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「君は優しいんだね、アリス」
突然、馨様が話に入ってきた。また、手を握られたのですが……。
ほんっと、わたしの手が本体以上に人気ある現象について、どう評価すべきなのかわからない!
「優しさとは、時に人を傷つけるものだ。厳しさ以上に」
絶対O者の、なんだか含蓄ありそうな台詞、いただきました! 例によって、いらねぇけども!
「そういうことも、ままあるとは思うけど」
司が微苦笑とともに目配せをしてきて、あーもうほんっと、こいつわかってるな、って思いを噛み締めています。
この表情に!
弱いんだ!
いいぞ、もっとやってくれ。だんだん開き直ってきたぞ。
「ああ、アリスに傷つけられるなら本望さ。美しい人よ、ともに行こう!」
馨様が、立ち上がった。当然、わたしも引っ張られる。あの、ミルフィーユが手つかずなので、お土産に持ち帰りたい……この人たちが見てるところでは食べたくないけれども!
そして、空気を読まない質問ですみませんが。
「どこへですか」
「適性判定に決まっているだろう。一刻の猶予もならない」
「ですから、わたしはこの身体を元の世界に連れ帰る義務があって……」
「連れ帰ったところで、その世界が崩れ落ちたらどうする」
「え……」
わたしを取り囲む若武者たちの表情は、とても真剣だ。
アリス、と司がわたしの名を呼んだ。
「事態は、おそらく君が考えているよりずっと悪い」
「でも……」
「心配はいらないよ、アリス。わたしたちは、強い。魔妄などに負けはしない。君のことだって、守り抜いてみせる。君はただ、一緒に来てくれればいいんだ。それだけで、おお、わたしたちは鼓舞される。こんなにも、胸が高鳴る!」
って、ご自分の胸にわたしの手を押し当てるの、やめてください馨様……なんか恥ずかしい!
しかも、ほんとにドキドキなさってるし!
なんなの、このモブ顔にときめく超絶美形、不条理を感じる。
いや、そんなこと考えてる場合じゃないぞ、このままだと流されるぞ、わたし。
それは、駄目だ。
アリス本体のためにも、彼女を愛してくれている人たちのためにも……。
「とにかく、一回帰らせてください。かれらに事情を説明しないと」
「適性を見極めるのが先だ」
「そんなの、どうでもいいだろう? 彼女こそ、伝説の適合者だ」
「その可能性は高いが、万が一ということもある」
「……もう嫌だ。帰らせて!」
わたしは必死に馨様の手を振り払った。力を入れ過ぎて、涙が目に滲んだくらい。
だって、帰らなきゃ。
エリザベス様が、どんなに心配なさってるだろう。アーサーも、殿下も。
どんなに後悔しているだろう。すぐ手が届くような近さにいたアリスを拐かされたことを、どれほど悔しく思っているだろう。
わたしが、帰らなきゃ。
あの人たちのもとへ、アリスを返してあげなきゃ!
「あんたら、ウッゼェ」
ぼそ、っと声がして。
気がつくと、小銀丸に抱えられていた。
……って、えっ? 小銀丸⁉︎
「小銀丸、なにをする」
「女泣かせて、勝手いってんじゃねぇよ。ちょっと頭冷やせ」
なんということでしょう! 小銀丸が男前に見える!
えっ、なんで⁉︎
……いささか失礼な感想を抱いているわたしごと、小銀丸は高くジャンプした。ラウンジの外にとびだすと、一気に三階まで届くジャンプ。どこの王族が手を振る用ですかっていう豪勢な造作のバルコニーに、なんなく着地した。
さすがウサギの化身、脚力凄い。
そのまま、バルコニーから屋内に入るためのガラス戸も蹴破った。ガラスの破片が舞い散るけど、小銀丸はまったく気にしない。
ずかずかと入り込むと、まだ抱えたままのわたしに訊いた。
「どれくらい、時間を稼ぎたい?」
「どれくらい、って?」
「すぐみつかってもいいなら、ここで待つ。みつかりたくなければ、もっと逃げる」
小銀丸の回答は単純明快だ。
「みつかりたくない、っていうより……」
「帰りたい?」
「……うん」
相手がストレートに来るから、わたしもそうなってしまう。
小銀丸は、赤い眼を細めて、ちょっと考えるようにした。
「世界間の移動は、応慈が制御してるからなぁ。俺じゃ、できないかも。やってみてもいいけど、どこに着くかわからねぇ、ってレベルのジャンプしかできねぇから。俺ひとりならともかく、あんたを連れてくのに、どこでもいいってわけにゃいかねぇだろ」
そういって、ちょっと不機嫌そうな顔をする小銀丸。
ふっさふさのウサ耳を、もふもふしたいですが、はい、そんな場合じゃないですね。
ていうか、なんで?
