32
なんかもう、えっ、しか出ないわ。
えっ。
なにが、どうなってるの。
……落ち着け自分。半休万歳。なんならまるっと休んでもいいよね。
だってこれ、ゲームだし。
……いやいやいやいや、全然よくないでしょー⁉︎
わたしはスマホの画像フォルダを開いてみた。
……ない。
ないないない、ない!
渾身のベスト・ショットを集めた、プラブアルバムが、ない!
よって、今のわたしにとって翼様は声だけの存在……。実在するのかも、あやしいぞ。
そうよ、だってそういうアプリだもん。
そうだそうです、そうだった! 実在するわけないじゃん、そうだよね!
プラブって、乙女ゲームの皮をかぶったスケジューラで。ええ、時間が来たらやさしく起こしてくれたり、おやすみの挨拶をしたり、予定を教えてくれたりするんですよ、ふつうにね。
ただし、翼様を除く。
翼様だけは、ふつうじゃない。
なぜか主人公が翼様の秘書という役割を割り当てられていて、目覚ましはあんな感じだし、入力した予定はあくまで翼様のご予定。プレイヤーはそれに同行するってお約束になっていて。
だから、翼様の台詞もそういう……用意はできたか、行くぞ、って内容になるんだよね。
そうそう、ただのアプリ。寝ぼけて、リアルと混同したわ。
ははは。
はは……は?
わたしはアルバムを閉じ、スマホのホーム画面に戻った。
ない。
アルバムどころか、ゲームアプリ本体が、ない。
待って、じゃあさっきの通話はなんだったの。アプリのアラームじゃなくて、マジで会話したの?
いや、そうだよな……。そうだよね。
いつのまにか高度なAIを搭載しましたっていうならともかく、プラブのスケジューラは、あらかじめ録音されている台詞をアラーム音として再生するタイプで……会話なんてできっこない。
いやいや、寝ぼけて夢をみただけだよね、うん。
現実に復帰しなきゃ。
まず、半休とっていいぞと許可してくれたのが、乙女ゲームのスーパーダーリン系俺様ヒーローとか、笑えないから……正規の上司に連絡しないと。
うん。
……って誰?
顔から血の気が引くのがわかった。
翼様のポンコツ秘書っていうのがゲームの設定に過ぎないなら、ほんとはなにを仕事にしてるの。
住んでる場所だって、さっきの理屈は通らなくなる。
部屋を見回してみたけど、ここどこ? って感じ……。
殺風景で、生活感が乏しい。誰が住んでいて、どんな生活をしているのか。ヒントになりそうな要素が、なにもない。
うん。だって、いつ引っ越すことになるかわからないと思ってて……翼様のご機嫌次第で首が飛ぶじゃないですか。余計な荷物は増やさない方がいいな、って。最低限、生活に必要そうだから揃えたものを、とりあえずって感じに並べただけの。なんていうか……その場凌ぎの部屋。
……つまり、この部屋のなりたちは、翼様に拾ってもらった、というゲームの設定を踏襲してるわけで。
それ以外の、ゲームじゃないリアルなんて、見当たらない。
なんだか、笑いがこみ上げてきた。
やばい、面白くなってきちゃったぞ。
びっくり仰天過ぎて、思考と感情が混乱してるっていうか。面白がってる場合じゃない気もするけど、だったらどういう場合なんだよ、ぁあ? って逆ギレ状態っていうか?
要は、自暴自棄みたいなものかな。いや、ちょっと違うかな。
……どうでもいいな!
笑いの発作をやり過ごしたら、今度は不安の波に襲われた。
どうしよう、 わたし、どうすればいいんだろう。
ちょっとパニックに陥りかけながら、わたしはスマホの画面に指をはしらせ……通話アプリを開いていた。
誰か、誰でもいいから、誰か!
なにか、納得のいく話をしてほしい。
登録されている名前はとても少なくて……それを予想して然るべきではあったけど、実際、目にするとたじろいでしまうわけですよ。
プラブのキャラクターの名前だ、ということに。
もちろん、「翼」という名前もあったけど、それはもういい。翼様とは話した。
あの人、泣きついても同情してくれないから。
今は、無条件に慰めてくれるキャラがいい……せっかく乙女ゲームのキャラが並んでるんだもの、甘やかしてくれるキャラを選ぶよ、わたしは!
というわけで、わたしは「隼人」をタップした。
……でもなんだか、いきなり音声通話する勇気はなかったから、まずは文字で……チャットからお願いします。
どこに差があるのかわからないけど、なんかそんな気分なので!
即レスなくても、それはそれでいい気がするし。既読スルーは悲しいけど、隼人さんに限って、それはない。
『こんにちは』
『おう、どうした?』
送った、と思ったらすぐ返事来た!
