6. ケータイ契約ラプソディ
土曜日の昼前、少し遅めの朝食を義母のために準備していた『篤史くん』と私は、寝室から出てきた寝ぼけまなこの義母の機嫌がそれほど悪そうではない様子に、心底ホッとなった。
情けない話だが、義母の機嫌がよいか悪いかで計画は大幅に変わってしまい、肝心の義母の機嫌はその時になってみるまで分からないのだ。
だがそれでも『篤史くん』が義母に相談しなければならない機会は、どうしても年に何度か出てしまう。
だから用事がある際にはどうしてもこうやって休みの日に声を掛けなければならない。
一番直近では『篤史くん』が高校に入る際のお金が20万円程度必要であることが直前に分かり、大慌てで休みの日の義母に頭を下げた苦い思い出がある。
年度末の3月終わり、会社が大変忙しかった義母の機嫌は大変悪く、突如必要になったそれなりの大金の話に烈火のごとく怒り出し、「自分はお金を出さない」「自分で何とかしなさい」などと訳の分からない事を言い出した。
当然の事ながら『篤史くん』に何とか出来るはずもなく、4月の入学式に高校の制服などの準備が間に合わず、なんと『篤史くん』は一人だけ中学校の制服で入学式に出席したのだ。
これにはさすがに学校の方がかなり慌てて、『篤史くん』の入学式は途中で職員室に一人待機となり、義母へは何度も連絡をして事情を確認したり、業者にかなり無理を言って大急ぎで制服などの一式を用意したりとそれなりの大騒ぎになった。
おかげで入学早々学校にも生徒にも悪い意味で目をつけられてしまった。
あの日、仕事中に急な連絡で学校から呼びつけられた義母は、外面だけはいいのでその場でニコニコ笑いながらペコペコ謝り、自宅に戻ってからは大変な荒れようであった。
「どうして必要なお金の話をしなかったの!」
「あなたのせいで恥をかいたじゃない!」
もちろん必要なお金の話は先にしてあったし、義母のせいで恥をかいたのは『篤史くん』だったのだが。
当時の事情の記憶を後から確認させてもらった私としては腹が立つ一方だが、『篤史くん』としてはとにかく大変辛い思い出であったので、義母に何事かを相談するのはいつでも緊張を強いられる一大事件なのだ。
ともかくそんな訳で、『篤史くん』と私は緊張した面持ちで菜穂子さんの前に立つ。
この身体は私がコントロールの主導権を握ってはいるものの、『篤史くん』の影響を受けやすく、今の私は訳もなく不安がいっぱいで喉はカラカラ、震える手を押さえつけるようにぐっと握りしめて、義母に向かって話しかける。
「お、お話があります……!」
蚊の鳴くような声しか出ないが、ともかく出来る限り精いっぱいの声を出す。
コーヒーを片手にぼんやりとスマートホンを弄っている義母が、怪訝そうな表情で顔を上げる。
その眉間には険があったが、この表情は義母のいつものことだ。まだ気分を害したと決まったわけではない。
続けて話しかける。
「そ、そそ、相談したいことが、あるんです……!」
不機嫌な顔をあらわにした義母が、乱雑にスマホをテーブルの上に投げ置くと、身体を向きなおして『篤史くん』を下からねめつけてきた。
「何かしら?」その声色は早くも怒気を孕んでいる。
それだけで萎えそうになる勇気を振り絞って私と『篤史くん』は義母へ訴えかける。
「け、ケータイ電話が欲しいんです……! ぼ、僕も高校生、高校生になったので……! ぼ、僕も自分のスマホが、欲しいんです!」
この訴えに真っ先に反応したのは、ソファーの上でくつろぎながらゲームをしていた義姉だった。
「はあっ!? なに言ってんのあんた! あんた友達いないでしょ!? あんたがスマホなんか持ってなんに使うのよ!」
うるさい黙れ、馬鹿義姉。
びくりとなって飛び上がりそうになる『篤史くん』を宥めつつ、私は心の中で義姉に悪態をついてやる。
だが結果として、この義姉の余計な一言のおかげで義母の菜穂子さんの悪感情が解消され、良い結果となったようだ。
「あら由紀奈。そんな事言うもんじゃないわ。『アツシ君』も高校生になったんだから、スマホくらいはあった方がいいわよね。」
義母はニコニコしながらそんなふうに言ってくる。
気持ち悪い。
義母は義姉の前では母親のフリをしたがる気持ち悪い習性があるので、義姉の余計な一言のおかげで気持ちが悪い母親モードのスイッチがオンになり、気前のいい話を言い出してくれたようだ。
気持ちの悪さに反吐が出る気分だが、結果オーライなのでここは我慢する。
だが、続く一言が『篤史くん』と私を戦慄させた。
「それじゃあお昼に二人で買いに行きましょう。」
待ってくれ菜穂子さん! 何故いきなりそんな事を言い出すのだ! 今まであなたは一度として『篤史くん』と買い物にいったことなどなかったじゃないか!? 全部お前がやっておけなどと押し付けてばかりだったじゃないか!
