45
シルヴェストリの声が、あんまりかぼそくて。その響きが、どうしようもなく切羽詰まっていたので、わたしは思わず動きを止めた。
というか、心臓とまったわ。やめてよ、ただでさえ瀕死なのにやばくない?
「シルヴェストリ?」
「アリス、……ほんとうに、笑わないでほしいんだ」
「はい」
「わたしは、君に恋している」
……やばい。
なにがどうやばいかは、ともかく。
いやもう全般に、やばいでしょ、これ。問題の切り分けができない。とにかくやばい。よくわかんないけど、やばさしかない! すべてやばい!
「えっと……ここは、わたしの夢じゃないはずですよね? シルヴェストリは、わたしの妄想から生まれた存在ではないんですよね?」
「そうだ」
「わたしを好き好き大好きになるために生まれてきたキャラクター、ではないんだよね?」
「ああ」
「……なんの遊び?」
「遊びではない。本気だ」
いや。いやいやいやいやいや! ちょっと待ってよ。
「わたしが特別なのって、死ぬ直前に、あなたが作らせたゲームを思いだした……ってだけだと思うんだけど」
「うん」
うん、て! かわいいな、おい。
シルヴェストリは俯いてしまっている。えっどうしよう、マジでかわいい。
魔族のくせに! ちょっと目を離すと人間って死んじゃうからー、とか超然としたところアピールしてくるくせに! なんだこれ、やばい。
こんなことで、心のHPがちょっと復活する自分が、いちばんやばいじゃろ……。
「たったそれだけで、恋しちゃったの?」
「覗き見た、君の世界が、あまりに純粋で」
復活からの、一瞬でドン引き。
「……見ちゃったものはしかたないけど、ほんと、見ないでほしかった」
「誰にも見せないまま隠し通すつもりだったのか? ああ、それはそれでいい、わたし以外の誰にも見せたくはない」
いやでもさ、それはさ、と反論したいところを、飲み込んだ。
シルヴェストリは魔族だ。魔族としては百戦錬磨だろうけど、恋愛初心者だ。だって、魔物に愛はないんだもんな。よくわからないけど面白そうだなって乙女ゲームの道に踏み込んだのが、絶対に間違いだ。
なんで男性主人公のエロゲーに行かなかったのかを、ちらっと考えてみたけど、そりゃ……新鮮味がなかったんでしょうよ。そうだよね。この美貌に、この魅力。チヤホヤされるのには慣れてるを通り越して、飽き飽きしちゃってるんだろう。
対戦格闘だって、シューティングだって、壮大なシナリオのロールプレイングゲームだって、あれもこれもそれもどれも、彼にはなんにも珍しくなくて。
ただひたすら恋だの愛だのを追求する乙女ゲームが、いちばん珍奇で魅力的だったんだ。
で。
彼は、染まってしまったに違いない。乙女ゲームの文法に! おそるべし、乙女ゲーム……最強魔族を倒すとは。
挙げ句の果て、こんなことになっている。
たぶんリアルにはなんの魅力もなくて、乙女ゲームだけを心の支えに――ああ、自分でもいってて気が滅入るけど、でも、間違いなくそうなんだ――生きてきて、そして死に行く存在であるアリスに、ハマってしまったのだ。
わたしの感想は、こうだ。
――シルヴェストリ、なんて気の毒で残念なの!
だって、これだけの美貌に、万能魔力と斜め上まで吹っ飛べる知略を兼ね備えた、魔物の中の魔物が、ですよ。
乙女ゲームしか楽しみがなかった女の子に、うっかり惚れるとか。
残念過ぎない!?
ていうか、なんだその設定! それこそ乙女ゲームみたいじゃないの、いいぞもっとやれ……とは、素直にはいえない。
だってこれはゲームじゃない。シルヴェストリの現実だ。
なにもいえないままのわたしに、シルヴェストリは切々と説いた。
「君は、次々とゲームの記憶を呼び覚ましていた。君が覚えていたゲームは――君の記憶の中によみがえったものは、わたしが作らせたものより、ずっと美しかった。ああ、君にはあれがこんな風に見えていたのか、と。……そう思うと、わたしの魂が揺さぶられた」
「大げさな……」
「笑わないでくれ。今、笑われたら、恥辱のあまり死んでしまいそうだ」
ちょっと笑いそうになりましたよ!
恥辱っていったら、妄想をまるっと覗き見されたわたしの方が、ずっと恥辱まみれじゃないですか! 死んでしまいそうだよ、実際! 原因は知らんけど!
