6
眼が覚めたのは、明け方だった。
シルヴェストリの城にあるのとはずいぶんデザインが違う、でもやっぱり乙女の憧れである天蓋付きベッドに、わたしは横たわっていた。
服はそのままだ。
シルヴェストリが用意していた謎素材の薄いドレスに、エリザベスが着せかけてくれたガウン。レースとピンタックが、すごい規模でほどこされている。
やっぱり、夢じゃないんだなぁ、と思う。
服装がすでに、ふたつのゲームのハイブリッドだし。
様子を見守っていたらしいメイドさんが、お嬢様、お加減はいかがですか、とわたしに訊いた。
「大丈夫よ、ありがとう。……喉がかわいたのだけれど、お水をいただける?」
台詞がするする出てき過ぎて、これなんかのイベントだっけ、って思っちゃう。
でも違うよなぁ……すべての台詞を暗記してるわけじゃないけど、アーサーの家でぶっ倒れて一晩寝込む、なんてイベントはなかったはず。
そんなの鬼プロデューサーが許さないし。
あー、立体化されたスクルージ(鬼プロデューサーの名前だ。おかげで掲示板での彼の呼び名は「改心しない『クリスマス・キャロル』」、略してカスちゃん、である。ひどい。でも笑う)も見てみたいな。
メイドさんは、近くのテーブルに準備されていた水差しから、グラスに水を注いで、渡してくれた。かすかにミントの香りがする。
グラスを返すと、メイドさんは囁くように提案した。
「軽いお食事をご用意いたします」
「いえ、食欲は……」
「若様のご命令ですから」
なるほど。アーサーなら、よく寝たか? では次は食事だ、栄養をとりたまえ……ってなるよな。
納得しているあいだに、メイドさんは部屋を出て行った。
さすがにエリザベスや王太子殿下は帰ったのだろう。ふたりとも、自由にふらふらしていられる身分じゃないし。
窓の外は、相変わらず霧しか見えない。少し明るくなって来てるな、くらいの差はあるけど、それだけ。
もう少し明るくなったら、霧が薄くなって、なにか見えてくるのかな。
タイトルの「霧に消ゆ」って、背景省略って意味じゃないの、と揶揄する声もあったくらいで、ゲームの記憶でも、街並みとか、そういう景色はあまり思い浮かばない。
でも、なんだか怖い。
部屋の外には、なにもないんじゃないか。
わたしの視線が届かないところには、誰も、なにも、存在しないのでは。
今のメイドさんだって、ドアを閉めた瞬間に、消え失せてしまうんじゃないか……って。
エリザベスも。エドワード殿下も。アーサーさえも――
前触れもなしにドアが開いて、アーサーが部屋に入ってきた。ひとりきりだ。
わたしは、慌ててガウンの前をかき寄せた。
「なんのご用ですか!」
「心配して見に来たんだ。ほら、君が大好きなハイ・ティーのセットだ。今は、さしずめサンライズ・ティーといったところだろうが、サンドウィッチ、スコーン、ミルクティー。クロテッド・クリームに、ジャムも三種類ある。万全だろう?」
ごろごろ音がすると思ったら、給仕用のワゴンを押して来たらしい。
アーサーはワゴンをベッドの横で止め、わたしを遠慮なく見下ろした。
「見ないでください」
「なぜ?」
「は……恥ずかしいからに決まっているでしょう! あなたにとって、わたしは怪しげな霊能力者で、皆様のお目汚し、気をつかわなくていいゴミのような存在かもしれませんけど、でも」
「ゴミにお茶を出したりしないし、好みを気にしたりもしないよ。もちろん、心配もしない。君はたまに、不必要に卑屈になるね」
そういうと、アーサーはさっきまでメイドさんが座っていた椅子に腰を下ろした。ミルク・ピッチャーを手に、尋ねる。
「わたしはミルクを先に入れる派だが、君はどっち?」
どうやら、お茶を淹れてくれるつもりらしい。
とんでもない、とわたしは飛び起きた。
「自分でやります!」
「質問にはちゃんと答えてくれたまえよ。どっち?」
「アーサー様!」
「砂時計の砂が落ちきってしまうじゃないか。もう待っていられないな。ミルクを先に注ぐよ、クレームは認めない、いいね?」
「ああもう、そうじゃなくて。早く出て行ってください!」
「ここはわたしの家だ。出て行けといわれる筋合いはない。評判のことを気にしているのなら、さっきのメイドは口が固い。大丈夫だ。わたしは社交界受けする人間ではないから、どんな噂がたってもかまわないが、君はまずいだろう。安心したまえ、ちゃんと考えている」
アーサーは落ち着いた手つきであたためた牛乳をカップに注ぎ、ピッチャーをワゴンに戻すと、今度は紅茶にとりかかった。
「いろいろと、質問したいことがあるんだ」
「わたしもです」
「では、交互に質問していくとしよう。お先にどうぞ?」
湯気がたつミルクティーを差し出されてしまっては、受け取るしかない。
ところで、マナーとしてどうするのが正解だろう。さっき王太子に手渡された紅茶は、結局、飲む暇がなかった。手首を確認するときにテーブルに置いて、そのままだ。
この時代、カップからソーサーに移して飲むのが作法だったと思うんだけど、たしかロンロンのイベントでは……小指を立ててカップを口元へ運ぶエリザベスのイラストを見た記憶がある。
じゃあ、現代風に飲んじゃっていいのかな……。
「なぜ、わたしが先に?」
「レディ・ファースト。では、わたしが質問する番だ。君はこの世界の人間なのか? それとも、違う世界からの客人なのか?」
今のがもう質問扱いか!