何を考えているんだこの女性は!
だいたい私はあなた方と同じケータイ会社を契約するつもりは一切ないのだ。そんな事をしてしまったら家族として情報が追跡されてしまって、例えばこの先ケータイ電話の番号を変えたり住所を変えたりしたときに伝わってしまうではないか!
だから私はすでに、あなた方の契約しているケータイ会社とは別の会社の店舗の来店予約を一人で取った後なのだ。
「い、いえ! ひ、一人で契約、出来ます……! 書類とか、準備してあるんです! きょ、許可だけほしいんです!」
「ああ、そう。」瞬時に険しい顔になる義母。「じゃあ私は関係ないわね。一人で勝手にしなさい。」むすっとした表情になり不機嫌そうにそう声を上げる。
くそっ! まったく感情の揺れ幅が分からない! 山の天気もこんなにすぐには変わらないぞ!
だがこれでは困るのだ。
ともかく私はすがるようにして声を張り上げる。
「で、電話が掛かってきます! 確認の電話、なんです……! 今日の午後、お店の人から確認の連絡があるのです!
は、母親あてに、購入の話に間違いないかの、れ、連絡があります!
そ、それに出てほしいんです! い、家の電話か……、ケータイ電話に、お店から電話、電話があるんです……!
電話に出て、母親であることと、子供が買うつもりだってこと、間違いないって、応えてほしいんです……! お願いします……!」
しどろもどろになりながらもともかく言い切って、大きく頭を下げる。
「はあっ?」良く聞こえる声でわざとらしく声を上げてみせる義母。
「なんでそんな面倒をしなければならないの。あなたが勝手に契約して来ればいいでしょう? 自分一人で出来るなら、余計な面倒かけないでちょうだい。」
くそっ! 未成年が一人で契約できるならとっくにしている! それが出来ないからこうして頭を下げているんじゃないか! 人の気も知らないで勝手な事を言うな!
「ほ、法律で決まっているんです! 保護者のど、同意が絶対必要なんです! お願いします……!」
※注:未成年のケータイ電話購入の際の保護者への確認連絡については法律で厳密に決まっているわけではありません。未成年者の法律行為(契約など)には必ず法定代理人(大抵の場合は親)の同意が必要、と規定されているだけです。
ただし、昨今は未成年へのケータイ販売をキャリア側が厳格化しており、各会社の判断で基本は保護者同伴での来店、出来ない場合は電話確認を必須とするようになりました。
なお、MVNO系の会社はそもそも年少者(18歳未満の未成年)への販売をしていませんので篤史くんは契約しようがありません。
ともかくこちらとしてはぺこぺこと頭を下げるしかない。
「お願いします……! お願いします……!」
義母はそんな私を無視するようにして、義姉に向かって声を掛ける。
「由紀奈は今日の午後は暇かしら? せっかくだから二人で美味しいものでも食べにいかない?」
「えー別にいいけどー?」義姉がかったるそうに返事をする。
「お願いします……! お願いします……!」
「どこがいい? こないだ行ったイタリアンのお店なんてどうかしら?」
「えーあそこ? ビミョー。」
ペコペコ頭を下げる私を無視して、どんどん勝手に話が進んでいく。
くそっ! ふざけやがって!
それでも私にできることはオウム返しにお願いすることだけなのだ。
「お願いします……! お願いします……!」
「あんたいい加減うるさいっ!」無視を決め込む義母に変わって、義姉がキレて声を張り上げた。
うるさいのはお前の方だ。お前が私の親権者ならいくらでも話を聞いてやる。けれどもお前は私とは何の利害関係もないのだ。だからお前が私に発言する権利などどこにもないのだ。
私は義姉を無視して義母へと声を掛け続ける。
「ケータイショップからの電話に出て、返事するだけでいいんです……! たったそれだけです……! 家にいる必要もないんです……! 電話に出るだけなんです……! お願いします……!」
「はあっ。」わざとらしく義母がため息をつく。
それからぎろりとこちらを睨みつけてくる。
「気が向いたら電話に出てあげるわ。……それよりもあなた、さっきからうるさすぎます。これ以上騒ぎ立てるようならペナルティを課すわよ。」
私は黙った。黙ったままこちらも義母を睨み返してやる。
貴様のペナルティなど知ったことか! つべこべ言わずに貴様は電話に出ればいいんだ!
