愛人とのはがき
はがきを受け取った日は、桜がとても美しい季節だった。
会社の人たちと夜桜見物をして帰宅すると、ポストの中に、数通のダイレクトメールと1枚のはがきが届いていた。
まひるはいつものように無造作にそれらを取り上げたが、裏返してはがきを見るなり、心臓の鼓動が早くなった。
差出人はまひるの元夫、正和からだった。
(…へぇ、そうなんだ…。 結婚したんだ…)
なぜか喉もカラカラで、手が微かに震えていた。
はがきの表には仲良く寄り添った2人の写真と【結婚しました】と印刷された文字。
そして、2人の新居が記されていた。
見慣れた文字で【元気ですか】と最後に一言つけ加えてある。
正和はいつもと変わらない真面目な顔で写っていた。
その隣には、当時の愛人、早苗が勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべて白いウエディングドレスに身を包み、彼の腕にしがみついていた。
(一体、何なんだろう…。この気持ちは…)
まひるは軽い吐き気とめまいを覚えた。
離婚してから、まだ半年。
まひるはまだ心の傷が癒えないまま、何とか新居と新しい仕事を決めて、新生活をスタートさせたばかりなのだ。
なのに、正和は愛人と結婚して、当時の愛人と幸せになっている。
何だか、ひとりだけ置いてけぼりを食らったようで、まひるはとてもショックだった。
自分だけが損した気がして、悔しくなった。
いや、結婚している時からずっとつきあっていた彼らのことだ。
さぞかし、離婚出来ることがどんなに待ち遠しかったことだろう。
そんな彼らは、今、まひると正和が一緒に住んでいたマンションで暮らしている。
(わたしたち…。あんなに愛し合っていたのにどうしてこうなっちゃったんだろう…)
はがきを握り締めたまま、玄関に座り込んでしまった。
離婚したショックはとても大きかったが、ようやく正和への未練もなくなり、気持ちを切り替えたはずなのに…。
涙がとめどなく溢れてきて、どうしようもなくなった。気がつくと、まるで子供のように声をあげて泣いていた。
まひるが結婚していた頃、夫の愛人の名前が<早苗>という女だということしか知らなかった。その頃はまだ彼女の顔は知らない。
(この人だったんだ…)
初めて見る元夫の愛人の顔に、まひるは心を痛めた。あの頃と同じように、知らない方が良かったかもしれない。
ずっと<見えない愛人の存在>に怯えて過ごし、苦しみ続けていた分、こうしてふたりが結婚したという現実を突きつけられると、さすがに 「おめでとう。良かったね」 なんて素直に喜べない。
正和は離婚した後も、まひるのことを気にかけてくれ、仕事を世話してくれたり、新居を探してくれたり、引越しも手伝ってくれたり、まるで仲の良い友達のようにとてもよく尽くしてくれていた。
まひるはその事についてとても感謝していたのに、その裏側では着々と早苗との結婚の準備をしていたんだろう。
いっそはがきを破り捨てたい衝動に駆られたが、その頃はまだ破り捨てられなかった。
―― そっと日記に挟み、封印した。――
まひるが正和に出逢ったのは20歳の時だった。
友人の紹介で行ったテニスで、初めて出逢った。
とても繊細で優しい目をした男だった。
細々とみんなの世話をしながらも、いつもその中心にいて、みんなを笑わせたり、リーダーのようにとりしきっていた。
正和は運動神経も良く、かっこいい。
テニス仲間の中でも、ひときわ輝いていた。
初めて出逢ったその日、正和はまひるに一目惚れをした。そして、その日の帰り際に車の中で告白された。
だけど、まひるにとっては男友達のひとりにすぎなかった。
その当時、まひるは他の男性からもアプローチされていたので、いくら正和から「つきあってほしい」と言われてもOKを出せなかったのだ。
それに、まひるにはずっと学生時代から想い続けていた人がいた。やはり恋人にはなれない。
だけど、正和からの情熱的なアプローチを受け続けているうちに、いつのまにか友情が恋へと発展し、東京←→ロンドンの遠距離恋愛を経て、ふたりは結婚することになったのだ。
つきあって6年。
結婚して8年。
そして、結婚生活は破綻した。
長い間一緒に過ごしてきたので、まひるにとっては特別な存在だった。
青春時代の思い出がいっぱいある。
結婚した時、ふたりはとても幸せだった。
この人と一生一緒で、幸せな結婚生活は続いていくと思っていた。
それなのに…。
(…何よ、今さら…。こんなもの…)
まひるは深いため息をつきながら、静かにはがきを破り捨てた。