38
わたしは、急いで声がした方をふり向いた。
あ、やっぱり。
「当真」
常識が売りの幼馴染、出現!
当真の視線はわたしから、まず綺羅莉へ、次に隼人さんへと動いた。
見るからに堅気じゃなさそうな金髪と、正体不明感が半端ないイケオジは、平日昼間の会社員らしいビジネス・スーツ姿の当真の目には、どう映っただろう。
そのふたりに挟まれている、わたしは?
助けて当真! という内心の叫び、届け! イケメンに凝視されながら、カフェっぽく難易度高い盛り付けがキマってるパンケーキを食すという、この難局から救ってくれー!
「あ、ごめん。邪魔したね」
救う気ナッシングかよー!
心の叫びが通じてないし、届いてない!
当真はぺこりと頭を下げて、その場を立ち去る構えですよ、おいこら当真のくせにわたしを見捨てるな!
二十年くらいの腐れ縁があるはずだぞー、設定通りなら!
「待って、当真!」
「……なに?」
迷惑なのを隠そうともしない、声と表情だ!
「アリス、彼は誰なのかな?」
あっ、隼人さんの保護者スイッチが入ったぞ。
少なくとも、隼人さんと当真は知り合いじゃなさそう……綺羅莉もそうだなぁ。
こちらは余裕綽々、面白いものを見物できそうだという表情だけれども。
「あ、えっと、幼馴染の一ノ瀬くんです」
「一ノ瀬くんか。はじめまして」
隼人さんは立ち上がり、にこやかに当真に手を差し伸べた……いや、隼人さん、それ握手? 当真すごく普通のジャパニーズ・サラリーマンだから、あんまり握手という発想がなさそうだし、だいたい、遠いよ! 当真はまだ店内! 我々は庭!
案の定、当真は戸惑っているようだ。こちらを見て、誰? という顔をした。
顔芸だけで、なんとなく通じるのが腐れ縁の強みだな!
通じたからには、紹介してあげようじゃないか。たとえ当真が、わたしの助けを求める叫びに気づかなかったとしても、そんなことは根に持たない。たぶん。
「こちら、隼人さん。凄い人格者」
我ながら、どんな紹介してんだよ、ってツッコミたい。思わず口走ってしまったし、間違ってはいない気がするけど、あんまり紹介になってない上に、凄く……怪しいです!
慌てて、言葉をたした。
「パパの知り合いなの」
……あああ、これ全然フォローにならないな!
あの父の知り合いってことは、人格者の可能性はある……可能性はあるけど、変な筋の人っていう可能性の方が高いし、そもそも横にいる綺羅莉が! 綺羅莉がいるだけで、変な筋の人っぽいパワーが!
わたし、ヤバい人たちに売り飛ばされる十分前って風に見えない?
いやでもその発想に至れば、さすがの当真もわたしを助けようとしてくれるのでは? つまり、わたしのポンコツ紹介、ファイン・プレイだったのでは?
「……はじめまして。一ノ瀬当真です」
当真はわずかに眉をひそめたけれども、特にわたしを庇ったり、助けたりという発想はなさそうだった。
なんなの、この役に立たない幼馴染!
わたし、見るからに危険な局面にいるんじゃないの? もうちょっと、なにかこう、違う反応があるだろう!
正体不明のお洒落番長と、金髪カラコン超美形に挟まれてる幼馴染ってシチュエーションで、返す言葉が「はじめまして+姓名」で終わりですか!?
いや……綺羅莉、笑いを堪えてるって顔してるけど、なんなのッ!
「櫻塚隼人だ。アリスの幼馴染とは、羨ましいね。よかったら、一緒にコーヒーでも?」
「いえ、勤務中ですので。アリス、用があるならメッセージ送っといて」
ああっ、つれない! さすが当真、さすが過ぎる……。
やっぱりこいつとは友情以上は育めないのでは、いやむしろ友情も怪しいのでは?
「ちょっと、待ってってば。……すみません、少し席をはずします」
当真が助けてくれないならば!
自分で自分を助けるのみだ、よし離席!
足早に店の奥へと立ち去る当真を追って、わたしも小走りになる。
ああ、パンケーキ……おかしい、食べてくださいという状況で目の前に置かれたパンケーキ、食べる気満々だったのに、結局、ひとくちも食べないまま離席している自分には疑念しかない!