馬鹿かこの女は。なにこんな状況で15歳の子供相手にマウント取ろうとしていやがるんだ!
数分ほど睨み合っていただろうか。
程なくして、義母がすっと目を逸らした。
「分かったからもう行きなさい。あなたがそばにいると不愉快です。」
よし。言質は取ったぞ。後で知らないなどと言い出したらブチ切れてやるからな。
私は怒りに任せて大股で自室へと戻る。本当に腹立たしい。
あんな女、死んじゃえばいいのに。
後は準備していた書類などをカバンに詰めて、少し早いが家を出てしまうことにする。
昨日のうちに偽造しておいた義母の同意書もその中にあったが、今の私はこれを使うことに何の罪悪感も感じなかった。
二階から階段を下りてそのまま玄関に向かう途中、チラリとリビングの方へ眼を向けてみたが、義母も義姉も静かだった。
二人でイタリアンだかに行く話はどうしたんですかねぇ? もしかして私を馬鹿にするためだけの当てつけみたいな会話だったんですかねぇ?
バーカバーカ。
私はそのままスニーカーを突っかけて家を飛び出した。
ケータイ電話の契約は、途中までは大変スムーズであった。
入門者向けの安いスマホを見繕って現金での一括購入にする。割賦購入は出来ないのでこれは仕方がない。
※注:携帯電話代金の割賦購入(分割払い)をする場合は、これはローンを組むことになります。そうすると、そもそも18歳未満の年少者はローンを組むことは出来ませんので、保護者に支払いを代行してもらうことになります。この場合は保護者同伴の来店が必須となってしまうため、篤史くんは一括で購入するしかないのです。
3万円程度の端末代を父の遺産から出ている毎月の10万円の一部を使って購入するのは少々心が痛んだが、お金を稼げるようになったらこの金額はすべてお返しする所存である。
また結果として相対的に月に使える食費が安くなってしまうが、どうせあの人達の舌では気付けないだろうからそんなに心配していない。
※補足:本作品の時系列は2018年6月ごろのつもりで書いております。義母、義姉のキャリア・端末はauのiPhone8で、同じキャリアを嫌った『私』はドコモ回線で安い端末を契約、みたいな感じです。
2018年6月のケータイ会社事情を調べてみましたが、ドコモのWithの割引プランがあり、当時アローズビー(F-05K)が3万円5000円前後で5月末に販売開始したようですので、篤史くんが購入するならこのあたりでしょうかね。
保護者なしの未成年1人での来店に、ショップ店員の女は最初のうちは眉をひそめたが、こちらが必要書類を全部揃えていることを予め示すと途端にニコニコ顔になっててきぱきと手続きを始めた。
「母は仕事が大変忙しくて来店する時間も作れないのです……」といったもっともらしい言い訳をいくつも考えていたのだが、殆ど使う必要もなく話が進むのでちょっと拍子抜けしてしまった。
その様子を見た『篤史くん』はあまりにあっさりとした対応にキョトンとなっているが、私にはある程度の事情が分かる。
店員がせっせと作成している書類をチラリと覗き込むと、頼みもしていない動画サービスの契約だとか保証サービスの契約だとかが、雪だるま式にたくさんつけられていた。
オプションをたくさんつければつけるほどインセンティブでショップに沢山お金が入るそうだから、『篤史くん』のようなよく分かっていない未成年はいいカモだとでも考えているのだろう。
だからこのショップ店員の女はニコニコと笑いながらも契約を急ぐのだ。
本来の私ならブチ切れるところだが、これは『篤史くん』の契約なのだからあまり波風は立てたくない。
私は苛立つ気持ちを押さえつつ、とにかく手続きが進むのをじっと待ち続けた。
いよいよ義母への確認の電話を入れる段となった。
連絡先の電話番号については自宅とケータイと2つ番号を記載しておいたから、万一イタリアンとやらに出かけていても電話に出ることは出来るだろう。
だが、義母が電話に出てくれるかどうかは全くの未知数だ。
先ほどの感じでは機嫌を損ねてしまい、拗ねた義母が腹いせに電話に出ない可能性は大いにあり得る。
あるいは電話に出ても話をご破算にしてしまう可能性だって充分に考えられる。
ただし義母は気まぐれな女だ。
あれから1時間程度の時間ですっかり機嫌をよくしている可能性もある。
私は祈るような思いでただただ目をつぶりその場で頭を下げた。
果たしてあっさりと義母は電話に出た。
ショップ店員の女が何事かを話しかけ、確認作業が進んでいく。
クソっ! 女の声が小さすぎてどんな話をしているかまるで分からない。
「えっ?」とか「ええっ?」とかときおり驚いている様子もあり、どうにも話がおかしな方向にねじ曲がっているようにも見える。
何より明らかに時間がかかりすぎている。
頼む! 頼む! 頼む!
