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正直、わたしの人生ってなんだったんだろう。
そんなことを考えるのは、人生に区切りがついたときだ。
当然だよね。
忙しくしてたら、そんなこと考えるゆとりもないじゃない?
今は忙しくないのかっていうと……状況としては、忙しいというか、気を抜いている場合ではないような……いやまぁ、そういう問題じゃなくて!
区切りっていうか、気づきのタイミングが来たわけで。
そう、気づいちゃったのですよ。
わたし、乙女ゲームの世界に転生しちゃってる、ってことに!
それってつまり、前世は終わってるってことだよね。
えっ、わたし死んだの、いつの間に?
どうして?
ていうか、どうやって?
何歳で?
「どうかしたのかい、アリス」
素晴らしい低音に、鼓膜と一緒にわたしの心もふるえた。
ちなみに、アリスというのはゲームを遊ぶときに使っていた名前であって、本名ではありません。なんかいいわけがましいけど、……ねぇ?
だって。アリス、って!
弁明せざるをえない気分になるじゃないですか!
「アリス?」
「シルヴェストリ……」
わたしは今、イケメンどころじゃないのです。
ええ、ぶっちゃけ衝撃で死にそうです。
どうやら一回、死んでるんだけど!
しかし、プロのイケメンは容赦なかった。
顎をつまんで、クイッ、からの至近距離で眼を覗き込んでふわっと微笑とか、なにコンボ決めてくれてんの、この魔族。
眸は蜜をとかしたみたいな黄金。プラチナの髪は、シャンプーのCMに起用したら爆発的売り上げ間違いなしのツヤサラっぷり。
耳の先が尖ってて細長いのも、両方のこめかみあたりから黒い角が生えてるのも、ほどよい異形感があって、完璧です。
つまり、美しいです。
「アリス」
もう勘弁してください……。
あと、膝に乗せるのもやめてください……。
そんなことを考えてるあいだに、神絵師の絵がそのまま立体になったような顔が近づいて、あ、これはいかんと思ったら、手が勝手に動いていた。
つまり、シルヴェストリの芸術点が高過ぎる顔を、手で押さえていた。
ひいぃ、殺される!
「わたしにこんなことをするのは君だけだよ、アリス」
そりゃそうでしょうとも!
魔界の陰の帝王と呼ばれているらしい、実力者様ですからね!
「ひっ……ひとりになりたいんです!」
いえた!
実は、シルヴェストリの前では、まともに喋るのも難しい。
美と禍々しさの圧力が、ちょっと常軌を逸したレベルなので……。
シルヴェストリは、わたしの手首をそっと摑むと、自分の顔からはずした。
そして、そのてのひらを、ぺろっと……。
わたしは悲鳴をあげた。
「なにしてんですか!」
「美味しそうだったので、つい」
「鳥肌たったじゃないですか!」
蜜色の眼をほそめて、シルヴェストリは尋ねた。
「気もちよかった?」
「んなわけないです。わたし、教えましたよね。好意を抱いていない相手からの親密な行為は、ただの迷惑で、不快さしか覚えない、って」
「そうだったかな」
「わたしに嫌われたいんですか?」
「それは、嫌だな」
困ったように微笑むシルヴェストリが、眩しい……。サングラスが必要なレベルだ。
設定上、シルヴェストリはわたしを殺すことはできない。
わたしは聖女の魂の欠片とやらを持っていて、これは魔族にとっては危険なものらしい。原則として不死の魔族を、消滅させることができるのだとか。しかも、それを持っている者が死ぬと、自動的に欠片が爆発するのだとか。
生体兵器かよ。
……ゲームでだったら楽しめた設定も、今は苦さしか覚えない。
「アリス、君はどうなのかな」
「どう、って?」
「……わたしに嫌われたい?」
近い! 懲りてない!
「嫌われてもしかたないとは思ってます」
「ずるい答えだね」
自覚はあります。
わたしは俯いて、そうですね、と囁いた。
シルヴェストリは文字通りの地獄耳の持ち主だから、聞こえるんだろうな、と思いつつ。つまり、これもわりとずるいです。
「わかったよ。ひとりになりたいんだね?」
「はい」
「部屋に戻らせてあげよう」
耳元で、また後で、と声がして。
気づけばわたしはひとりきりだった。
シルヴェストリの美意識に適う、ある程度はわたしの希望も反映された部屋。
全体は、卵の内側にいるような形をしている。ほどよく狭い。
造り付けの家具は、どれも植物的な曲線で構成されていて、度を越した完成度のアール・ヌーヴォー趣味とでも表現すればいいだろうか。壁紙は超絶こまかい花模様だし、天蓋式のベッドの支柱にも蔓植物が絡みついたような細工があって、自然なのにデザイン性も高いとか、もう意味不明のクオリティ。
……なんだけど、今のわたしには、鑑賞できるような心のゆとりがなかった。
――わたし、死んだんだ。
あらためて、その事実にうちのめされる。
乙女ゲームの世界で接待を受けてるような現状を鑑みるに、よほど徳の高い死にかたをしたのだろうか。
いや、どんなんだよ。
まったく想像つかないよ!
ろくでもない死にかただったのかもしれないし、思いだそうとしても、なにもかもが靄に包まれたように漠然としていて、とても遠いんだけど。
でも、わたしは生きていた。
ここじゃない世界で、アリスなんて名前じゃなくて……確かに、生きていたはずなんだ、って思った。
絶対に。確実に。わたしがわたしとして生きていた場所が、時代が、あったんだ。
超高級低反発マットレス──これは、わたしが希望した要素だ──に突っ伏して、わたしは思った。
でも。
だとしても。
終わっちゃったらしい、わたしの人生って、結局、なんだったんだろう、と。
お読みくださり、ありがとうございます。