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金木犀の並木道で

作者: 味噌田楽
掲載日:2019/02/10

 爽やかな日差しと緑の下、いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。


 珍しくその気になって始めた大掃除で、私は懐かしいものと出会った。それは一葉の葉書、かつて私がしたためて、そのまま忘れ去った絵葉書がそこはあった。拾い上げて埃を払う。綴られた言葉の数々の筆跡はあの日と全く変わらない。その懐かしさに思わず、私の目は絵葉書にくぎ付けになる。


 君が町を出てからひと月ほどが経ちました。そちらの暮らしはどうですか。きっと慣れてきた頃だと思います、そうだと良いけれど。今度、帰ってくるときは教えてほしいな。近々、そちらにも遊びに行きたいと思います。落ち着いた頃に連絡ください。


 よそよそしいようで、なれなれしい文体。多分、緊張していたのだろう。私はひとりでにはにかんだ。あの頃は、彼に葉書なんか書いたことはなかった。そんなことをしなくても、会いに行けば良かったのだから。

 葉書を裏返すとそこには金木犀の並木道と緑色のベンチの絵が描いている。金木犀は枝中に小さな花を咲かせていて、その暖かな橙色は見ているだけでもあの甘い香りを感じさせるほど美しい。



 ある日、彼がふらりと私を訪ねてきて私を遊びに誘ったことがあった。私はいつものことだと思い、彼の誘いを二つ返事で了承したのだが、この日の彼は違っていた。いつもの丘や川辺とは違った方向に歩く彼。どこに行くのかと私が尋ねても彼は少し笑うだけで答えはしない。

 やがて彼の歩みが止まった。ここは駅だ。彼が窓口で切符を買い、ホームへと入っていく。私も彼を追いかけるように切符を買うとホームに駆け込んだ。彼はホームのベンチに座っていた。私も彼の隣に腰掛ける。彼は何も言わずに列車を待っている。私は尋ねた。どこへ行くのかと。彼は少し笑った。これまでと同じように。そして口を開いた。

「良い所。」

やがて、列車がホームへとやってきた。


 それから私たちが列車を降りたのはおよそ一時間後のことだった。彼はホームを出るやいなや私の手をつかむと真っすぐに駆け出した。必死に私は彼について行く。真昼の街を駆け抜ける二人。戸惑う私が見た彼の表情は駅を出る前よりもずっと明るく、無邪気だった。

 しばらくすると私の目に見えてきたものがあった。公園だ。それも私の街の公園とは全く違った、モダンで都市的、お洒落な公園。甘い香りがする。

「もうすぐだよ。」

彼が上気した顔で言った。私はようやく、彼が私をここへ連れてきた理由が分かった。

 

金木犀の並木、これこそが彼が私に見せたかったものだった。彼が走るのを止め、ゆっくりと歩き始める。もちろん私も同じように歩き始めた。

「金木犀、お前が好きだと言っていたから。」

彼が言った。私はありがとう、と微笑んだ。

 並木道に絵葉書を売る青年がいた。聞くと絵葉書は青年が一枚一枚、自作したものだという。私たちは記念に一枚ずつ絵葉書を買うことにした。広げられたシートの上には四季折々の公園が描かれた絵葉書が所狭しと並んでいる。二人が買ったものは言うまでもない。

それから、二人は石畳の遊歩道を並び歩いた。誰もがそうであったように、甘く、不思議な金木犀の香りを味わいながら。



今となっては懐かしい思い出だ。季節はまさに今頃の、秋祭りの季節。そんな時期にこれが私の目の前に現れるなんて、何かの巡り合わせだろうか。そう思うと、私の目に絵葉書が恐ろしいものに映り始めた。

文をしたためたのは何年も前だというのに、今となって私にどうしろというのだろう。思い出はもう、それ以上にもそれ以下にもなることはできないというのに。私は絵葉書を伏せ、床に置いた。消印のない宛名が見える、見ている。

私は絵葉書から逃げるように大掃除を再開した。けれども、どうにも身が入らない。気が付けば私の脳裏にはあの日の金木犀が浮かび上がってくる。必死にかき消しても消えてはまた浮かび上がってくる。それもあの、甘い香りを伴って。