永遠とも思えたやけに長い10分に、私は胃の中のものがせりあがってくるのを感じた。気持ち悪くて仕方がない。
ようやっと電話が終わったショップ店員の女が顔を上げると、残念そうな顔になった。
私はすべてが終わったと感じ、その場に崩れ落ちそうになる。
続く女の一言があまりに意味不明で、私は状況が分からずに混乱することになる。
「お母さまのご希望でフィルタリングの契約をさせていただきます。」
は? なんだそれは? 意味が分からないぞ!
確かに同意書にはフィルタリングがどうこうなどとよく分からない一文があったため、私は不要にチェックを入れておいた。
さらには何やら追加の同意書が必要なようなので、そちらも適当にサインして持ち込んでいた。
※補足:未成年の携帯電話フィルタリングの義務化は2018年の2月施行です。出来立てほやほやの新制度ですから、もともと成人だった『私』には無縁の話となるためよく分かっていなかった、という設定です。
それが契約? なんだ? ケータイ自体の契約の話はどうなったんだ?
混乱する私の様子を気に掛けるでもなく、ショップ店員の女は同意書の該当欄の項目のレ点を書き直した。
あっ!
この女! 親権者である義母のみが書くべき同意書を勝手に書き換えやがったぞ!
違法行為じゃないか!
私は一瞬ショップ店員の女に詰め寄ろうとして、慌ててその場で思いとどまった。
そもそもこの同意書は私が勝手に書いたものである。それをさらにこの女が勝手に書き換えたとして、どのみち嘘にまみれた書類なのだ。
今さら私がどうこう言える立場ではないのだ。
それにここで揉めて書類の再作成などになったら、その時の義母の機嫌次第では契約できないかもしれない。
私はぐっとこらえて、言葉足らずの店員の女の話に適当な相槌を打ちつつ、ともかく話が全て終わるのを待った。
時間だけはかかったが、あっさりと契約は成った。
たかだか小一時間程度の契約手続きですっかりとクタクタになってしまった私は、重い身体を引きずるようにして携帯電話ショップの自動ドアをくぐった。
たかだかケータイ1台契約するだけである。
こんなの、成人していればNET上の手続きだけで10分くらいで終わる簡単なもののはずである。
それがただ未成年だから、義母と仲良くないからといっただけの理由で、こんなにも振り回され、へとへとにさせられるのだ。
家に帰ると、ニコニコ顔の義母が待ち構えるようにして出迎えてくれた。
「一人で契約できたの? えらいわねぇ。」などと猫なで声で話しかけてくる。
なんだこの女は。
朝の不機嫌なアレは何だったのだ。
「はあ。まあ。」などと適当に返事をしてやると、義母はころころ笑いながらも嬉しそうにおかしなことを言い出す。
「やっぱりこれくらいのことは何でも一人で出来るようにならなきゃねぇ。そうでなければこの先大変だものねぇ。」
はあっ!? なんだこいつ!? なに言っているんだ!?
私はむかっ腹が立って仕方がなかったが、ともかく我慢して「はあ。まあ。」などと適当に相槌を重ねておく。
恐らく義母はこういう女なのだ。立場の弱い相手に対して訳の分からない試練を与えて、乗り越えると「私が育てた」とか訳の分からない事を言い出すのだ。
その裏で、困り果てた『篤史くん』の顔を見て優越感に浸っているのに違いないのだ。
このサディストめ!