「どうして、助けてくれるの」
「女を泣かすのは、悪いやつのすることだから。師匠に、教わったからな」
小銀丸の師匠は、山猫の化身だ。たしか高齢の女性の姿で、迫力あるイベント絵があったような……。ああー、小銀丸に思い入れないせいか、ちゃんと思いだせないけど、なんかさっきの台詞にも聞き覚えがあるぞ!
そうだ、キャラごとの導入章じゃないかな……。
「とにかく、もう少し時間を稼いでおくか」
そういって、小銀丸はまたバルコニーへ戻った。ガラスの破片まみれなのに、音もたてず、ひらりと手すりに跳び上がる。
……こうして見ると、三階って……高い!
「口、閉じてろ。舌噛むぞ」
警告と同時に、小銀丸は跳躍した。
一気に薔薇園を飛び越し、学園を囲む白樺の森の中へ。
ざあ、っと花びらが散って、小銀丸とわたしの姿を隠す。
……ええー、屋内に逃げ込んだと見せかけて、得意ゾーンの野外に移動したってこと?
やばい、この小銀丸ただの馬鹿じゃない!
小銀丸は、そのまま森の奥へと向かった。
「あの、わたし、自分……っで……」
震動が凄くてまともに喋れない!
ジャンプひとつずつが大きくて、高低差が……凄いぃ。
「黙ってなよ。舌を噛むっていっただろ。それに、俺について来れるはずねぇよ。無理、無理」
ああ、まぁ……そうか。あんまり走るの得意な気がしないですね、うん。
たとえ得意でも、小銀丸に追いつくことはできないかな!
はえぇよ、景色がふっとぶよ、どうして樹にぶつからないんだろう、ぶつかったら爆発四散しそうなスピードだから、ぶつかられるのは困るけど、いやでもなんで、どうして、速い速い速いいいぃぃ!
結局、適当な茂みの奥に小銀丸が穴を掘り、その中に隠れた頃には、わたしは疲労困憊していた。
精神的に! 無理っていうか! 耐えられる速度じゃなかったというか!
しかし、小銀丸は凄かった……。ただのトラブルメーカーで、飽きっぽい子どもだと思ってましたが、見識を改める必要がありますね。
まず、脚力半端ねぇ。
次に、意外とちゃんとものを考えてる。
そして、なんていうか……男前?
女泣かせて勝手いってんじゃねぇ、って台詞、凄いかっこよかったです。見直しました。
あと次点で、耳が凄くもふもふ心をそそります……。嫌がられないなら、すぐにももふりたい。
でも、あんまり喜んで受け入れてもらえる気がしないな!
ようやく下ろしてもらえたので、わたしは掘りたての穴に座りこんだ。膝を抱えて、心の中でエリザベス様に謝った。
せっかくの白いドレス、土で汚してしまいます、ごめんなさい。アーサーにも謝った。上着を犠牲にしたのに、結局、汚すことになっちゃった。とほほ。
「いっておくけど、そんなに長いあいだはいられないと思う。運を天にまかせてジャンプするなら、つきあうし。あいつらと話し合うなら、それでもいいぜ。俺も、ちゃんと味方するよ。あんた、ひとりきりなんだもんな。俺、話し合いでうまく助けるなんて、できないかもだけど。ま、それでも頑張るからさ」
この小銀丸、ほんとにラブエタ産なの?
まとも過ぎる!
「ありがとう、小銀丸」
「いいよ。むしろ、あいつらが迷惑かけて、ごめんな。あいつらも、今は世界を救うとかって、そういうことに真剣で、いっぱいいっぱいだから。追いついて来る頃には、まともな判断できるようになってると思うぜ」
小銀丸が……ほんとにまともだ。思慮深い!
偽物かよ、ってツッコミたかったけど、たぶん違うんだな、って思った。
ここはラブエタ世界であって、そうじゃない。
司がいってた通りだ。
ゲームで知ってる世界だと思うから、その知識にふり回される。こうだろう、って思い込みが、偏見を生むんだ。
わたし、ほんと、どうしようもないな。
頭から馬鹿にしてた小銀丸に、こんなに助けられて。それでも、やっぱりなんか上から目線で。
くっだらない人間だな。ほんとに。
「おい……どうした?」
「ウッゼェ、っていってくれる?」
「え? いいけど、なんで」
「いいから、いって」
「……ウッゼェ」
そういいながら、小銀丸は、ふわっとわたしを抱き寄せた。風のように、羽根のように。
さっきまでの、荷物を持ち運ぶための手つきではなく、もっと優しく。
「ウッゼェな、あんた」
「うん」
「そのままでいなよ、大丈夫だからさ」
なにをそのままなのか、なにが大丈夫なのか、ちっともわからなかったけど。
それでも、わたしは小銀丸の腕の中で、うん、と答えていた。何回も。何度でも。