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結論からいうと、わたしはシルヴェストリを見捨てることができなかった。
愛を理解できない魔物のくせに、愛に恋しちゃったシルヴェストリ。わたしなんかを求めてるところが、心の底から残念だけど、でも、わたしにしか救えない孤独な魔物。
なんか……ほんとに乙女ゲームみたいなことになってる、としかいえない。
「愛してほしいとか、そっちの都合じゃないですか。めちゃくちゃ一方的です」
「そうだね」
「図々しいんですよ、シルヴェストリは!」
「わかっている」
「わたしに憐れまれているってこと、自覚してくださいね!」
「大丈夫だ、胸に刻んだ。なんなら実際に刻んでみようか? 刺青か……恋人の名を我が身に刻むなんて、実にそそられるね。そうだ、LOVE アリス――」
「やめんかーい!」
わたしはずいぶん、シルヴェストリに遠慮しなくなった。
する必要ないよね……どうせ、シルヴェストリがその気になれば、わたしが考えてることなんて、まるわかりなんだし。
わたしの夢とシルヴェストリの世界が繋がっているっていうのは、つまり、わたしの魂が肉体からひっこ抜かれかけている、ということでもあるらしく。魂に負荷をかけないように、ゆっくりじっくり、しかし肉体が死の瞬間を迎える前にひっこ抜いて、こちらの世界の肉体に移し替えるという長期計画があってのことだったらしい。
マジか。
インフォームド・コンセントはおろか、本人の同意もなしに、なにやらかしてんの!
なお、現在のこのアリスとしての身体は、半霊体みたいなもので、生者との相互作用がない、とか。相互作用ってなに? 現象としては、魔族であるシルヴェストリはさわることができるけど、人間を含む動物にはさわれないんですって。あらやだ奥様、わたくしってば、おどろきの存在感のなさ!
乙女ゲーム世界を巡っていたときに問題が生じなかったのは、そりゃ、あれはわたしの妄想だから……だ……ああああああ恥ずかしい!
「どうしたの、アリス?」
「どうもこうも、恥の多い人生でございますので……」
「ああ、また思いだしていたんだね」
心得顔のシルヴェストリを、蹴り飛ばしてやりたい。にやにやしても美しいって、どういうことなの。
「アリスに愛されてるって、いい気分だな」
黙れ魔族!
動揺し過ぎて、そのへんに生えていた青い花をむしって投げつけそうになった。いけない、いけない。花に罪はないのに。
生きているものの中では、植物だけは、相互作用がある――つまり、ふれることができる。それを教わってから、わたしは庭園に入り浸っている。
色とりどりの花々が咲き乱れる庭園は、もちろん、シルヴェストリの審美眼にのっとって美しいことこの上なく、わたしがいてもいいのかな、って不安になるけど。
でも、はじめにそれを口にしてしまったとき、シルヴェストリはやわらかに微笑んで告げたものだ――この庭園は、君のために作ったんだよ、と。
シルヴェストリのやることは、わたしの予測の範疇におさまらない。いちいち怒るのも、おどろくのも、割に合わないということを、今さらながらに、じわじわと理解しつつあるところだ。
そうですか、これだけの庭園を、わたしのためにね。いらないっていったら、きっと消しちゃうよね。そして、植物を粗末にするのは許しませんイベントが発生するんだな。シルヴェストリ、嬉々として叱られそうだな……ほんっと……なんて残念なの。
こちらの世界で使う肉体は、シルヴェストリが魔法で錬成するらしく、これはもう、半分がた完成しているそうです。手回しがよいにもほどがある!
錬成中のシルヴェストリの理想のアリスとやら、どんな美女かと期待して見せてもらったら、モブ顔アリスだった。うん、いやね、まぁね、そうだと思った。知ってた!
その魔法でつくられた肉体に、今のわたしの魂を注入したら、シルヴェストリ謹製アリスの完成。今度こそ、シルヴェストリの魔力が尽きるまでは不老不死、というおそろしい存在になるらしい……でもモブ顔……解せぬ……。
ただし、そうなったら、わたしは乙女ゲームの世界を自在に再現してキャッキャウフフしてまわるなんて芸当は、できなくなってしまう。
すごく……残念です。もっと楽しんでおけばよかったー!
今からでも行ってきたら、とシルヴェストリは余裕ぶって見せたけど、口の端がふるえているのを、わたしは見逃さなかった。余裕ぶってるだけじゃないですか。実は余裕ないじゃないですか!
まぁね? 行ってもいいのよ、べつに?
でも、わたし知ってる。絶対絶対絶対、シルヴェストリに覗き見されるってことを!
