4
アーサー・ヒルズベリーは伯爵家の次男で、変人で有名な、……変人である。
うん、降霊会とか、怪しい発明の支援とか、似非ヴィクトリアン貴族に相応しいオカルト志向をひと通り嗜んだ挙げ句、くだらんと一刀両断して、社交界の皆様をいろんな意味で黙らせた逸材です。
登場するのは、似非ヴィクトリア朝英国を舞台にした乙女ゲーム、『帝都倫敦、霧に消ゆ』……一見、『聖痕乙女』よりはずいぶんまともな感じのタイトルですね、はい。
でもね、倫敦って帝都じゃなくない? 女王が治めてるんだから、王都じゃない? ゲームの独自設定で皇帝が治めてる、ってわけでもございませんしね。
大英帝国って表現があるから、そっちのイメージでつけちゃったんだろうなぁ、タイトル。
まぁ帝都は許す、大英帝国の都として、そう呼ぶという考えかたも、わかるし。
しかし、ヴィクトリア女王の名前はそのままなのに、なんで王配のアルバートがアルベート。解せぬ。しかも、微妙に気が抜ける。
さっきから、連続して「似非」ヴィクトリアンって表現してるのは、そういうことです。一事が万事、なんか微妙。それが逆にロンロンの個性っていうか。
ロンロンとは、もちろん、ファンのあいだでの呼称。この気の抜けた感じが絶妙に、ゲームの世界観にマッチしてるせいで、音速で定着しました。
そう、ロンロン。あれはもう、ロンロンとしか思えない。
そんなロンロンの主人公は、霊能力者。
上流階級を中心に大流行中の降霊会で、いわば巫女的な役割で働いてます。
わかりやすく説明すると、やり手のプロデューサーに見出され、霊能力者《いとも神秘なアリス嬢》としてこき使われてる、庶民です。あ、実は先王の隠し子の娘で、現女王陛下の姪にあたることが発覚しますが、ゲーム開始時は高貴な出自など微塵も知らず、病気で働くことができなくなった母を抱えて窮乏し、もはや街娼になるしかないかもと思いつめている状況でした。
霊能力が本物かっていうと、本物だけど、自在に扱えるものでもないため、プロデューサーが用意したトリックに頼ることも多くて、ストレスを抱えて病むこともあるという……ここリアルにする必要あるの⁉︎
が、とにかくプロデューサーが有能なので、どんどん知名度がアップ。
庶民のくせに、伯爵様どころか公爵様、果ては王子様や王女様まで虜にするわけですがほら、アーサーって信じないひとだから?
主人公全否定ヒーロー、ぱねぇ! が、初見での印象でしたね……。
ていうか、魔界に突っ込んでくるキャラとしては、もっともあり得ないタイプじゃないのか、アーサー!
でも来ちゃってるぞ、物理的に! 腕一本。
あと、今いうことじゃないけど、これだけはいわせて!
あの美形鬼プロデューサー、なんで攻略対象じゃないんだよ、パッケージにも、バーン! ってデザインされてるのに!
ええ、タイプでした……。
「アリス、どうした。動けないのか?」
いやちょっとびっくりが過ぎて、脳内が現実逃避してました。
そうですね、動けてないです!
鏡の奥で、アーサーが顔をしかめた。
この表情ほんとアーサーだわー。アーサー過ぎて、納得いかないレベルだよ。
シルヴェストリが立体化されたことには、わー凄いなーくらいで違和感なかったんだけど。神絵師の画力がまたね、リアル寄りの美形描写だったのもあって、あんまり疑問を覚えなかったわけですよ。
でも、かなり漫画っぽい、ひらたいデザインのアーサーが、こんなにアーサーっぽく人間化されるなんて……。
感動を通り越して宗教改革レベルだよ。自分でもなにいってるかわからないよ!
「そちらに行こう」
固まっているわたしに業を煮やしたのか、アーサーは鏡を突き抜けて来る決意を固めたらしい。
ルビーのカフスボタンが、キラキラしている。
つまり、手を動かしはじめた!
「待って待って、来ないで!」
わたしは慌ててアーサーを止めた。
いくらアーサーが最強俺様でも、魔族の本拠地に乗り込むとか、なにそれ役に立つの? って愚行でしかないでしょ!
「君が来ないなら、わたしが行くしかないだろう」
「行きます、行きますって!」
「すぐに?」
「はい!」
シルヴェストリが見逃してくれるなら、という言葉をわたしは飲み込んだ。
まさにその瞬間、彼があらわれて、後ろからわたしを抱きしめたからだ。
やばいです、顔が見えない位置関係なのに、美の圧力を感じます……。美形やばい、マジやばい!
「わたしのアリス、どこへ行くつもり?」
耳元で声がするのもほんと、力が抜けるからやめてくださいお願いします!
「あ……あなたのものになった覚えはないです!」
よくいった、わたし!
よく頑張った!
「では、これからわたしのものにしてしまおうか」
わああぁぁぁ、もう無理無理無理無理ッ!