しかも、おお……アーサーが……不思議大嫌い人間のアーサーが、不思議要素にダイレクト・アタックをかけてきた!
「正確なところをお答えすると……わかりません」
「そうか。では質問をどうぞ」
「今の答えで、納得してくださるんですか?」
思わず問い返してから、しまった、と思った。
また質問権を無自覚に使ってしまった。我ながら、連続エラーが過ぎる。
アーサーは、さほど考えることもなく答えた。
「納得した、というのとは違うかもしれない。だが、君はそうとしか答えられないのだろう? 確信がないから、曖昧に、自分にはよくわからないということを答えた。それで十分だ。なぜ、そんなことを訊く?」
「いい加減なことをいって、とは思われないのですか」
「いい加減ではないだろう? それともいい加減なのか?」
「……いえ」
「君は、かなり無礼だし、非常識だし、わたしの常識を覆す存在でもあるが、それは君が誠実だからなのだと理解している。だから、いい加減なことをいっているとは思わない。もう少し、わたしを信じたまえ」
わたしが眼をしばたたいていると、アーサーは苦笑した。
この表情はレアい。そして、エモい。スクリーン・ショットを保存したい!
「我々は、互いに質問する権利を浪費し過ぎだな。回数制限がなくてよかった」
……そうか。今のは会話じゃなくて、質問の応酬だったのか!
さすがアーサー……なんかもう、ほんとアーサーだな!
「次は、わたしの番ですか?」
「それを質問にカウントすると、わたしの番だな」
くっ。もう、さすがロンロンを上回る勢いで、さすがアーサーだよ!
アーサーはわたしの顔を見て、彼にしては胡散臭い、つまり社交用の笑みを浮かべた。これはこれで尊いです!
「ところで、サンドウィッチかスコーンをどうだね? 客に空腹を強いる主人にはなりたくない。是非、協力してもらいたいところだ」
「……スコーンをいただきます」
ゲーム内のテキストによれば、アーサーの家で出されたスコーンは、主人公がそれまでの人生で食べた中で、最も美味しいスコーンだったという……あのテキストが今!
口の中で再現されるのかと思うと!
ちょっと、食欲ないとかいってる場合じゃないですね。頑張らねば。
「では、わたしはサンドウィッチをもらおう。食べ終えたら、君が質問する番だ」
ゆっくり食べさせてくれるアーサーは、さすが紳士です。ありがとう。
そしてスコーンが……スコーンがこんなに美味しいなんて!
クロテッド・クリームも、まずはスタンダードにと塗ってみた苺ジャムも、完璧ですよ、完璧。拝みたい。写真撮りたい。もう食べちゃったけど。
スコーンを一個食べ終えたわたしは、紅茶で喉を潤してから、尋ねた。
「アーサー様は、なぜそう思われたのですか? わたしが、その、違う世界から来たのではないか、とか」
今度は、しっかりきっぱり考えた上での質問だ。……ようやくかよ、ってくらい遅いけどね!
「ベスを信じたから、ということになるかな。君が消えたという報せをくれたのは、ベスなんだ。彼女の母君が主催した降霊会で、突如、黒い羽毛を生やした巨大な鉤爪が出現して、君を攫って消えた……とね。当初、わたしは信じなかったが、信じないわたしにこそ、来て、調べてもらいたいとベスに哀願されたんだ。頼まれなくても、むしろこちらから頼みこんで行くつもりだったが、向こうが先にいいだしてくれたので、なにもかもスムーズにいったよ」
エリザベス様、どうしましょう、アーサーがひどいです!
通常営業って感じだけど!