見られて燃える性癖はございませんので、無理です。無理。
「アリス、今度はなにを考えているの?」
「いつもみたいなことです」
「また、『わたしなんか』って思ってるんだね」
「そういうことです」
わたしなんかを好きになってしまった、残念なシルヴェストリ。
あのゲームをプレイした人の中には、もっと素敵なお嬢さんがね、たくさんいらしたと思うんですよね……。それなのに、よりによって、わたし。
からっぽの、わたし。
そんなこと考えても不毛なのは知ってるけど、でも、簡単にやめられるようなものじゃない。思考の経路が、そうなっちゃってる。
「わたしの末期の夢に、実在する人間がいなかったのが……」
慰めてくれるのは、自分自身の妄想だけだった、っていうの。辛い。
「わたしがいるだろう?」
「シルヴェストリは、魔族ですから」
「アリスにとって、同胞の中での自分の価値、というのは重要なんだな」
ふわりと、シルヴェストリがわたしの横に座った。さりげなくくっついて来るけど、やっぱり、魔族の身体にぬくもりはない。
「魔族は群れないからな。よくわからない」
「人は魔族ほど強くないんですよ。群れないと生きていけないんです。その共同体で、わたしを……だいじに思ってくれる人が、誰もいなかったんだから……」
「違うだろう、アリス。君が価値を感じられる人間に出会えなかった、ということだろう。裁かれるのは君ではない。君が属した世間の方だ」
「わたしは――」
「君は、愛を知っている。愛することができる人間なんだよ」
恋愛なんて、ゲームでしか、したことないよ……言葉にしなくても、シルヴェストリにはお見通しのようだった。
忍耐強く、彼はくり返す。
「ゲームを愛していただろう? でなければ、あんなに詳細に思い浮かべることはできないはずだ。ひとりずつ、個性的な台詞を喋らせて。ずっと眺めていたけれど、かれらはあの世界でちゃんと生きていた」
いや、その「ずっと眺めていた」が、ほんっと……ほんっとに!
「それにアリス、ゲームを通じてなら、君も現実を愛することができたんじゃないか?」
わたしは、シルヴェストリの言葉を噛み締めてみた。
ゲームがあるから、ゲームを通じて、わたしは現実を愛せたのだろうか?
「わたしの人生には、なにがたりなかったのかな……」
満足してその生涯に幕を引くために、必要だったものって。なんだったんだろう。
「探しに行きたい?」
何回も何回も、懲りもせずわたしは悩んでしまう。
末期の夢だけを抱えていくのか。それとも、今は思いだせない過去を、掘り返しに行くべきか。
そのたびに、シルヴェストリは寄り添ってくれる。好きなようにするといい、と態度で示してくれる。大人だな。まぁ、ご長寿さんだからな……。
「半分は、それが正しいって思ってる」
「残りの半分は?」
「それはそれで、間違ってるって感じてる」
わたしは空を見上げる。
シルヴェストリの城は、永遠の黄昏の中に建っている。昼もなく、夜もなく、ずっとこの中途半端な時間に揺蕩っている。
今のわたしみたい。
なにが必要だったにせよ、わたしの人生はもう終わってしまったんだ。至らないところがあっても、後悔てんこ盛りでも、なにもわからなくても。
これから転生だ。強くてニュー現実だ。よし、前を向こう。
「総括すると、前の人生は、乙女ゲームで幕を引くことになったから」
「うん」
「次は、恋愛に重きを置かない人生にしたいですね!」
「……それは却下させてほしい。わたしのために」
甘々の口調で懇願されて、わたしは苦笑した。これに苦笑を返せるようになるまでだって、大変だったんだからな! いちいちドキドキしてたら身がもたないからな! 半霊体だって呼吸困難に陥るんだぞ! なぜかは知らぬ。
と、そのとき。
ひらめいちゃったんだ、名案が。
「わたしも、シルヴェストリみたいなこと、やりたい。乙女ゲームのネタを、製作会社のスタッフに仕込みたい! わたしの夢の乙女ゲームを作ってもらう!」
「……なるほど」
「できる? わたしの世界でもいいし、どこか似たようなところを探すとかでも」
「もちろん、やれないことはないと思うが……どうせなら、異世界で展開するより、こちらの世界でやらないか?」
シルヴェストリは、常にわたしの想像の範疇を突き抜けていく。今、なんて?
「だって、ここにはゲーム機とかないでしょう? 電気もないし」
「だが、魔法がある」
その発想は、なかったわ。いやほんと。
「君が暮らしていた世界のように、大量生産して庶民が遊べるようにするのは、かなり難しいが……それも百年計画で進捗管理していけば、なんとかなるかもしれないね。そうか、それは面白そうだな。魔族に与えても、なかなか恋愛に目覚めることはないだろうし、やはり人間を狙った方がいいな。魔道具の研究・開発を人間がするように仕向けて、ちょっと手助けもしてやろう。ゲームで遊べる程度に、ゆとりのある社会にしてやらねばならない。おそらく、各国間の闘争に介入する必要も出るだろうな。技術を与えれば、必ず兵器に応用するだろうし……神殿が調停できるように、政治権力との分離を徹底しておくべきか……ああそうだ、横槍が入らないように、魔王の機嫌もとっておかないと。おやおや、これは楽しめそうだ。ただ攻め滅ぼすより、ずっと複雑な遊戯だ」
こっちは、ぽかーん、ですよ。なんだそれ。乙女ゲーム製作の野望が、一瞬にして、世界平和と生活レベル向上という、凄く立派な目標に化けてしまった気がするのですが?
「シルヴェストリは、凄いですね……」
「君がいてくれるからだよ、アリス」
真顔でいわれたけど、いやどこが!? わたしは理想の乙女ゲームがほしいだけで……。
「そうだアリス、君の人生にたりなかったものを、教えてあげよう」
「え?」
ハイスペック恋愛脳の魔物は、それは美しく微笑んだ。
「わたしだ」
反論する隙もなかった。シルヴェストリはわたしを抱き寄せ、うっとりとした口調で告げた。
「もう離さない。永久に、ともにいよう」
†
これは、「ふたりはいつまでも幸せに暮らしましたとさ」で終われる物語。
めでたし、めでたし。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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