降参早いよわたし、でもこれ無理! こんなゲームにすら存在しなかった萌えシチュエーション、耐えきれるわけないでしょ⁉︎
「汚らわしい魔族の考えそうなことだな」
アーサーが、吐き捨てるようにいった。
……事件です、衝撃発言です、似非ヴィクトリアン社交界に激震がはしること必至です!
あのアーサーが!
霊能力者というだけで、主人公の存在さえ全否定してきた、不思議大嫌い人間のアーサーが!
魔族の存在を肯定しました!
魔界に腕を突っ込んで来るにあたっての覚悟のほどを、今、思い知りました。
「人間が、清らかな生き物だとでもいうのか?」
だから耳元は! やめてください、ほんとうに。
「……そうだな。生き物として種としての人間が清らかであるとは、わたしも思わない」
ど真面目な顔で、アーサー節、いただきました!
ああ、これなんで画面の向こうじゃないの、セーブファイル作らせてぇぇ!
正直キャラデザの絵柄は好みギリギリだったアーサーが、理想の立体化でパワーアップしまくってて動揺する!
自分史上最高に萌える、その美形アーサーと、視線が合った。
「だが、そこにいるアリス嬢は別だ」
……!
神様聖女様プロデューサー様、あと誰に祈ればいいの、わかんないけどありがとう世界!
気絶していいですか、いや駄目だ!
このイベント、全部見ないで意識を手放すわけにはいかない。
「なるほど。それも、わたしが穢してあげてもいいのだけれどね」
魔族! 耳になんかさわりましたが⁉︎
動揺するわたしをよそに、アーサーは涼しい顔でいいはなった。
「お前ごときに彼女を穢すことができるわけがなかろう」
「そうかな」
耳元で、シルヴェストリの微笑を感じた。
あっ、これは別の意味でやばい気がするぞ、やばいやばい、わたしのキュンキュンじゃなくてアーサーの命がやばい!
「待って! シルヴェストリ。なにか誤解があるみたい」
「どういう誤解かな?」
「わたしは逃げません。今、アーサーのところに行こうとしていたのは、ちゃんと説明するためで……。だって、ここがわたしの終着点って、あなたがいったでしょう。ほかに、わたしが自由でいられる場所なんてない、って」
裏ルートに突入した今、それもちょっと違うんだけど、シルヴェストリはまだ気づいていないはずだから。
表向き、聖女の魂の欠片を持つ、対魔族生体最終兵器であるわたし。そのわたしに無事でいてほしいのは、魔界の住民なんだよね。
皮肉なことだけど、人間世界にとって、わたしは「死んで役に立つ」存在。
庶民の皆様はご存じないです。聖女様、って崇められて、拝まれて、たまには罵られたりもして。ご利益がないからね。魔族の襲撃を食らった街、慰問のために訪れても、わたしにできることはない。祈りを捧げ、祝福を与えるふりをすることしかできなくて。
だからわたしは、ただのお飾り。事情を知る権力者の皆様にとっては、やっぱり……兵器だよね。
でも、だから。
魔界でなら、シルヴェストリの城の中でなら、わたしは安寧を得られる。
彼はわたしに死なれたくないし、兵器になってほしくもない。だから、たいせつに扱ってくれる。それこそ、顔面を手でシャットアウトしても許してくれる。
時間の流れを限界まで遅くしよう、とシルヴェストリは提案した。
提案……というより、説明、かな。わたしに選択肢はなかったけど、死なせたくないというシルヴェストリの意図がストレートに反映されていたから、なんとなく信頼できたし、納得もできた。
それでも思考の速度だけは変わらない、って。
実質上の不老不死みたいなものだよ、とシルヴェストリは甘く微笑んだ。
だから、この部屋の中で一日過ごすあいだに、外の世界ではどんどん時が過ぎているらしい。
そんなわたしと継続的なつきあいが可能なのは、自身も無限に近い寿命を持つ高位の魔族――つまり、シルヴェストリのような存在だけ。
アーサーは、そのギャップをどうやって乗り越えてるのか……まぁ、それをいうなら、そもそもゲームタイトルの壁を突破した方法がね!
謎だよね!
「アーサー、わかって。わたしは自分の意思でここにいる。あなたと行くことはできません」
「わかるわけなかろう。わたしにわかるのは、わたしの考えだけだ。アリス嬢、君の考えなどわからないし、わかるつもりもない。特に、今の言葉はな。自分の意思とはなんだ? 終着点? 自由でいられる場所? どう聞いても、詭弁を間に受けている者の台詞ではないか。こんな偽りの牢獄にみずからを封じ、甘言に騙されたふりをするつもりか。君はそんな女性ではないはずだ。自由とは、おのれで勝ち取るもの。与えられるものではないと、君がいったんじゃないか」
アーサー節、ひゃくにじゅってーん!
ええ、たしかにその自由云々の話をするイベントには心あたりが十回、いや二十回以上あるわ……アーサーの好感度が上がって来たら発生する会話だから!
でも駄目です、やめてアーサー。シルヴェストリがアーサー節を気に入るとは思えないし、ここはそのシルヴェストリの城。諦めて早く――
「いいだろう」
えっ?