私はもう、我慢の限界だった。飛び上がるように立ち上がり放られた絵葉書を取り上げるとその一辺に両手をかけて、その手を互い違いの方向に引っ張った。しかし、絵葉書はびくともしない。私は両手に加えた力を強めた。それでも絵葉書は破れない。両手の震えが増すばかりで、まるですすり泣いているようにさえ見える。

この時、ようやく私はこの閻魔帳の一頁に逆らうことができないことを悟った。そして小さな鞄に荷物を詰め込むと、散らかった部屋を後にして家の門を開いた。


私が再び公園に足を踏み入れたのは空が赤く染まりつつある頃のことだった。数年ぶりに見る公園の景色はあの日とほとんど変わっていない。石畳の遊歩道、緑色のベンチ、そして金木犀の木々。あの甘い香りもあの日のままだ。

私は一人、金木犀の並木を歩いた。初めはただ懐かしさにひって歩いていた。けれども、やがて何かがあの頃と違うことに気が付いた。それが何かはよく分からないが、とにかく何かが違う。その違和感の正体を明らかにしたくて私は公園をうろつき始めた。

街灯、花壇、噴水。色々なものが私の目に入ってくる。それらは違和感の正体ではないようで、ただ懐かしいだけだ。私は違和感の出処を探し回ったが、一向にその在り処は掴めない。

私は一人で探すことを諦め、誰かに尋ねることにした。花時計、東屋、ブランコ。手ごろな人を求めて公園を歩く。けれども、どこも人気はまばらで、誰もが公園に変わったことはないと言う。


やがて金木犀の並木道まで戻ってきた。公園を一周しても全く分からない違和感の正体。きっと気のせいだったのだろう。これほど探し回ったのに答えは見つからないのだから。気づけば太陽は西の空に沈みかけていて、東の空は瑠璃色に染まり始めている。今日はもう帰ろう。懐かしい金木犀の花に再会できただけでも十分だ。とうとう観念した私は謎解きをあきらめて家に帰ることにした。

公園を出ようと私が遊歩道を歩き始めたその時、誰かが私を呼び止めた。振り返るとそこには一人の男が立っている。確か、かつて私がこの公園で絵葉書を買った青年だ。あれから月日は流れたというのに、私のことを覚えていたらしい。青年は私との再会を喜ぶと懐から一枚の絵葉書を取り出した。水彩で描かれた金木犀の並木道、私が買ったものと同じ絵柄だ。青年も私と同じように金木犀が好きなのだと言った。そして彼の持っている絵葉書が最後の一枚だということも。

驚いた私は青年に事情を尋ねた。聞くところによると、彼は去年に絵を描くことを止めてしまったそうだ。今は町の郵便局で働いていると言う。私が絵を描くことをやめた理由を尋ねると青年は言った。

「私には勇気がなかったのです。」

そしてすぐ、付け加えるように言った。

「今となっては大切な思い出です。」

青年の瞳は潤んでいた。私にも青年の気持ちが分かるような気がした。



やがて公園に時報の音楽が流れ始めた。そろそろ駅に向かわないと帰りが遅くなってしまう。私は青年に別れを告げると青年は微笑んだ。

「今日はお会いできてよかったです。この頃は金木犀の為に公園を訪れる人も減ってしまったものですから。」

 その時、私の胸のつかえが取れた。人気の少なさ、これが私の今まで感じていた違和感の正体だ。以前この公園を訪れた時、沢山の人がこの並木道を歩いては金木犀の色香に魅せられていた。それなのに今とでは行く人もまばらで、金木犀の前で足を止める人となってはほとんどいない。公園を訪れた時刻が遅かったので人気が無くなりつつあるのだと無意識の内に思っていた。そうではなかったのだ。

 私は青年にその理由を尋ねた。青年が答える。

「今では、金木犀の香りは好まれないものとなりつつあるようなのです。この頃、店に金木犀の香りの消臭剤が並んでいるのをよく見かけます。トイレで使うそうです。きっと、それを思い起こすのでしょう。」

 そう言った青年の表情にはやるせない思いを滲ませていた。私も同じ思いだった。


 私は今度こそ青年に別れを告げて公園を去った。日はとっくに暮れていて、並木道を行く人はもういない。門の向こうには賑やかな街の風景が一面に広がっている。振り返って見た金木犀の並木道は暗く、どこまでも続いていくように見えた。私は金木犀の不思議に甘い香りの秘密が分かったような気がした。


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