「降霊会の会場には、わたしが過去に指摘したことがある、イカサマの準備があった。だが、それは使われた形跡がなかった。会がどのように進んでいたかも、参加者を別室に案内してひとりずつ、しっかり聴取したが、まったく説明がつかなかった。証言には些細な差異こそあれ、大筋は共通していたし、君のように小柄とはいえ、女性が忽然と姿を消したと錯覚させるような演出が、紛れ込む隙はなかった。敢えていえば、その鉤爪こそが皆の注意を君から逸らすための仕掛けだったと考えられなくもないが、鉤爪を空中に出現させる仕掛けなど、どこを探してもなかった。幻覚を疑って、飲食物も調査してみたが、わかる範囲ではごく普通のものだったよ。公爵家が供するレベルの、という意味だが」
「わかります」
職業柄、主人公は上流の家から家へと渡り歩いて饗応を受けるわけですが、公爵家はね、もうほんと公爵家レベルでしたよ。飲み物も、食べ物も。
「スクルージ氏とは連絡が取れなくなっていたが、それはヤードの方で調べがついた。死体が見つかったんだ」
まさかの答えに、わたしは凍りついた。
呑気に、立体化されたところが見てみたいなんていってる場合じゃなかったんだ……スクルージがそんなことに。
「……君は、知らなかったんだな」
「はい」
「本人の自供が取れない以上、推測でしかないが、スクルージはどうやら、次の演し物を模索していたようだ。つまり、〈いとも神秘なアリス嬢〉の次、ということだ」
なるほど。確かに、スクルージなら探すだろう。
わたしの霊能力は不確かだったし、粗探しとトリックの見破りに執念を燃やす面倒な若造――つまりアーサーに、すっかりロックオンされてしまっていた。
察するに、わたしのことは、もう放り出す気満々だったに違いない。
うーん、王家の血筋だって判明するのは、どの時点だったかな……ゲームでは、だいたい、その事実が発覚したところで、霊能活動からは手を引くことになるんだけど。アーサーのルートでは、発覚しなかったような……。
社交界の評価など目もくれない、伯爵家の変人次男坊なら、主人公に身分がなくてもラブラブ・エンディングが破綻しないからだ。むしろ、判明していない方が支障がないくらいで。
公爵家の若様や、それこそエドワード王太子とのルートを選ぶと、実は王家の〜、という話が必須になるし、それを巡ってまた新しいイベントが発生したりするんだけど。
「スクルージの死体は、あー……君には刺激が強すぎるだろうから、酸鼻を極めた状態で発見された、とだけいっておこう。詳しいことは訊かないでくれ、わたしも思いだしたくないんだ」
「はい」
「その死体の状況から、ベスや、降霊会に同席していた紳士や貴婦人が証言した、君を攫っていった鉤爪の主が、スクルージの命を奪ったのではないか、と推測できた。現場には黒い羽毛も残っていたしね。ただ、証拠品として保管するはずが、途中で消え失せたそうだが」
「まぁ」
「スクルージは、次の演し物を探し過ぎたんだろう」
本気で探した結果、やばいものを引き当てた、という解釈か。なるほど、それでわたしが攫われたとなると……鬼プロデューサーが引いたのは、シルヴェストリか、その眷属ってことになるのかな……。
うん、まぁ間違いなくやばいね!
「でも、アーサー様は、そういったことはお信じにならないのでは?」
紅茶の湯気の向こうで、アーサーは薄く微笑んだ。
やばい、なんか胸にキューンとくる表情ですよ、なにこれやばい。
「まだ、君の質問の番じゃないよ」
「じゃあ、次にとっておいてください。ご質問をどうぞ」
「まだ、さっきの質問の答えも終わってないよ」
「とても丁寧に答えてくださいますのね」
「重要な話だからね。どう考えても不可解な失踪事件だ。君が消えたというのが本当なら、なんの仕掛けもなく消えたとしか思えない。どこを探しても、君はみつからなかった。エドワードの力を借りてすら、どうにもならなかった。君は消えて、どこにもいない……ただ、黒い羽毛と巨大な鉤爪の主の痕跡を追う方法だけは、見つかったんだ。これは、ベスの家に伝わる魔道書に記載があったのだが」
公爵家伝来の魔道書って!
待って待って、ロンロンの世界って一応キリスト教世界で、魔法とかってアウトじゃないっけ? 降霊会はイロモノ扱いだからともかく、公爵家が魔法はアウトでしょ、完全に!
わたしが呆気にとられていることに気がついたのだろう。アーサーは、悪戯っぽい笑みを見せた……ってまた、レアっ! エモっ! スクショ……スクショ保存する方法を我に与えたまえ!
「秘密は守ってくれるね、アリス?」
しかも嬢が取れてるー!
「もちろんですわ、アーサー様」
「君の身の安全にかかわることでベスが嘘をつくとも思えないし、ほかに手立てが残っていなかった。だから、魔道書の指示にのっとって、異界への通路を開いてみることにした。成功してよかったよ」
「……なんとも申し上げかねます」
エリザベス様はもちろん、アーサーや、それにたぶん同席してすべてを把握しているはずのエドワード殿下の立場を考えるに、魔道書とやらがパチモンで、儀式になんの効果もなかった方が、かれらのためだと思う。
「正直なところ、君が戻って来てくれさえすれば、手段なんて、どうでもよかった。君を取り戻すためになにかしていないと、気が狂いそうだったんだ」
ぽかんとしているわたしの前で、ああ、とアーサーは肩をすくめた。
「そうだね、さっきの問いにもう答えてしまうことになるな。そう、霊能力でも、悪魔崇拝でも、禁断の魔道書でも、かまわなかったんだよ。君を取り戻すことができるなら。そういう意味では、わたしはもう狂ってしまっているのかもしれない」
まさに、言葉もない。
推しが……攻略した覚えもないのに、完全に落ちている! それもゲーム以上に!