かによって抱き上げられたのはほぼ同時だった。
この一ヶ月で慣らされた感覚に私は反射できゅっと唇を噛むとすぐに腕を伸ばして定位置――つまりクロウの首へと縋りつく。その間にも彼は次の一手を打っていた。
「氷槍」
即座に作られた鋭い氷の槍は全部で五本。
そのすべてが躊躇なくリヴェルタス王子を目掛けて飛んでいく。一本でも命中すれば致命傷になりかねない威力だ。しかし私がその槍の行く末を知る前に視界は反転し。
「加速」
瞬きの間にクロウは私を抱えたまま風のように走り出した。景色が文字通り飛んでいく視界の中、口を閉じていなければまず間違いなく舌を噛んでいただろう。
どうやら大半の荷物を放棄して離脱することを選んだらしいクロウの判断を信じ、私はただただ行動の妨げにならないよう彼にしっかりと抱きつく。
だが、数分もしないうちにクロウは息を呑む音とともにその場で急停止した。
「……これは、まさか師匠の」
「え……?」
不穏な発言に私も顔を上げて視線を前へと移せば、
「――よう、ご苦労さん」
「っ!? どうして……!!?!」
先ほど後方に置き去りにしたはずのリヴェルタス王子が僅か数メートル先に居た。
氷の槍で負傷した様子もなく、飄々とした態度を崩すことなく、彼は切り株を椅子代わりに座っている。よくよく見ればその腰には無骨な長剣が差さっており、服装も冒険者のような動きやすさ重視のもの。何故だかその格好の方が王城で見た正装よりも彼に似合っているように感じる。
そんなリヴェルタス王子の傍に先ほど放棄した荷物と焚火が見えることから、私たちは遠くへ走っていたはずなのに元の野営場所に戻ってきてしまったようだ。
――でもどうしてそんなことに?
混乱する私とは対照的に、リヴェルタス王子は獲物を甚振る猫のように目を細める。
「声かけたらお前らが逃げることぐらいは想定済みなんだよこっちは。だから事前に色々と仕込みをしてたってわけだ」
「仕込みって……いったいどんな……」
思わず口に出た私の疑問へ答えたのは、未だに私を抱き上げたままのクロウだった。
「おそらく空間隔離の魔術だと思う」
「お? すげぇな、大当たりだよ魔術師」
リヴェルタス王子は感心した様子でクロウを見てから、ゆっくり私へと視線をずらす。
「無知な聖女サマのために説明してやるよ。空間隔離の魔術は術者の指定した範囲の中に対象者を閉じ込める魔術だ。魔術の効果が続く限り、空間に出入りが出来るのは術者と術者が許可を出したヤツだけになる」
「それって……私たちは王子が作り出した空間に閉じ込められてるってことですか?」
「そういうこと。なんだ、思ったより物分かりが良いな?」
「……魔術の凄さや便利さについては、この旅の中で大いに学びましたから」
ため息混じりに返しつつ私は目線だけ動かしクロウの表情をそっと窺う。彼は険しい表情のまま、視線はリヴェルタス王子から一切外さない。抱きしめてくる腕の力も緩まないことから、私は指示があるまでは大人しくクロウの腕の中に居ることを決めた。
「しかし聖女サマは随分とそこの魔術師に懐いてるじゃねぇか。聖女も所詮は女で美形には弱いってことか?」
そのあからさまな揶揄いに私は思わず眉を顰め非難の眼差しを王子へと向ける。
だが話題自体には乗らない。それよりも情報収集をした方がよほど建設的だ。
「……今更ですが、王子は私を連れ戻しに来たんですよね? まさかお一人で?」
そう、今更気がついたのだが、眼前の王子の周囲には他に人の影がない。
最初はどこかに隠れているのかと思ったが、それにしても王子なのだから護衛がすぐ傍に控えていないのはおかしいように思う。
すると私の指摘に王子はどこか満足げな表情で朗々と答えた。
「今この場にはオレ一人だが、空間のすぐ外にはちゃーんと精鋭を揃えてるぜ?」
「え? なぜわざわざ外に?」
「ちょっと先にオレの用事を済ませたかったからな。まぁ聖女捜索の対価ってところだ」
そう言った王子は、今度は私ではなくクロウの方へと視線を走らせる。
「てなわけでそこの魔術師、お前に聞きたいことがある」
「……」
「――暁の魔術師」
「っ!」
「やっぱり知ってんだな。まぁそうじゃなきゃ転移術式や手紙の魔力光の説明が付かねぇよなぁ」
クロウの反応を確かめるようにしながら勝手に話し続けるリヴェルタス王子だが、私からすれば何の話なのかさっぱり分からない。
「……王子、どういうことか説明いただけますか?」
「あー……お前を拉致ったそこの魔術師が残した痕跡に、オレが長年捜してる相手の魔力光が混じってたんだよ。だからわざわざやりたくもねぇけど聖女捜索に手を貸したってわけ」
「では、王子の目的は私ではなく――」
「御明察の通り、オレの用があるのは暁の魔術師の方ってことだ。ということでアイツの居場所をとっとと吐いて貰おうか?」
そう口にした刹那、王子の纏う気配が激変した。
まるであの雷呼熊のような――いや、それ以上の威圧感が場を支配する。
本能的に身を竦めてしまった私を安心させるようにより強く抱き込みながら、クロウは平然と王子と対峙し、閉ざしていた口を開く。
「――断ると言ったら?」
「は? この状況でお前に選択権があるとでも思ってんのか?」
王子の苛立ちを隠さない声が森に低く響く。
それにハッとして、私は会話に割り込むように声を上げた。
「待ってクロウ。あの人はこの国の王子で、凄く偉い人で……無礼な態度を取ったらクロウにも咎が及んでしまうかもしれないの。だから、その……」
しかしそこから言葉を上手く続けることが出来なかった。
普通に考えたら、この状況は限りなく詰みだ。王子の言葉が真実なら私たちは閉じ込められていて、しかも外にも伏兵が潜んでいる。いくらクロウが凄腕だろうと私を連れてこの窮地を脱するのは極めて難しいはず。
ならば今は旅を諦めるようにクロウを説得する方が理に適っている。
そう分かっているのに……肝心の言葉が口から出てきてくれない。
「流石に聖女サマの方が物分かりがいいみたいだな? 悪いことは言わねぇからオレが笑ってるうちに言うことを聞いた方が身のためだぜ、白い魔術師さんよぉ?」
皮肉だが王子の言うとおりだった。
それでももし、例外があるとするならば、
「……クロウ、私を置いてなら逃げられる? それなら遠慮なく置いて行ってくれて構わないから」
きっとこういう選択肢になる。最悪なのはクロウが捕まり、罰せられてしまうこと。
それならばいっそ逃げてくれた方がいい――そう思って私が無理やり作った笑顔を向けようとすると、
「またステラを置き去りにするくらいなら、死んだ方がマシだ」
――胸が痛いほどに切実な声音で。クロウはそう口にした。




