37
ああ、まずい……なにがまずいかというと、都会の喧騒を離れた、耳に心地よい水音くらいしか聞こえない裏庭に!
わたしのお腹の音が響いてしまいそうです。
しまいそうっていうか、すでにスタートしております。控えめに。
でもそろそろ大きく鳴りそうですよ?
これ我慢する方法ないの?
ないよね!
誰か発明してよ、いっそ隼人さんが発明してくれたらいいよ、だって発明家っぽいし! よくわかんないけど!
あっ……あああああ。
はい、響きました、マイ腹の音。
けっこう豪快ですね……。誰もいなくてよか……くなかった!
「あれー、なんか可愛らしいサウンドに呼ばれちゃったと思ったら!」
可愛らしくはないですし、サウンドって。日本語でよろしく!
いやそうじゃなくて!
「ド、ドンペリ……!」
「注文するの?」
「……え、いや、しません!」
にっこり笑ってわたしを見下ろしているのは、派手な金髪の美青年。ホストに監修を受けて誕生した、プラブの徒花。重課金ユーザー御用達の男。
バーチャル・ホスト、綺羅莉!
はいそうです、ドンペリというのは綺羅莉にファンがつけた愛称です。
いや、ええー、すっごい美形っぷり……。イケメンていうより美形だよね、これ。アプリの絵より絵みたい。バーチャルよりリアルに受肉した方が美しいとか、どういう魔法なんでしょうか。
綺羅莉は、ぽかんと見上げたわたしに向かって、なにを思ったか、極上の笑みをさらに盛ってきた。
そんなサービスしても! わたしは一銭も持ってないぞ!
さっき部屋を出るとき、財布がみつからなくて……そこは隼人さんのことだから、アリスのためにお金を使う大義名分ができたな、って喜んでくださったのですが。
さすがに、綺羅莉にドンペリ入れたいっていっても、出してもらえないだろう……それ以前に、ドンペリ入れたいわけじゃないしな!
「そんな身構えなくても。ここは俺の店じゃないから、ドンペリ入れようなんていわないよ」
「あ、そうか……」
思わず声が漏れてしまったけど、そんなの当然でございますわね。
よし、ドンペリから離れるぞ!
なんで綺羅莉がここに?
そして、綺羅莉とわたしって、どういう関係なの⁉︎
「暫くぶりだね、アリス。こんなところで出会えるなんて、まさに運命ってやつだな」
……そうよそうだねそうだよね!
電話帳に登録されてるんだから、知り合いに決まってるよねー!
どういう知り合いかは、サッパリだけど!
「今日は早起きなんですね」
「俺が起きる時間に、早いとか遅いとかの区別はないよ。俺が起きたら、そのとき世界は目覚めるんだから」
ハイこれが綺羅莉節、もうお腹いっぱいです。
これ笑うところなの? それとも真顔で感心するとこ?
ロングの金髪は染めてるんだとして、この鮮やかな紫色の眼はカラコンですか?
設定通りだし、めっちゃ似合ってるけど!
「主観的に生きてるんですね」
「そんなの当然。主観でしか世界を認識できないのなら、その主観をよりゴージャスに、ハッピーに、ピースフルでグレイスなものにしなきゃ損だろう?」
そのうち、アメイジングでマーベラスとかも追加されそう。
「周りが迷惑するだろう、とかは……」
「迷惑? 俺から滲み出るのは、幸せだけだよ。そこで、ことさらに不幸を探したがるやつがいたら、そいつは不幸になるかもしれないね。望んだ不幸なら本望だろう? まぁ」
ここで綺羅莉は一拍置いて、極上の笑みをわたしに向けた。
「そんな馬鹿なやつも、俺なら救ってみせるけどね」
綺羅莉ワールド、全開!
だがそこで、空気を読まないわたしのお腹が鳴った!
綺羅莉は、真面目な表情になった。
「可愛いね。食べちゃおうか」
え、パンケーキが可愛い?
