だから近いって!!
屋敷の掃除を終えた私は、裏庭の掃き掃除を始めようと箒片手に裏庭へと向かった。
ついでにライオールにあげようと、厨房でもらった残飯もある。
ライオールとは、あの事件以来定期的に見回りする私に慣れたのか、すっかり仲良しになりリシウス殿下への愛を(主に私が一方的に)語り合う仲になっている。
「うー。それにしても寒い」
息を吐くたびに白く霞む息で、思わず両手を擦り合わせて、ふと、自分のあかぎれまみれの手を見て苦笑がもれる。
「ご令嬢の手とは言い難いわね」
元々暗器やらなんやらを扱うものだから、手は固くなり、ご令嬢の白魚の様な手とは縁遠かったが、冬の水仕事後の手は別格だと思う。
社交シーズンでダンスを踊る時までに治ればいっか、と考えて、さらにどうせ手袋するからあんまり関係ないかな?とかなんとか、ぼんやり考え事をしていると僅かに人の気配を感じて目を細めた。
腰に仕込んだ暗器を服の上からそっと触れる。
ゆっくりと、人の気配を追って歩みを進めて裏庭の一際大きな木の下で止まり、一瞬の緊張が身体を駆け抜ける。
「上?」
気配を感じ取って上を見上げるや、深い青色のそれはそれは美しい瞳と目が合う。眩い金髪の天使・・!!いや、もといまさかのリシウス殿下が枝に止まってる!?
「えっ!?天使!?神!?やっ、え?ちょっ、リシ・・っ!!!!」
混乱して謎の叫びを言い終えない内に、鮮やかに舞い降りた天使・・・リシウス殿下に、いつの間にやらどーしてこうなったのか、茂みの中に押し倒されるという僥倖が自分の身に振りかかっているではないか。
かっ、顔が近い!綺麗!眩しい!尊い!!!
思わず起きながら寝てるんじゃないかしらと、頬をとりあえずつねってみようと片手を上げると、これまた美しい手で口を塞がれた。
尊すぎて死ねる。あれ?今日って私の命日?
「騒がないで下さい。そして動くのも」
「・・・っ!」
一瞬、息を呑んだ。
ほんの一瞬、瞬きの間もないほどほんの一瞬だけ、リシウス殿下の瞳が紅い輝きを帯びたように見えて。
「魅入られる」そんな言葉がよぎって私の胸の奥をざわつかせた。
ってあれ?本当に辺りが騒ついている?
気付くとリシウス殿下を呼んでいる女性の声が聞こえるような?
「リシウス王子!?リシウス第一王子殿下どこですの?」
目線だけで、茂みの隙間から声のする方へ向けると、何やら赤髪の真っ赤なドレスを身に纏ったご令嬢が目に映った。わぉ。しかも絵に描いたような綺麗なドリル髪だ。
名前を呼ばれて、口を塞いでいる手に僅かに力がこもった。目線をリシウス殿下に戻すと、深い青色が面倒くさそうに目を細めている。
なるほど、どうやらあのご令嬢に見つかりたくないらしい。確かに、何と言うか第一印象、火の玉?みたいなあのご令嬢は、お茶会で少し話した事があるが印象通りのご令嬢だったなぁ。
名前は確か・・おぉ!これまたまんまなスカーレット!そぅ、スカーレット・ベルタ公爵令嬢!
そっかー。彼女確か私と同じリシウス殿下推しだったけー。ここまで追いかけて来ちゃったのかぁ。
うん。分かるよー分かる。許されるなら、リシウス殿下の愛を語り合いたいくらいだわぁ。
ただ、残念ながら彼女は私と違ってリアルに恋してるからなー。
いやー実に残念だわぁ。
推しとうっかりこんな密着しているなんて、非現実過ぎて現実から逃避行している私にいつだって現実は突然降ってくるわけで・・・
「・・・何考えてるか知らないが、その顔やめろ」
「!!○×△□・・っ!!」
耳元で囁かないでほしい。息が、息が耳にかかってるから!!!死ねる!死ねるよ!!それに、それに腰に、腰に美声が響くのよ!
思わず絶叫しそうな私にリシウス殿下はますます口に当てている手に力を込め、ますます顔が近くなると言う・・何この更なる拷問。
今なら口から心臓が飛び出る意味がすこぶる分かるよ!!口押さえられてムリだけど。
「あれが去るまで静かに」
「!!!!っ!!」
だからムリだってば!ちょっと本当話かけないで欲しい!
リシウス殿下の息遣いが耳へ肌へと触れる。
人は恥ずかしさで死ねる!!
涙目になりながら、本当に限界だった。
顔!近い!現実逃避させてくれない!本当ムリ!尊い!眩い!!神!!
心の中で絶叫しつつ、風魔法を使うべく、私は涙でボヤける視界の先で僅かに人差し指を動かすのだった。