気のせいです
ジオルド・レイアール
レイアール公爵家のご子息にして、リシウス殿下のご友人兼、高位貴族のくせに侍従の腰巾着だ。殿下の身の回りの世話やら何やらと動いているおかげで、私たちとも接する機会が多い。
黒い艶やかな髪に形のいい薄い唇。メガネの奥からのぞむ涼やかな目元はどこまでも深い赤褐色で吸い込まれそうだ。本当綺麗な顔してるわぁ。
シャトーとの相引きを目撃されてたかも?なんてこと一瞬で頭の隅っこに追いやって、思わず目の前の青年をまじまじと見る。
さっきから、リシウス殿下やシャトーを目にして、眼福この上ないのだが、この方もたいがい美形だ。
そー言えば、アーノルド兄さまも社交界では、ダークブラウンの貴公子だか、エメラルドの君だか呼ばれているのを何度か耳にしている。魔王だけど。
この国の美形率って一体どーなってんのかしら?
今度ちゃんと統計を出してみたい。それはもー、全力で。
私が顎に指を置いて考え事をしていると、目の前の青年は訝しげな視線を向けてきた。
「リズ?」
「あーすみません。ちょっと美形の統計について考えてました」
「・・・何を言ってるのか理解出来ませんが・・
それより今誰かいませんでしたか?」
はい。お帰り現実。
もう一度、ぎくりである。
「今人影が見えたのですが?」
「いえ、全力で気のせいです!」
「そぅですか?話し声も聞こえた気がしたのです」が・・?」
「独り言です!」
「・・・そぅですか」
「・・・」
何、その残念な子を見る目。そりゃあ、誤魔化したのは私ですよ?でもその顔は・・ないわぁ・・。もぅ少し独り言に疑問持とうよ?困るけど。
「ところで、ジオルドさまはこんな裏庭で何されてるんですか?」
「ん、あぁ、リシウス殿下の愛馬ライオールの様子を見に来たんです」
「ライオール?あー。そう言えば今朝の公務にお出かけの際、別の馬に乗られてましたね。ライオール調子悪いんですか?」
「えぇ、どうも昨夜から不調のようで、今朝もあまり飼葉を食べなかったと報告がありました」
「ここ最近冷え込みますし、寒さで体調を崩したのかもしれませんね」
「本当は、リシウス殿下自ら様子を見に来たがったのですが、厩舎なんて殿下が行くような場所じゃありませんから」
「・・・リシウス殿下はライオールを大事にされてますからねぇ」
それを言うなら、公爵子息さまもでは?なんて思っている内にニ人して厩舎の前へたどり着いた。厩舎の入り口に足を踏み入れようとすると、ジオルドさまが困惑したように声をあげた。
「リズ、私一人で大丈夫ですよ?仕事があるのではありませんか?」
「大丈夫です。先程ちょうど終わりましたから」
言いながら奥にいるライオールへと足を運んでいると、つと、ほんの僅かに背中がゾワリとする悪寒がした。
「・・・」
「リズ、突然止まらないで下さい」
突然歩みを止めた私にジオルドさまは、不満の声をあげた。
「すみません。ちょっとブーツの紐がほどけてしまって」
苦笑しながら後頭部を掻く私に、ジオルドさまがため息をもらそうとしているのを横目に、私は奥へと駆けた。
「ジオルドさまの邪魔になるので、奥で靴紐結んできます!」
「あっ!走ると危ないですよ!」
「ぎょえっっ!!」
はい。お約束のやつ。
ジオルドさまの忠告を耳に、私はライオールの小屋の目の前で見事にすっ転んだ。
ジオルドさまは、だから言わんこっちゃないと、額に手を当てて盛大にため息をついている。
それでも、女性のエスコートが骨の髄まで染み付いているのか、厩舎ですっ転んで飼葉まみれの私に手を差し伸べたのはさすがだった。が、それも一瞬の事で、次の瞬間には赤い顔をして明後日の方をご覧になられていた。
「〜〜〜リズ、身だしなみを整えて下さい!」
言われて自分の惨状を目撃する。
うっわぁー・・仰向けに盛大にひっくり返ったせいで、それはもーバッチしスカートはめくり上がり、膝上まで露出しているではないか。
