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アーサーは、わたしをみつめている。あの、薄い色の眼で。
氷みたいな涼しげな色のはずなのに、なんだかいつもと違う。蝋燭の火が、映っているせいだろうか。
「わたしが質問する番だ。二回」
さすがアーサー、という言葉を飲み込んで、わたしは質問をうながした。
「どうぞ」
「君はどうだったのだろう。なんとしても帰りたいと、思ってくれていたのかな?」
すぐには答えられなかった。
だって、そうでしょう?
今の話を聞くまで、わたしは自分がロンロンから攫われて来た、ということすら把握していなかったし。
ふたつのゲームが、クロスオーバーしてるというか、コラボレーションしてるというか、フュージョンしてるというか……いえばいうほど意味不明になってくるけど、えー、つまり!
ここはゲームの世界だ、と直感したとき、その「ゲームの世界」という言葉があらわすのって、『聖痕乙女』の世界、だけだった。
ロンロンは念頭になく、記憶にもなかった。
存在してると思いもよらない場所に、帰る、なんて発想できるわけない。
でも、どう説明すればいいんだろう。
アーサーは、わたしの答を待っていた。
問い詰めたかっただろうに、彼はそうしなかった。
しかたなく、わたしは言葉を探した。説明するための言葉。でも、探せば探すほど、自分自身、なにもわかっていないと実感するだけだった。
「わたし、記憶が曖昧になっているんです。信じていただけるかはわからないけれど、あの魔族の城で、なんだか急に、正気に戻ったような心地がしたのです。自分が自分に戻ったというか……」
前世があることを意識したせいで、現世がぼんやりしちゃった、みたいな感じなんだけど、そこも説明した方がいいのか、悩む。
不思議大嫌い人間のアーサーに、これ以上の譲歩を望みたくないし、わたし自身、なんかそんな話はしたくない。
あなたはゲームの登場人物ですよ、って。どうなの。それ。
口ごもっていると、アーサーが控えめにアシストしてくれた。
「わたしたちのことは、覚えていたようだが」
「ええ。お顔を拝見すれば、思いだせました」
アーサーの場合は、あの立派なルビーのカフスボタンで思いだしたわけだけど!
あのルビーは、アーサーの亡き母上の思い出の品で、つまり、アーサーは若干マザコン気味です。祈っても母を救ってくれなかった神を手始めに、すべての「奇跡を標榜するもの」を憎んでいます。
だから、超自然現象は全体に彼の敵なわけ。
ルビーは彼の血の涙だ、と表現したロンロン市民がいましたが、まぁわかる。
……といった感じで、思いだしたのは、あくまでゲームの記憶。攻略サイトの善きロンロン市民たちの書き込みや、ゲーム画面、キャラクターのイラスト、イベントの発生条件、といったことばかり。
前世の記憶、ほぼゲーム攻略情報だけって、どんだけゲーマーなんだよっていうのも個人的には笑うしかないんだけど、自分の中でなら笑って済ませることができても、アーサーに説明することを考えると、全然笑えない。
だって、現世でのアーサーたちとの関係については、微塵も記憶がないって、それを口にしていいのか、人として。
アーサーだけじゃない、シルヴェストリだって……あの、思い出す直前の会話から記憶がスタートしていて、その前は、なにもない。
そう、よく考えると、なにもない。
自分で勝手に、ゲームの情報から推測していただけで、連続した記憶というものが、ない。
これを「思いだした」と表現するのは、気がひけるよね。
嘘をついてるみたいな気分。
アーサーは、わたしを凝視している。言葉だけでなく、仕草や表情、わたしのすべてを読みとろうとしているみたいだ。
「でも、なにもかも、遠い夢のようで」
ほかに説明のしようがなくて、わたしは無理矢理そうまとめた。
「帰るべき場所として、思い浮かぶことはなかったんだな。では、あちらの世界が、君が本来属すべき場所、ということか……。なかなか厳しいな」
「すみません」
「謝ることじゃない。次の質問だ。君は、あちらの世界に戻りたいかね?」
アーサー、容赦ないな。
次から次へと、答えづらい質問ばっかり!
「どうなんでしょう……。今、アーサー様は、わたしはあちらの世界に属しているとおっしゃいましたが、それも実感がないんです」
アーサーはカップを置いて、少し考えるようにした。
「答えづらいか。では質問を変えよう。たとえば、あの魔族とわたしだったら、どちらを選ぶ?」
「えっ」
訊きながら、彼は立ち上がり、ワゴンを押しのけると、わたしの足もとにーーベッドに腰掛けていたわたしの正面に、跪いた。
「失礼」
引っ込めようとして間に合わなかった手を、アーサーは素手で摑んでいる。結婚もしていない男女が! 素肌をふれあわせるなんて!