「不老不死の魔族なのに?」
「魔族なのにだ」
「シルヴェストリ、それって、理想的な感想をもらったクリエイターみたいなものなんじゃないの?」
「……そうなんだろうか」
「いや、わたしもクリエイターではないから、わからないけど」
わたしは、クリエイターではなかった。
やけにきっぱり、それだけは断言できる気がした。
もし、なにかをつくる側の人間だったら、他人様のゲームばっかり思いだしたりしないでしょ? 自分がつくったもののこと、絶対、思いだすでしょう……これが走馬灯なら、間違いなく。
それこそさ、もらった感想が嬉しかったとか。なんかそういうの。
でも、そうじゃなかった。わたしはつくる側の人間ではなく、全力で、誰かがつくったものを愛する人間だったんだ。
ふと、そこだけは誇ってもいいんじゃないかな、と思った。
人生の終わりに、限りなく時間を分割してまで思いだし、慈しみ。自分のことなんかよりずっと、ゲームに愛をそそいでいたんだから。
その愛が……なんでか、魔族にリーチしちゃったみたいだけど。
「どういう理屈かはわからない。いや、恋には理屈なんてないんだろう? わたしは知っているぞ」
知ってるってそれ、ゲームでだな?
わかるぞ!
「シルヴェストリは、もっと恋愛について勉強しないと」
「教えてくれるのか?」
魔族の声が一気に艶っぽくなって、わたしはぎょっとした。なんか、本気スイッチとか入ったんじゃないだろうな?
あわてて距離をとろうとしたけど、シルヴェストリはまだわたしの手を握ったままで、もちろん、はなしてくれる気配はない。
「教師になれるほど経験がないです」
「ともに学べばいいだろう?」
シルヴェストリが顔を上げる。声はともかく、表情はまだ少し硬さが残っていて、緊張してるのかな、と思う。
魔族のくせに。
わたしなんかを相手に、緊張するとか。
「あのね、シルヴェストリ」
「なんだ」
「わたしは、あなたを解放してあげたい」
「なにからだ」
「わたしから」
「アリス、それはおかしい」
「え、なんで?」
「わたしが、アリスを囚われの身に貶めているんだよ」
「……でも、シルヴェストリは、恋に恋してるだけでしょう? わたしにこだわる必要なくない? なんなら現代世界に人として転生して、乙女ゲームを楽しめばいいんじゃないの?」
そして、この恥の多い人生からわたしを解放してくれ。
死にたいわけじゃないけど、そんな……乙女ゲームの記憶でキャッキャウフフだけで永遠を過ごすとか……いやそれかなり天国な気はしないでもないけど。
しないでもないけど、シルヴェストリに覗かれてるってことを考えるだけで、あっ、もう駄目。無理。絶許!
「アリス、君は勘違いをしている」
「なにをでしょう」
「わたしが好きなのは、乙女ゲームではない。君だ」
「勘違いしてるのは、シルヴェストリなんじゃ? ほんとは、好きなのは乙女ゲームなんですよ。でも、わたしを好きだって勘違いしちゃってるの。そうでしょう?」
「アリス、お願いだ。怖がらないで」
「怖いですよ!」
自分が誰だかわからないのが怖い。
瀕死だっていうのも怖い。
なにもかも怖い。
「君を失ったら、わたしも死んでしまう」
「新しい乙女ゲームを作ったらいいじゃないですか」
「もうゲームはいらない。君が欲しい」
「だったら力づくで奪えばいいじゃないですか!」
逆ギレ!
自分でも逆ギレだってわかってるけど、でももう、限界。そうでもしないと、やってられない。
シルヴェストリは、黙ってわたしを見ている。
「最初にしたみたいに……なにも説明しなくていいんですよ。たまに、乙女ゲームの世界を適当に回らせたりして、覗き見してることだって黙っておいて、ぜんぶぜんぶわたしの妄想だなんてことも、教えないでくれたらよかったんですよ。そうして、綺麗に騙してくれたら……なにも困らないじゃないですか!」
「そうしたら、君はわたしを好きになってくれた?」
「好きですよ……推しですもん」
「君が推しているのは、ゲームのシルヴェストリだろう?」
その声には、鈍い痛みがあった。
ああそうか――ようやく、わたしは気がついた――シルヴェストリだって、不安なんだ。
なんの間違いか、恋する魔物になっちゃったから。自分をモデルに作らせたゲームを気に入ったからといって、オリジナルの自分を好いてくれるかは、わからないから。
だから、彼は恐れているんだ。彼を否定できる、わたしを。
「……それも、隠しておけばいいじゃないですか」
「わたしは贅沢に慣れているんだよ、アリス。わたしでないわたしに愛の言葉をささやかれても、憧れの眼差しを投げられても、それは虚しいだけだ。わたしはアリスに、すべてを知ってほしい。すべてを知った上で――」
わたしの手を握るシルヴェストリの手に、力がこもった。逃げられまいとするように。
「――愛してほしい」