「可愛いというより高貴というか、高級そうというか、いやすみません、ズバリ美味しそう! の間違いでは?」
「うん可愛い。間違いない。ま、食べちゃいなよ。なんで冷めるのを待ってるの? 猫舌じゃなかったはずだよね」
些細な会話も忘れない綺羅莉、さすがでござる。
本家ゲームにおける綺羅莉の会話能力がどれくらい本気かというと、AI開発研究室と提携して、会話データの集積と記録、解釈、判断、対応まで最新の技術を使ってて、しかもユーザーごとにパーソナライズしたデータベースを構築してるとかで、好みの話題とか、絶対忘れないんだよね……。
この紫の眼の奥にある脳は、実は巨大なコンピューター・ネットワークに繋がっていたりするのだろうか。
おう、なんか怖っ!
「いや、えっと」
「早く食べてみせて?」
「いや……」
なんか、妙な雰囲気なんだけど!
さしものわたしのお腹も静まるような!
綺羅莉は、明るいんだけど真剣な口調でつづけた。
「食事ってさ、生きてるって感じするよね。人間の本質が出る」
「主語が大きいですね」
「そりゃね。俺は世界だもの」
アイ・アム・ザ・ワールド、ですか⁉︎
大きいなんてレベルじゃねぇ!
「ちょっと、ついていけないです」
「すっごいお腹が減ってるみたいなのに、律儀に待ってるんだね。誰を?」
「俺だよ」
隼人さんの声に、わたしは勢いよくふり向いた。
ああー、これで綺羅莉との謎会話から解放される! ……という安心感!
さすがに隼人さんが来たら綺羅莉は消えるだろう。
……と、思ったんですけど。
「お、隼人さんか」
「なんでお前がここにいるんだよ、綺羅莉」
お……お知り合いですか……すごい意外な取り合わせ。
いやもう、わたしどうすればいいんだろう。
わからない。
自分のこともわからないけど、このひとたちのことも、全然わからない!
隼人さんに頼ったのは、隼人さんなら絶対にわたしを責めないし、この状態をうまく説明できさえすれば解決策も考えてくれるだろうし、いや説明できなくても説明できるように整理してくれそうだと思ったからで。
隼人さんのこと、ちゃんと知ってるわけじゃないよね。
ゲームの中の隼人さん知識があるだけ。
絶対に責めないはずって知識も、ゲームのものに過ぎない。
今、ここにいて、綺羅莉とにらみ合ってるこの隼人さんが、ゲームの隼人さんと同じ反応をするかどうかは、不明だよね。
まぁ、今までの感じだと、ゲームのまんま、むっちゃ親切だし甘やかしてくださってますが。
でも、プラブでこのひとたちが知り合いって設定、あったっけ?
プラブは割と攻略対象がそれぞれ独立してるっていうか、ダーリンが違えば別ゲーといっても過言ではないとまでいわれてて。
特に、綺羅莉はなぁ……。
今ここにいる隼人さんと綺羅莉は、なんでか知り合いではあるみたいだけど、なんで、どうして、どうやって?
「なんでもなにも、この店を教えたのは俺だよね? なにアリスちゃん連れ込んでんの」
「連れ込むってお前、言葉を選べよ」
「選んでるよ。俺の今の気分には、これがジャストなワードなんだよ。それで、なにやってんの?」
「至高のパンケーキを食べてもらおうとしてるんだよ」
「ああ、そういうこと。じゃ、ひとりにすんなよ。アリスちゃんみたいないい子、お連れさんを差し置いて食べられるわけないだろ」
「それは悪いと思ってる。アリス」
隼人さんと綺羅莉は、揃ってわたしの方を見た。
「食べなさい」
「食べろ」
「……ハモらないでください」
綺羅莉は意外と高めの声で、隼人さんはもう渋みオブ渋みなんだけど、これがステレオ放送で攻めて来るの、勘弁してほしいですね!
しかも、ふたりでガン見するのも、やめてほしいですね……。
イケメン(複数形)に凝視されてパンケーキを食べたいっていう性癖は、持ち合わせてないですよ。なんか恥ずかしいじゃないですか。完璧なテーブルマナーで、美しく食べられるならともかく……お腹はギュルギュルと不穏な音をたてるし、もうほんと、恥ずかしさしかない!
なんならいっそ、ふたりとも席をはずしてほしいくらいで!
隼人さんは戻って来たばかりでいらっしゃるし、わたしは隼人さんのお戻りを待っていたのだけれども、だがしかしッ!
これ、すっごい……無理。
無理無理無理、この状況で食べられるほど根性ない!
って冷や汗流してるところで、名前を呼ばれた。
「え。アリス?」