なんでだろう、なんかとても無理。無理無理。
戸外から戻ると屋内はとても暗くて、ムードのある照明がちょっと迷惑っていうか、もう少し明るくしてもいいんじゃないですかって思う。
「当真!」
「……なに、うるさい」
追いついたわたしは、当真の肘を摑んだ。これで簡単には逃げられまい。
「わたしが困ってるのに、置いてかないでよ」
「置いてもついて来るじゃないか。結果的に、問題なかったよね……。それより、仕事中なんだけど。どうしても今、用があるの?」
当真は悪いやつじゃない。
仕事中だから仕事を優先するという常識を見せつつ、わたしの用が、どれくらい切実で、自分の助けを必要としているのか、を判断しようとしている。
乙女ゲームなのにヒロインの優先順位がこれでいいのかって思うんだけど、まぁ……そういうキャラなので。
いや、いやいやいや、これはゲームじゃないんだ。
わたしの、今の、現実なんだ。
夢ならそろそろ覚めてほしいけど。
「気まずかったから、あの場を離れたくて」
そういうことか、と当真は息を吐いた。少し、安心したみたい。でも、あからさまに迷惑そうな顔するの、やめて?
「この店、裏口あると思うよ。そこから帰っちゃえば? 家、近いだろ」
「ああ、うん……」
でも、隼人さんを呼び出して、奢らせる構えで、食べる前に逃げて帰宅って……。わたし、やってることが意味不明では?
それでもなんでも、隼人さんは許してくれる。絶対、許してくれる。逆の意味で絶許ってやつだよね、それはもう確信をもって断言できる。
でもでもだけど、わたしがやりたいのは、そんなことなの?
パンケーキを凝視されながら食したくはない、という些末だけど重大な局面にビビって、逃げだしちゃって、いいの?
ていうか、そもそも、なにがしたいの!?
「大丈夫?」
ようやく! 当真がわたしの表情を読んだ!
「よくわかんない」
「うーん、ひとりで帰れる? あと二時間くらいしたら、休憩とれると思うんだけど」
「……大丈夫」
「よくわかんないって、いったばっかじゃん」
「今、大丈夫になった」
当真が心配してくれたから。
我ながら、どういうメカニズムなのかはわからないけれども、当真がちゃんと心配してくれて、ここにいてもいいっていうか、なんか存在してても間違ってないんだなって気がしたから。
ほんとは、その理屈はおかしいんだって、わかってる。
今こうして考えてるわたしは、当真を知らない。ゲームの当真しか知らなくて、この当真を知らない。
どんな会話イベントをこなして、どんな過去を紡いで来たのか……いや、これがこの世界の現実なら、イベントとかじゃなく! 当真とアリスが、どんな子供時代を、青春を過ごして今に至るのか、全然わからない。
だから、当真が心配してるのは、そのアリスであって、わたしではないと思うんだけど。
当真だって、このわたしのことは知らないんだから。
それでも、誰かがちゃんと心配してくれるのって、嬉しい。あったかい。
「心配って、心を配るって書くんだよね」
「……マジで大丈夫?」
「マジで大丈夫です。ありがとう、元気出た!」
「えっ、なんで。全然わけわかんない」
「元気なんて、わかんないところから取り出したり湧き出たりするものでしょ!」
勢いで答えると、当真は笑った。
「全然わかんないけど、まぁいいか。……じゃあ、仕事行くよ」
「うん。邪魔してごめんね。それにしても、仕事って」
当真の仕事、漠然と「サラリーマン」ってだけで、あんまり情報なかったような?
こんな、メニューにお値段が書いてないようなお店に行く仕事なの? えっ、普通のサラリーマン、そういうことまで業務の範囲内なの?
「新規の大口取引先との顔合わせなんだ。ここは、先方が指定した場所だよ」
「わ。遅れたらまずいやつ!」
「そう、凄くまずい」
「ごめん!」
「大丈夫、15分前行動してるから、まだ全然誤差の範囲」
さすが当真でした。この堅実なところ、ほんと当真!
「顔合わせ、うまくいくように祈っとくね」
「頼むよ。じゃあ僕は、アリスの元気がちゃんと持続するように」
当真は、わたしの髪をくしゃっとかき回した。
「ちょっと、乙女の髪をいじってんじゃないわよ!」
「ほら、持続した」
さすが当真! そういう元気じゃないんだってところを的確に!
ってもう勘弁してよ、これからわたしはあの席に戻って、怪しいイケメン二人組の凝視に晒されるんだぞ……隼人さんの保護者チェックと、綺羅莉のファッション・チェックが同時発動だぞ……。
うっ。胃が痛い。でもパンケーキは食べたい。食べるべき。食べよう。
じゃあ、と手を振って別れようとしたところで、どっこいしょー!
「なにをやってるんだ、アリス」
つ……翼様の本体が降臨したーッ!