そのカフェは香りを運んでーSide 樹ー
もはや、シリーズ名は「秒で読了」にしようかな。
中身のなさがウルトラ級。
でも、樹はハルを見つけました。
週明けの月曜日は、これからの一週間に対しての気合と、それと同時に週末の未練を残してスタートする。
「樹、今日の4時、空いてる?」
「あー…、クライアントとの打ち合わせが延びたから…特に何もないと思うけど?」
「それは好都合。頼む!俺ちょっとダブルブッキングしちゃってさ!
この資料を持って参加するだけでいいんだ!このミーティング俺の代わりに頼んだ!」
「資料持っていくだけって…まずなんの打ち合わせなの?」
「今期でリニューアルする商品のパッケージデザインと、広告のビジュアル確認。もうだいたい了解取れてるからあとは本物の色味を見せてOKもらうだけ!」
「え、それって結構繊細な問題なんじゃない?質問とかされても困るんだけど…」
「マジでやばそうだったら連絡して。携帯はいつでも取れるようにしておくから!」
腐れ縁同期の真島の押しに負けて時間通りに、自社ビルの6階の小会議室に向かうと、
ドア越しに女性の姿が見えた。
髪を耳にかける姿と、金の腕時計。
あ、….。あのカフェの….。
そこにはあの豪雨の夜に見かけた女性がいた。
勝手に彼女を神聖化した自分がいて、不思議な緊張感に息を吸って、吐いて、軽く二回ノックしてドアを開ける。
「お疲れさまで….あ、あの、えっと?あ、すみません、小会議室の予約まちがっていましたか….?一応4時から予約してたのですが…」
予想していた顔ではなかったことに彼女は顔をあげて不思議そうに尋ねる。
僕の中で絵画になっていた彼女が声を出していることに違和感を覚えた。
「いえ、あの、お疲れ様です。企画の佐和田と申します。本日真島は急用で来られなくなっていまして….大変申し訳ないのですが、私が本日は担当させていただきます。」
はじめまして、とはわざと言わなかった。
彼女は特に気に留めた様子もなく、ああ、と少しホッとしたような顔を一瞬みせて、パッと仕事の顔に戻った。
「そうだったんですね。デザイン部の澤野と申します。よろしくお願い致します。では早速こちらの色味なんですけれども、頂きました見本では….」
彼女は淡々と仕事をしていて、あの絵画ような繊細で今にも消えてしまいそうな彼女と似ても似つかないように思えた。
ーーーー
「…かしこまりました。では今日いただきました、修正案を真島に伝えておきます。
本日は真島が外してしまって本当に申し訳ございませんでした。」
「いえ、もうほとんどメールでお伝えしていたような内容でしたので、お気になさらないでください。佐和田さんも、お忙しい中、お時間を作ってくださり、ありがとうございました。一応、真島さんから確認のメールだけよろしくお願いします。」
向かい側に座っていた彼女が席を立ち、僕も席を立った。
会議室の入り口のドアを開けた僕が、どうぞ、とうながすと、遠慮がちに会釈しながら、彼女が僕の前を通る。
あ、あの森の香り。
「あの、」
思わず、引き止める。
「…?」
「.....いえ、今日はありがとうございました。またよろしくお願いいたします。」
次の言葉が見つからず、なんて声をかけたらいいのか、わからなかった。
ただ、もうすこしだけ。この都会のビルの中で香る深い森の香りを留めておきたかった。
この感情に名も答えもない。ただ、もう少しだけ。
はい、ということでですね、
よくわからない感じなんですけれども、
とりあえず、出会ったね、という。
お互い認識しましたね、という。
意識すると、不思議とまた出会うことって何事においてもありますよね。
本当にまるで用意されているとしか思えないような。
どうでもよい私事ですが、
一度運命のいたずらとしか考えられない出来事に直面したことがあります。
当時の彼氏とひどい別れ方をした3ヵ月後、
なぜか国外線の飛行機の中でばったり、それも隣の席になったことがあります。
ドラマじゃなくて、作り話でもなく、リアルに。
目的地までの十数時間。
最初は信じられないほど気まずく、
近くの人に席を変わっていただけないかお願いしようとまで考えましたが、
余りある時間をもてあまして、少しずつ当時の自分たちの思いとか、実はこんなことがあって...
など、お互いに別れた傷跡になった部分を少し客観的に話し合い始めました。
飛行機から降りる頃には傷つけた罪悪感も、傷つけられた爪痕も、すこし和らいで、
自分もお互いも許せるような気持ちになったことを思い出します。
本当に不思議な体験でした。
余談が長くなってしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございました。
泉