私は腹の中で悪態をつきつつも、ここで心証を悪くして契約がご破算になっても困るので、ともかく堪えて我慢を重ねる。
義母は私の気も知らずに嬉しそうにさらに話しかけてくる。
「どんなケータイを買ってきたのかしら? 見せてちょうだい?」
私は逃げ出したくなった。なるべくこの人達には自分のケータイを触らせたくないのだ。変な操作をされても困るし、設定したアカウント名や電話番号を知られるのがとにかく嫌なのだ。
だがここで断れば却って心証が悪くなる。私は自分の端末を仕方なしに義母に渡す。
義母は「へー。」とか「ふーん」とかジロジロと眺めつつも操作を始め、画面にロックがかかっているのに気付いた義母は解除するように促してくる。
私は仕方なしにパターンロックを解除してみせる。その様子を覗き込んでくる義母。
クソっ! 後でパターンを変更しておかなければ。
待ち受け画面に推移した端末を奪うようにして取り上げた義母は、そのまま勝手にどこかに電話を掛ける操作をすると、テーブルの上にあった義母のスマホが着信音を奏でる。
義母が自分の端末宛てに勝手に発信したのだ。
そのまま義母は自分のスマホの操作を始め、電話帳に着信のあった番号の情報を登録してしまう。
これで私の電話番号が義母にバレてしまった。私は、まっさらな白い端末が購入早々手垢にまみれ汚されてしまった印象を覚え、とても嫌な気持ちになった。
「あなたも自分のスマホに私の番号を登録しておきなさい。」
義母にそう促され、私は「……はい。」と返事することしかできなかった。
もちろん後ですぐに削除する予定だし、何なら将来的には着信拒否設定をするつもりもあるが、まずは言う通りにしておかなければ何を言われるか分かったものではない。
気持ち悪い。
「うわっ。ダッサ!」いつの間にか近づいてきた義姉が私のスマホを覗き込み、開口一番にそう感想を述べた。
「安っぽー。なにそのダサいスマホ!」
うるさい黙れ、馬鹿義姉!
お前が持っている最新のiPhoneと一緒にするな!
だいたいお前、あんな高性能な端末持ってても使いこなせていないだろうが!
使えもしない最高級端末を毎年義母にねだって親の金で買い替えているお前の方がよっぽどダサいだろうが!
「まあまあ由紀奈。『アツシ君』はまだ子供なんだからこれくらいでちょうどいいのよ。それより由紀奈。『アツシ君』は自分だけで契約してきたんだから、次からはあなたも一人で手続してきなさい。いいわね?」
「えー? いや無理だし。」
「あなたの方がお姉さんなんだから出来るでしょう。」
「えーっ……。」
「えーじゃありません!」
義母と義姉が二人だけの会話を始める。どうやら義母の本音は義姉へのお小言だったようだ。
義姉は面倒な事をなんでも周囲に押し付けたがる癖があり、そのほとんどが『篤史くん』のところにやってくるのだが、スマホの機種変のような面倒はすべて義母にやらせているようだった。
その事が義母には以前から納得いってなかった様子で、これを機に義姉を叱りつけようという魂胆なのだろう。
だが義母よ。お前の実娘は一人で何もできないガキンチョだぞ。見てくれだけは大人びていて頭の出来も悪くないのだろうが、性根は幼稚園児からまるで成長していないクソガキなのだ。そんなお子様の義姉が一人でスマホの機種変なんて出来るわけないだろうが。
義母は実の娘がどれだけ愚かな娘かまるで理解していないのだ。
義姉は義母に対しても外面を良くしてよそ行きの態度で付き合っているところがある。義母の前ではいい子のふりをしていれば勝手に騙されて甘い対応をしてくれると足元を見ているのだ。
この母娘は表面上は仲良しのふりをしてるが、その裏ではお互いろくにコミュニケーションも取れていない気持ち悪い母娘なのだ。
だからふとしたきっかけで化けの皮が剥がれて、醜い言い争いに発展する。
「なんであたしがそんな面倒なことしなきゃなんないのよ。そういうのは全部『アツシ』にやらせとけばいいじゃん。」
「はあっ!? あなた自分が何を言っているのか分かっているの!?」
今がまさにそうだ。
何でも周りが代わりにやってくれると思っている甘えん坊の義姉と、自分へ面倒を掛けられるのが死ぬほど嫌な義母は実際にはお互いの意思疎通が全くできていないから、少しでも利害がぶつかるとあっという間に大炎上するのだ。
