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結局、わたしはアーサーの家にいた。もちろん、倫敦の。
……すごい。ロンロンの倫敦に来ちゃったよ。
窓から見える倫敦は霧が深く、街灯の光がぼんやりと虹色の靄を纏っている以外、景色らしい景色も見えない。
家の外の背景画像が未設定なのでは? と疑ってしまいます、ごめんなさい。
ついでに謝っておくと、各ゲームごとに推しだけが立体化されているのではと疑ってました、ごめんなさい。
なんと、アーサーの家では、メインヒーローの王太子殿下と、アーサーの従妹のエリザベスが待ち構えていた。もちろんリアルな3Dモデルの。
エリザベスは公爵令嬢で、〈いとも神秘なアリス嬢〉の熱烈なファンで、ゲーム的には、 まさかの攻略対象。
エリザベスが攻略できるのに、鬼プロデューサーが対象外って、ほんとなんで?
その鬼プロデューサーの姿はなく、ちょっとがっかりしたことも、白状して謝っておこう……。誰に謝ってるのか、自分でもよくわからないけど。
「アリス、ほんとうに無事でよかった!」
エリザベス様は、プラチナの見事な巻き毛の持ち主で、眼はやや青みがかった緑色。造形はね……もう、まさに天使。
ああ、天使がわたしに抱きついてる!
「もう、どこにも行っては嫌よ」
エリザベス様に涙目で見上げられて、断れる者がいるでしょうか?
「ベス、いい加減、アリス嬢から離れなさい」
いたわ。さすがアーサー。
「嫌よ! またどこかに消えてしまったら、わたし、死んでしまうわ!」
「くっついていても、消えるときは消えるし、阻止することはできない。それに、何度でもわたしが迎えに行って連れ帰るから、問題ない。だが、死んでしまったら、君はもうアリス嬢とは会えなくなる。早まらないように気をつけたまえ」
アーサー過ぎるアーサーが、わたしからエリザベス様を引っぺがしたところへ、どうぞ、とティーカップが差し出された。
ロンロン名物、ウェッジウットのポーンチャイナかどうか、カップひっくり返して確認したい!
……と思ったが、まずは淑やかに受け取って、ありがとうございます、殿下、とご挨拶を。
ミルクティーを渡してくれたのは、エドワード王太子殿下なので。
畏れ多いにもほどがあるし、さすがのメインヒーロー、存在感がすごい。
「今は、ただのエドワードだ。アーサーの友人の、ね」
なお、エドワード王太子は、歴史上のエドワード七世には、あんまり似ていない。たぶん似せる気もないんだと思う。
独自設定、てんこ盛りだし。
わたしがロンロンのことになると急に設定にうるさくなるのは、逆説的っていうか……ロンロンにハマっていろいろ調べたから、なんだよね。
攻略掲示板で、あれはないわ〜、とか、さすがロンロン愛してるぅとかいう書き込みを見て、なんのことだと思って調べだしたら止まらなくなった、というか?
ロンロンの胡乱な設定のせいで、めんどくさいヴィクトリアン・ヲタ爆誕!
……なんて罪なゲームだ、ロンロン。
でも、ロンロン独自の味が憎めなくて、最終的には、さすがロンロン愛してるの境地に至るのが、ロンロン市民。
ええ、わたしも善きロンロン市民ですよ、さすがロンロン愛してる。
ロンロンにおいて、幼少期をイタリアで過ごしたという設定があるエドワードは、ほかのキャラクターとは少し違う。
根が明るいっていうか。
同じ金髪碧眼でも、アーサーがさらさら直毛に氷みたいな冷たい色の眼なのに対して、エドワードはふわふわ巻き毛に晴れた夏空のような、あたたかい青い眼。
表情もやわらかい。口調もそう。なんか、明るい。
「では、エドワード様とお呼びしても、お許しいただけますか?」
ロンロンの主人公的な口調がするする出てくれて、助かった。
正直、場の雰囲気がなければ、こんな喋りかたはできない。さっき、シルヴェストリの城でアーサーと会話したときは、あっちの設定に引きずられてたから、両方見聞きしているアーサーにとっては、別人レベルの差が生じているのでは。
……そういえば、アーサーも「アリス嬢」じゃなく「アリス」って呼びかけたりしてたな……こっちに来てからは、ずっと「アリス嬢」だけど。
「僕のことも、アーサーみたいに呼び捨てにしてくれていいのに」
「……殿下、アリス嬢を困らせないでください」
「アーサー、君まで殿下呼ばわりか」
「アリス嬢を困らせて楽しんでいるような男は、殿下呼びでいいでしょう。名前を呼ぶほどの価値もない。そんなことより、アリス嬢を守るための、今後の対策を考えるのが先決です。ベス、機嫌が直ったら、こっちへ来て。アリス嬢の手首を見てほしいんだ」
手首には、さっきシルヴェストリがつけた徴がある。
アーサーはそれを確認したい……が、手首とはいえ女性の素肌を見たりふれたりするわけにはいかない。
男女の距離感に厳しい世界観だから、エリザベスも呼んでいたのだろう。
ちなみに、現実のヴィクトリア朝だったら、同性愛なんかバレた日には、完全に抹殺されますが、ロンロンは大丈夫。むしろ、同性同士は距離を詰めやすいので、放っておくと同性愛にはしるのが社会的に認められていて、ゲームのプレイングとしても「推しと推しのラブを楽しむ」層が厚かったくらい。
そういうイベントも用意されているので、当然、ここにいる王太子殿下とアーサーの熱愛ルートもあるよ!
