34
インターホンは、カメラ付きだ。
女性の一人暮らしには、最低でもこの程度のセキュリティは必要だ、と翼様がおっしゃったので、まぁ……最新型で、ログを残せたり、なんならインターホン鳴らされてなくても周辺を撮影したりもできますが……。
そもそも、現段階では隼人さんがいるのは一階のロビーで、わたしの部屋の前ではないんだけど。
そんなこととは関係なく。
今のわたしは、カメラが映した隼人さんに驚愕していた。
すっごく……普通だ!
いや、もちろんイケメンてか、イケオジなんだけど、二次元じゃない!
いやいや、正確にいえば、プラブのキャラクターは三次元データも持ってたけど、不気味の谷まで何千里ってくらい、リアルさとはかけ離れてて。
それに、わたしは二次元のスチルの方が好きだったんだよねー。
ちょっとリアル寄りの絵柄で、しっとりしてて。
……ああ、どこに行っちゃったの、わたしのスチル画像集!
いや、ていうかすごいな……。ゲームの画像じゃないのに、隼人さんってわかるし、カッコイイ……。
いかにも自由人って感じの長髪は襟足で無造作にまとめてて、スタンドカラーのシャツとインナーの色合わせもばっちり。シルバーのチェーンも似合う人と似合わない人がいると思うけど、隼人さんは似合う。
似合う・オブ・似合う!
返事がないことに不審を抱いたのか、隼人さんはちょっと眉根を寄せた。渋い……渋いぃ!
これは若造には出せない渋みですね、素晴らしい!
……なんてこと考えてる暇があったらインターホンに応答しようね、わたし!
隼人さんをお待たせするなど、しかもこんな小娘の部屋の前でなど、言語道断!
部屋の前じゃなくて、一階ロビーだけど!
こまかいことは、いいんですよ!
「はい」
『ああ、アリス』
わたしの声を聞いて安心したらしく、ちょっと表情がやわらかくなる瞬間、ゲットしました!
ああー、スクショ撮りたい、……。
……?
えっと……あれ?
なんか最近、スクショ撮りたいって思ったような……いや、あれ?
そんなはずないよね。だって、実物を見るの、隼人さんがはじめてだもの。
翼様は音声のみだし、ほかのメンバーに至っては通話アプリで名前を確認しただけ。名前一覧のスクショ撮ってどうするんだ。どうでもいいわ、そんなん!
それより、わたしの渾身のアルバムを復活させて!
『アリス?』
「あっ、はい。なんでしょうか!」
やばい、わたしちょっとぼーっとしてた?
隼人さんのお言葉、聞き逃したりしてるのか、いやそんなまさか、許されない!
『体調が悪いわけじゃないなら、出て来ないか?』
「……えっと」
なぜか、すぐには答えられなかった。
なぜかもなにも、そう、わたしは怖いんだ。今、この世界が。
この部屋だって、現実感も馴染みもなにもないけど、それがさらに拡大したら?
街並みも、そこを歩く人々も、なにもかも見覚えがなかったら、どうしよう。
どうしようもないけど。
『アリス、大丈夫か?』
「あは……」
笑おうとして、わたしは失敗した。
どうしよう、どうすればいいんだろう。
『わかった、開けろ。すぐ行くから』
「はい……すみません」
『謝らないの、俺が好きでやってるんだから』
ロビーのロックがはずれる音と、隼人さんの好きって言葉がかさなって。
こんな、どうしようもない気分なのに、いいタイミングだなぁ、って思っているわたしは、なんか変ですね?
次のインターホンは、部屋の前だ。
緊張したわたしの耳に、突き刺さるような、ピンポーン。
扉の向こうに、隼人さんがいる、リアルに存在してると思うと、なんか感動する。
あと、……。
「はい」
『迎えに来たよ』
隼人さんは、やっぱりかっこいい。
すごく、かっこいい。
でも。
『アリス』
わたしはアリス。
隼人さんにとっては……ううん、この世界の誰にとっても、きっとそう。
モブ顔で借金背負ってて、特にどうってことない女なのに、翼様に優遇され、電話一本で隼人さんが飛んできてくれるような、謎のアリス。
なんなの、わたし。
それ、わたしじゃない。
ゲームの中のキャラクターですよね。
わたしじゃなくて。
アリスと呼ばれながら、アリスじゃないと感じてるわたし。
このわたしは、いったい誰なの。アリスじゃないなら、このゲームをプレイしてる誰か?