「『アツシ君』が出来ることがあなたに出来ないわけでないでしょう!?」
「いや無理だって。フツーは親に何とかしてもらうもんだって。あたしの友達はみんなそうしてもらってるって。」
「ともかく私はもうあなたのスマホのお金は払いません! 自分のお小遣いでなんとかしなさい!」
「ありえねーし! フツーは親が払うもんだし!」
「そんな事ありません!」
……どうやら義母は、以前から義姉のスマホのお金がかかりすぎていることが気になっていたようだ。おそらく毎年の機種変代金だけでなく、普段のパケット料金などがすごい金額になっているのだろう。
それで今回の『篤史くん』の件を引き合いにして義姉に払わせようという心積もりらしい。しかし義母よ、これはあまりにも話のもって行き方が突然すぎるぞ。
あなたは前々から腹に据えかねていたのかもしれないが、突然言われた義姉はそりゃあ反発するに決まっているだろう。もう少し手順を踏んで段階的に話をすればいいのに、いきなりの事でさしもの義姉も混乱しているようだぞ。
「ともかく私は払いません!」
「ふざけんなよ! そんな話きいてねーし!」
醜い言い争いに発展しつつある。
おかしな話だ。義母と義姉は午前中の話では二人でイタリアンかなんかで美味しいものを食べてくるような話をしていたような覚えがあるのだが、結局どこにもいかず、こうして自宅で仲良く喧嘩をしている。
姉妹みたいな仲良し母娘。友達母娘。
調子のいいとき、都合のいいときは二人して気持ち悪い偽善者母娘を演じ合っているくせに、一皮むければこんなものか。
だがある意味言葉通りの仲良し母娘に見えなくもない。同じレベルで醜く争える母親未満、子供未満のガキ同士の喧嘩なのだ。
私はゆっくりと後ずさり、少しづつ二人から距離を置く。
『篤史くん』の存在も忘れ言い争う二人はそんな私に気付けない。しめしめ。
そっと逃げ出すようにして、私は二階の自室へと戻ってくる。
扉を閉めてもまだ二人の声は聞こえてきた。
「だいたいあなたは無駄遣いが多すぎます!」
「はあっ!? 今どき2万じゃ何にもできねーって! むしろ全然足りないんですけど!」
一生争ってろ、バーカバーカ。
せっかくだからどういう争いに発展していくのかしばらく聞いていたい気もしたが、残念ながら、高みの見物をするよりもよっぽど大切な作業が残っている。
私は携帯電話のインターネット手続き専用サイトを開き、先ほどのショップ店員がろくな説明もせずに大量につけていったクソみたいなオプションサービスを、ひとつづつ全部解約していった。
通信の最適化だとかいうクソ設定やお店のご案内メールなども全てチェックしてオフにしていく。
他にもソフトウェアの更新をWi-Fi経由のみにするだとか、スリープ中もWi-FiをONにしておくだとか、アンドロイドのスマホを使いこなすにはあれこれ細かい設定変更が山積みなのである。
あれこれ一通り変更などをして全てが片付くころには階下の争いは沈静化していた。
どう決着がついたのか知らないが、別にどうなろうと知ったことではない。
やれやれ。
なにもかもがクソったれな一日ではあるが、ともかくこれで私は自分だけの電話番号を手に入れることが出来た。
今はその事を素直に喜ぼう。
さあ、明日から待望のアルバイト探しだ!
同意書だけで保護者への電話確認とかせずに未成年に販売しちゃってるケータイショップ、今でもあるんですかね?
あるなら『私』がネット情報を駆使して該当のショップを探し出し偽造の同意書だけで契約させるエピソードにしようかと思っていたんですが、ちょっと情報なかったんで止めておきました。
一昔前まではざらにありましたでしょうけれど、さすがに今はねぇ。
まあ作者個人としては「同意書だけで契約するショップさんが今でもあるようなら、すぐに止めなさい。必ず保護者に連絡しなさい。」と考えております。
あぶねーですから。
もともと携帯電話契約の身分確認が厳格化した背景には2000年代初頭の「飛ばしケータイ」問題があり、ようは犯罪行為の温床になっていたわけですよ。
これの対策の一環としてプリペイドケータイがなくなったり契約者確認が厳しくなったわけですが、合わせて未成年相手のケータイ電話販売もちょっとづつ厳しくなっていったと認識しております。
子供がホイホイケータイ契約できるの、マジで犯罪の温床になりえますからね……。