アウトアウトアウト! ロンロンの清らかな男女交際概念的にアウトです!
でも、アーサーの真剣な表情を見ると、抗議の声も萎んでしまう。
「おやめください……ほんとうに、礼儀にはずれていらっしゃいます」
「確認しておきたくてね。たしかに、文字のようだな。あの短いあいだに、奴は君に魔法をかけたのか?」
「魔法、というか……」
まさか、手首にくちづけを落とされましたとはいえず、口ごもっていると、アーサーはなにかを察したらしい。
「アリス、まださっきの質問にも答えてくれていないよ。だったら、新しい質問には答えてくれ」
「あの……お答えできません」
眼を伏せるしかない。
だって、どっちも選べないというか……シルヴェストリもアーサーも、それぞれのゲームでの推しだし。
そういうお花畑的な感想を横に置いて考えると、ここでアーサーを選べば、シルヴェストリとは反目しあうことになりかねない。つまり、わたしのために喧嘩はやめてという流れになる可能性が、高い気がする。
いかな伯爵家、公爵家、王族トリオといえども、最強魔族の敵ではないだろう。
となると、シルヴェストリを選ぶしかないよね。世界平和のために。
シルヴェストリにとっては、聖女は異世界へ消えましたっていうの、悪い話じゃないはずだから、そういう交渉はできるかもしれない。
でも……彼は手首に徴をつけた。いつでも戻って来なさいというのは、翻訳すると、必ず戻って来るんだぞ忘れるな、って意味だよね。
どうするのが最善かを、わたしの記憶は教えてくれない。
だって、これはゲームじゃない。
アーサーが話してくれたようなアリス失踪イベント、もちろんロンロンには存在しなかった。鬼プロデューサーだって、エンディングまで生きてた。
今のこの世界は、もう、わたしが知ってるロンロンじゃない。
当然、『聖痕乙女』の世界も、ゲームの内容には収まりきらないだろう。シルヴェストリがなにを考えるかなんて、わかりっこない。
わたしが替え玉で、聖女の魂の欠片なんか持ってないって気がついたら、彼がどうするか、ってことも含めて。
……いやぁ、怖いな、ガチで怖いな、シルヴェストリの反応。
手首にアーサーの吐息を感じて、はっとする。
「アーサー様!」
手首にキ、キスするならそれは、シルヴェストリと間接キスです、やめた方が、やめ、やー!
日本語崩壊!
ところでわたしとアーサーは何語で話してるんだろう……日本語かな、まぁそうだろうな、そういうことにしておこう。
考えてもしかたない気がする。
ロンロンだしな!
それに、今はそんなこと考えてる場合じゃないな!
「この徴を、消してしまいたい」
押し殺した声。
アーサーはわたしの手を裏返し、手の甲にそっとくちづけた。
き、急に貴婦人扱いですか! びっくりする!
あと、きゅんきゅんする!
ゲームじゃなくなってるはずなのに、依然としてすっごく……乙女ゲームっぽいですし、皆さん、聞いてください!
乙女ゲーマー・アリス、歌います!
曲は……『アーサーなのに、女扱いがうまいなんて』です!
きゅんがわたしの許容範囲を超えそうです!
こんなのアーサーじゃないのにアーサーです、アーサーに新たな魅力の扉が開きました!
「アーサー様……」
「君が、あちらの世界に帰りたいといっても、帰したくない。だが、君が心から帰りたいと望むなら、力になろう。それだけは覚えていてくれたまえ」
アーサーが男前過ぎて、直視できません。
ややあって、手が離れた。アーサーは立ち上がり、丁重にワゴンを元の位置に戻した。
わたしが顔を上げると、彼は淡々と告げた。
「もう少し、食べた方がいい。わたしがいない方が落ち着いて食事できるだろうから、失礼しよう。メイドを呼ぶ鈴は、そこだ」
あの展開から、次の台詞がそれですか!
さすがアーサー!
それでは次の曲。『アーサーは、やっぱりアーサーだった』、どうぞお聞きください!
……アーサーは、ほんとうに部屋を出て行ってしまった。
そんなに食べさせたいのか。
お腹が減っているかどうかでいえば、減っているはずなんだけど、今はちょっと胸がいっぱいで、難しいですね……。