さすが隼人さん。
しかし、なにをどう説明すればいいのか。いや、説明してもらえばいいのか?
『ちょっと、不安になっちゃって』
『不安? 珍しいな』
『珍しいかな』
『ああ、珍しいさ。そうやって人を頼ったり、滅多にしねぇだろ。かなり辛いんじゃねぇか? 大丈夫か。いや、大丈夫じゃねぇから連絡してきたんだな』
そうですな……大丈夫って感じはないですな……。
どう返せばいいのか悩んでると、心配したのだろう、隼人さんが呼びかけてきた。
『アリス?』
アリス。
……アリスって、誰。
『アリス、そっち行こうか?』
ゲームの存在がリアルに来るとか!
ああ、音声がハードル高かったの、それか。
文字で読むより、実在してる感が強くなるからだ。
わたしは不安でたまらないんだ。ゲームのキャラクターに相談しちゃうくらい。
そのキャラクターがリアル出現したら、どうなるの。
ていうか、相談しておいて、実在するのを確認したくないとか、失礼きわまりなくない?
今はわたしだって、ゲームのキャラじゃん。そうだよね。そうだよ。
『うん』
『よしきた、すぐ行く』
『ごめん』
『謝んなよ。時間だけはたっぷりあるニート中年だからな。すぐ行くからな』
『うん』
『もう部屋を出るぞ。あ、鍵』
隼人さんが自分の行動を実況しはじめたの、なんか笑える。
『こら! 歩きスマホ、駄目、ゼッタイ!』
『しょぼ〜ん』
隼人さんは、変顔のスタンプを押した。やっぱ、笑える。
『おとなしく待ってるから、歩きスマホしないで、気をつけて来てください』
『おう、男はひとたび家を出れば、七人だか八人だか、たくさん敵がいるっていうしな!』
七人なのか八人なのか。
『隼人さん、敵いるんですか?』
『いや、俺は無敵』
『わかりました。でも自動車には勝てないと思うので喧嘩売らないように』
『俺が喧嘩を売るのは、アリスを悲しませるやつだけだよ。じゃ、あとで。すぐ!』
さすが乙女ゲーキャラ……。さらっと、いいおった。
ちょっと顔が熱くなって、あー、わたしの頭って平和にできてるなって思った。甘い言葉に照れてる場合かっつーの。
いやでもさ、せっかく乙女ゲームっぽいシチュエーション、楽しまないと損じゃない? あるいは、野暮じゃない?
隼人さんは、プラブのオッサン枠だ。
オッサンといっても、そりゃ、乙女ゲームの攻略キャラですからね?
イケメンですよ。あと、すっごい甘やかしてくれる。
オッサン枠というよりは、パパ枠と呼ぶ方が適切かもしれません。パパはパパでも、若い子に飯を奢ってあわよくばベッド・イン! 的なパパじゃなく。
娘を目に入れても痛くない系の、ギラついてないパパね。
本人、ニートっていってたけど、若い頃にした発明の特許だかなんだか(詳しいことは知らない!)を売って大儲け、悠々自適の生活を送ってるという、高度なニートです。
ちなみに、死別のバツイチで、奥様を失った痛みは生きている限り消えないだろう、っていうイベントがあります。
――その傷はもう俺の一部で、消したいとは思わない。
乙女ゲームにあるまじき、主人公以外の女への永遠ラブ宣言!
これ、ユーザーのあいだでも評価が分かれて、傷ごと愛しちゃうぜ、一生ついてく! 派もいれば、ふざけんな! 派もいますね。
わたしは面白いと思った派。
隼人さんがギラついてなくて、安心して甘えられるパパなのは、これがあるからかー、って。納得したわけですよ。
だから、不安でしかたない今、連絡する相手に隼人さんを選んだのは無理もないことなのです。
わたしは保護者がほしいんだ。
大人としては情けないけど、でも、よしよしって宥めてくれて、大丈夫だよって……すべてうまくいくよって慰めてくれる、大人の庇護下に入りたいんですよ。
だって……怖いんだもん。
ここがゲームの世界であるのもそうだけど、それより、自分がなんなんだかわからないのが怖い。
アリスって……わたしなの?
翼様にせよ、隼人さんにせよ。会ったら、違う、っていわれたりしない?
おまえは誰だ、って。
それでも、隼人さんならすぐ慰めてくれるだろうけど。わたしが誰であっても。不安でたまらないって顔をしていれば。
うん、不安だよ。
……すごく怖いよ。
ほんと、いい歳して泣きそう。
誤字報告ありがとうございました。適用しました。
助かります!