2.
目を覚ますと、べっとりと汗を掻いていた。ひどく嫌な夢を見た気がする。
悪夢の残滓を拭うべく、顔を洗おうと布団を出たところで、「あれ?」と首を傾げた。
床が延べられているのは畳の上で、明らかに暮らし慣れた自宅ではない。
もう一度、「あれ?」となったところで眠気の霧がようやく晴れた。ここは、祖父さんちだ。四十九日の法要の後、おふくろとこっちに泊まったのだ。
祖父さんちは、うちから電車で一時間半ほどのところにある。近いとも遠いとも言い難い、だが気軽に行くには絶妙に不便な距離だ。
だから一人住まいしていた祖父さんが死んだのちも、なかなか片づけが進んでいない。取り壊すとも貸し出すとも、まだ決まらない状態だが、何にせよもう使わないもの、特に離れのガラクタたちは処分せねばならない。そうしたものの片付けに、夏休みの大学生が駆り出されたってわけである。
のそのそと居間へ行くと、鼻先をいい香りがくすぐった。
おふくろはもう起きて、朝食の支度をしているらしい。
「おは――」
「遅い」
よう、と続ける前に、そう切り捨てられた。我が家はかかあ天下である。親父のみならず勿論俺も、おふくろに頭が上がらない。
叱りつけつつ、おふくろは茶碗に白米を盛って食卓に置く。……やいなや、まるで見計らったかのように仕上がった目玉焼きが添えられた。みそ汁の椀がこれに続く。
我が母上は、斯様にテキパキとエネルギッシュで、動作に遅滞がないのだ。祖父さんもそういう人だったから、まあ血なのだろう。父方の血が濃い俺としては、そのご意向に諂い従うばかりである。
おふくろが自分用の朝食をセッティングするのを見届けてからテーブルにつき、「いただきます」と両手を合わせる。
祖父さんちはテレビがないし、食事中は食事に集中するのがうちのルールだ。もぐもぐとしばし沈黙が続き、一膳目を食べ終えてから、
「なあ母さん」
「何よ」
「ここにあんま来なくなったのって、なんでだっけ?」
子供の頃、確か小学校の半ばくらいまでは、半月に一度の頻度で祖父さんちにお邪魔していた。家族揃っての小旅行って感じで、楽しみにしていたのを覚えている。
だが高学年から中学に入って以降、この家を訪れた記憶がない。
祖父さんと疎遠になったわけじゃあ勿論なくて、逆に祖父さんがうちへ遊びに来るようになったのだ。
ちょうど自分の友達の方が大事になる頃合いだったから深く気にもしなかったけれど、思えばおかしなことではないか。
するとおふくろは呆れたような顔をして、
「あんたが怖がるようになったからじゃない」
と言った。
離れでお化けを見たと俺が泣き喚き、それを受けた祖父さんが、『もう連れて来ない方がいい。波長が合っちまったかもしれんからな』なんて真顔をしてのけたらしい。
居合わせたお寺さん――祖父さんの悪友で、うちの檀家の坊さんの通称である。正しくどういう宗教的地位の人なのかは知らない――も、最もな風情で頷いたので、真に受けた俺は更にギャン泣き。以後祖父さんちから足が遠のいた、ということだった。
「悪戯好きだったからねぇ、お祖父ちゃんも、お寺さんも。ちょっと冗談のつもりだったんだろうけど」
そういやそういう性格の、揃って困った爺さんたちだった。
しかしまあなんて設定で孫を揶揄うのだ。純真な子供なら絶対心に傷を負ってたぞ。いや俺は今まで忘れてたけど。
苦笑していると、おふくろがちょっと眉を顰めた。
「そのお寺さんなんだけど」
「うん?」」
「あんたが寝てる間に電話があってね。亡くなったそうなのよ」
寝耳に水の訃報だった。
先日祖父さんのガラクタの大半を引き取りに来てくれて、その折に見た感じじゃまだまだ矍鑠って印象があったのに。
胸の奥に、ざわざわといやあな感触が湧く。
「朝、起きて来ないから奥さんが様子を見に行ったら、もう冷たくなってたんだって。お祖父ちゃんとよく、『お前の葬式は俺が出してやるからな』なんて喧嘩をしていたけど、本当になって気落ちしちゃったのかしらね」
雰囲気を変えるようにおふくろが付け足すが、気の回らない俺は、「うーん」としか返せない。いかんなあと思いつつ、食後のお茶の用意に立つ。
夏のことでもあるし、通夜と葬儀は速やかに営まれるらしい。
結局、今日帰る予定を日延べして、通夜に参列していくことになった。