「!!!!」
私は慌ててスカートを伸ばすと、全力で頭を下げた。
「すっ、すみません!お見苦しい物をお見せしました!」
「きっ、気を付けて下さい。あなたも一応女性なんですから」
一応は余計だと思うぞ?ジオルド・レイアール。
「・・・それよりジオルドさま、ライオールの様子ですが・・」
言われてジオルドさまは、元気よく飼葉をもぐもぐしている白馬を見て安堵の顔を向けた。
「食欲戻ったみたいですね?やっぱり、寒さで少し体調崩してただけかもしれませんね」
「そうですね。念のためにライオールには二、三日休んでもらいましょう」
そう言うや、ジオルドさまは本当に、それはそれは優しげな目をしてライオールの首を撫でた。イケメンと白馬のコラボ卑怯すぎる。
「・・・くっ!!」
「どうしました?リズ?」
「いえ、何でもありません!!」
突然、ジオルドさまに背を向けて震えている私に不思議そうに声を掛けてきたが、言える訳がない。
ほんの一瞬、本当に一瞬だけ、馬になりたいと悶えていただなんて。
いやいやいや、私には推しがいるから!しっかりしろ!私!!!ダメ!浮気!ゼッタイ!
「さて、私はもう戻りますが・・・」
「あっ、私はここの片付けをしてからお屋敷へ戻ります」
そぅ言って散乱している飼葉を指差すと、ジオルドさまは「そうですね」と、軽いため息まじりに去って行った。
遠ざかる背を見送りつつ、私はおもむろに飼葉の中に手を突っ込んで、今しがた手に入れたそれを冷めた目で見おろした。
まったく油断も隙もあったもんじゃない。
ライオールの周りには、魔力を持つ者が近づくと矢が放たれる仕掛けが施されていた。それも、三つも。
まったく。いくら魔力を持っているのは貴族が多いとは言え、平民だって持ってる人はいるのだ。
万が一リシウス殿下やジオルドさま以外の魔力持ちが近づいたら、巻き込み大事故にもほどがある。
間違って天へ召されたら、誰だって浮かばれないだろう。
しかし、罠に気付いた瞬間、隠しもっていた暗器で転んだフリをしながら矢を全て一刀両断してやったのは、うん。我ながらさすがだと思う。
さすがだと思う、うん。思うけど、乙女として「ぎょえっっ」はないわぁ。
いたたまれなくなって、ライオールに何となく話しかけてみたりする。
「あんたも災難だったわねー。ライオール?」
繊細で敏感な馬の周囲に魔法のトラップを仕掛けたのだ、そりゃあ落ち着かないし心細かっただろう。
「安心してライオール。もぅあなたの周りの罠は全部壊したから」
そう言いながらライオールの首を撫でてやると、理解したのか僅かにわなないた。
「あなたのご主人さまもちゃんと無事よ。それに、この私がどこまでも護るんだから!」
腰に手を当てて馬に宣言してもなぁ、なんて若干恥ずかしくなりかけたが、さすがはリシウス殿下の愛馬。ちゃんと理解したのか、じっと私を見つめた後、頭を下げて顔を撫でさせてくれた。
さすがはリシウス殿下の愛馬!可愛い!!賢い!!そしてがリシウス殿下が触れている!!
さてと、これを仕掛けた人間を探さなくちゃダメだよねぇ・・・外か、内か。どちらにせよ、リシウス殿下が時折厩舎に来ているのを知っている人が関わってるはずよね。
すると、内部の人間が犯人か、それとも情報をリークしただけか・・・。
しばらくグルグル考えてみたが、やがてきっぱりと諦めた。
「はー。こうゆう裏工作的なのを調べるのは、シャトーの専売特許でしょう」
いもしないシャトーに愚痴ったところで、自分で調べるしかないのだが、正直言って調べ物は苦手だ。人には向き不向きってあると思うの。
「とりあえず、兄さまにこの矢とトラップの残骸を送りつけて報告しなきゃだよねぇ?」
一瞬、魔王がいい笑顔をしている姿を思い出して、ぶるりと震えが走った。
しばらくは、大人しく今以上に用心しよう・・・色んな意味で。