VR技術の進歩について行けなくて、自分がゲームの中に入った経緯を認識できなくなってるとか……時間が来たら、強制終了がかかるんですよ。
でもその安全装置が作動しなくて、自我の認識もゲーム設定に寄り過ぎちゃって、もう正気を取り戻せるかわからない、みたいな……。
絶賛妄想展開中に、インターホンがタイムオーバー。通話が切れて、ふたたびの、ピンポーン。
『アリス、わかった。入れてくれ』
「……」
こんなにもかっこいい存在を呼びつけておいて、なんですが。
「隼人さん」
『どうした?』
「怖いです」
ドア越しじゃなくなるのが、怖い。
声が怖かったんだもの、そりゃ実体が目の前に立ってるのなんて、もっと怖いに決まってるじゃないですか。
ちょっとは考えろよ、わたし!
馬鹿なの⁉︎
『そうか。じゃあ、ここで話す?』
隼人さんに後光ってさしてないですかね?
このひと、菩薩なのでは?
「あの……」
『不審者として通報されそうだな』
いたずらっぽく笑った隼人さんのその表情がまた、わたしが現在置かれている状況を宇宙の果てまでかっ飛ばす程度にはぐっと来ます!
わかりました!
このわたくし、隼人さんを不審者扱いさせるような女ではござらん!
と、思いたい!
ロックをはずして、わたしはドアを開けた。
隼人さんが、そこにいる。
心臓が、爆破でも目論んでるのかって勢いでドッキンドッキンしております。わたしこのまま死ぬんじゃないかしら。
死んだらゲームからログアウトできるのかな……。
「アリス、入っていい?」
「あ、はい。どうぞ」
な、なんかちょっと声が裏返った?
大丈夫かな。
ていうか、顔を上げられないんだけど!
玄関先で立ち尽くしてるわけにもいかないし、わたしは隼人さんに背を向けて、部屋に戻った。
殺風景なワン・ルーム。来客の可能性はビタイチ考えてませんねっていう……机とベッドしかない……。
……。
うおお、え、マジ、ちょっと待って。
机と椅子とベッドと、カラーボックスしかないですぞ、この部屋!
いや、キッチンに冷蔵庫、洗面所には洗濯機があるけど、それはどうでもいいっていうか混乱してるなわたし、落ち着け!
隼人さんが外に行こうかって誘ってくれたの、これか!
この部屋!
ソファみたいな洒落たものないから!
いきなりベッドだから‼︎
わたしは意を決し、隼人さんに向き直ろう……として、不意に後ろから抱きすくめられた。
ちょっ……まっ……えええええええええ⁉︎
耳元で、隼人さんの声がする。
「落ち着けって」
落ち着けるかーッ!
隼人さん、隼人さんのくせに頭悪くないですか⁉︎
「アリスがなにを怖がってるかは、とりあえずおいといて。ひとりじゃねぇぞ。絶対に、俺がついてるからな」
その言葉を聞いたとき、目頭が熱くなって。
あ、やだ、と思う暇もなく、わたしは泣いていた。
目薬をさしたみたいに、ぽろぽろ涙がこぼれて、それがわたしを抱いている隼人さんの手に落ちて。
隼人さんは、腕にこめた力を、少しだけ強くした。
「俺のことも、怖い?」
わたしは頭を左右にふった。
ほんとは怖いのかもしれないけど。でも、……でも。
「ちょっとは怖がった方がいいかもしれねぇぞ?」
「……信用、してますから」
「うん、まぁそれはわかったが、できたらなにか羽織ってくれないかな。枯れてきたおっさんとはいえ、アリスみたいな可愛い子の無防備な感じ、すごい誘惑だからさ」
いわれて、わたしは気がついた。
自分が、秘書室のお姉様が「この程度のものは着なさい!」と買い与えてくださった、薄手のナイティ一枚だ、ということに。
ぎゃー!
百年の夢も覚めるわ!
わたしったら、なんて!
なんてこったい、もう現実かどうかとかどうでもいいレベルで動揺した、自分で自分が無理!
これじゃ、隼人さんを色仕掛けで誘惑しようとしてる頭の悪い小娘じゃん、許せん、自分が許せん!
「申しわけありません! ただちに対処します!」
「お、おう」
思わず、翼様にお仕えするときの調子で返したら、隼人さんはちょっと当惑して。
そして、笑いながら手をはずし、一歩下がってこういった。
「そうだな、ただちに対処してくれ」
「はい!」