まぁ、在りし日のロンロンの話はともかく。
今のわたしの姿は、ヴィクトリア朝の女性にしては薄着過ぎて、ふしだらだし、みっともないし、とにかくあり得ないってレベルだろうなぁ。鏡を抜けてここに来たとき、エリザベスが間髪入れずに豪奢なガウンを羽織らせてくれたけど、それでもいろいろアウトに違いない。
シルヴェストリが用意してくれた着替えは、ロンロンの文化的には、どう見ても寝間着だろうし。
どんな新素材ですかね、ってくらい上品な色艶手触りのうえ、皺にならない形くずれない防汚加工も完璧っぽいという、夢のドレスだけど。
「手首?」
「穢らわしい魔族が、アリス嬢に『徴をつけた』といったんだ」
エリザベスが柳眉を上げた。
「なんですって。アリス、手を見せてくださる? どういったものなの。痛みは?」
矢継ぎ早に質問をかさねるエリザベスの手に、わたしはおとなしく左手を委ねた。
――アリス、君にはもう少し、いろいろなことを知る権利がありそうだね。行って来なさい。
そう告げたシルヴェストリの声は、やさしかった。
とても甘くて、相変わらず鼓膜ごと心臓を揺さぶるような力があったけど、なんというかこう……保護者? おとうさん、的な?
そういう力があって、なんだか頭がぼうっとして、子どもに戻ったような気分になった。すべて、彼にまかせてしまいたかった。
出て行くことを、許可されたばかりなのに。
わたしの身体の向きを、くるりと変えさせて。シルヴェストリは、少し身を離すと、わたしの左手をそっと持ち上げて、手首の内側に、くちづけを落とした。
そして、その姿勢のまま上目遣いにわたしを見上げて、ささやいた。
――この徴がある限り、君はわたしの客だ。いつなりと、自由にこの城に戻って来ることができる。
アリス、とアーサーの叫び声が聞こえたけど、シルヴェストリの視線は、わたしを完全に縛りつけていた。自由になれと解き放ちながら、何重にも魅了の鎖をかけていた。
――楽しんでおいで、アリス。
そう微笑んで、シルヴェストリはわたしを突き放し――空を泳いだ手がアーサーの手にふれた、と思うや、次の瞬間にはもう鏡を突き抜けて。
気づけば、燭台を並べたゴシック調の豪華な部屋で、エリザベスに抱きつかれていた、というわけだ。
シルヴェストリがなにをしたかは、アーサーからは見えなかったはず。
そりゃあ、気にもなるだろう。
わたしもシルヴェストリと見つめあっていて、手元は全然見てなかったから、くちづけの結果がどうなっているのかは把握していない。
そこで、エリザベスと一緒に自分の手首をしげしげと眺めることになった。
「なんだか……少し、痣のようになっているわね。文字みたいだけれど、読めないわ」
エリザベスは七ヶ国語を操る才媛だが、流石に魔界の魔族文字は読めないらしい。
むしろ読めたらびっくりだよね。
「たぶん、ですけど……署名じゃないかと思います」
まぁ、とエリザベスはわたしの手を握りしめた。
「ひどいわ。アリスの肌に、こんなことを……許せないわ」
「エリザベス様、どうか落ち着いてください。痛みもなにもないですし、これは、わたしの身の安全を保障するようなもので――」
「君の身の安全は、僕が保証するものだ。その、なんとかいう魔族の仕事じゃない」
殿下、急にビシッと来ましたね……。
そういえばこのひと、独占欲が強いタイプだった!
えっ、わたし、殿下の攻略進めてるの? それとも、殿下がアーサーに入れあげてて、アーサーのためならなんでもやるモードに入っちゃってるの?
というか、わたしの前世にも謎が残り過ぎだけど、現世のわたしは、いったいどういうルートで生きてるんだ!
『聖痕乙女』とロンロンをザッピングしてるの?
だとしても、それぞれのゲーム世界の人たちにとって、わたしはどういう存在なんだ!
アーサーがゲーム・タイトルの壁を突破して来たのにはびっくりしたけど、そうじゃないよね。
そもそも、わたしが突破してるんじゃん!
両方のゲームに存在してるアリスって……そういうことだよね。
謎は深まるばかりで解決の光は差さず、こうなったらベーカー街の探偵にでも依頼を出すしか……いやー、なんかもう受け入れがたいことが多過ぎて、衝撃が地球を七回半回って背中からどつかれてるみたいっていうか。
もう、無理。
……意識を手放して倒れるわたしを、エリザベスひとりでは支えきれなくて、ふたりまとめて倒れたらしい。
エリザベス様、ごめんなさい。