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殿下とアーサーは、どちらもなにか考えている風だ。
そりゃ面食らうよね。あなたがたは物語の登場人物です、って。
わたしの正気を疑いはじめても無理はない。
正直なところ、わたし自身、自分の正気にちょっと疑問を覚えなくもないですよ?
だって、乙女ゲームの世界が複数交錯しちゃって、皆に好かれて困ってるヒロインの霊です、きゃっ☆ ……って。
どうかしてるでしょ。理性がどっか行っちゃってるよね、完全に!
「にわかには、信じがたい話だけどねぇ……」
殿下の感想は、ふわっとしてるし、暗くないし、いかにも殿下らしさ満点です。
「その物語を、わたしも読めるだろうか?」
アーサーの感想も、アーサーらしいですね! そうきたか!
「ここは、物語の中ですから……」
「読めたら矛盾が生じるか。物語の外に出なければ読めない、と。そして、君は自分を物語の外の存在と定義しているからこそ、本来の『アリス』ではないと感じている。なるほど、そういうことか」
「アーサーは、それで納得するんだ?」
「まさか」
殿下のゆるいツッコミを、アーサーは即座に否定した。まさに瞬殺。
「安心したよ」
「胡乱な説明では納得しないことにかけては、安心してもらってかまわない」
「盤石だな」
殿下が笑った。当然のことだろう、確認するまでもない、という感じでアーサーが眉を上げ、あーこの表情がほんと、アーサーだなって思った。
この人はゲームの人じゃないけど。立体だけど。生きてるけど。
わたしの知ってるアーサーであると同時に、ぜんぜん知らないアーサーでもあるんだけど。
「ほかにも、そう考える理由があるのだろう。話してくれないか」
「シルヴェストリも……アーサーは会ってますよね? あの魔族も、わたしは物語で知っているんです。物語の中でしたのと、まったく同じ会話をかわして……それで、気がついたんです。我に返った、というか。あ、これは知ってる、って」
シルヴェストリや魔族の城について考えはじめたのか、アーサーが静かになった。
代わって、殿下が質問役を引き継いだ。
「それは、僕らの物語の続きかなにかなの?」
「いえ、それぞれが、まったく別の独立した物語です。魔族が登場する物語にも『アリス』と呼ばれる娘がいるんです。だから、シルヴェストリは、わたしをその『アリス』だと認識しているのだと思います」
「あれ? その魔族の物語は僕らの物語の続きじゃないんだよね? っていうことは、ふたりの『アリス』は、ただ名前だけが同じ、ということ?」
これは難しい。
「そうなんですけど……えっと……どちらも、魔法の本で」
「魔法の本?」
「場面によっては、読み手が主人公の行動を選べるんです。たとえば、紅茶にミルクを入れるかどうか、とか。ミルクを入れたらミルクを入れた状態で物語はつづいていきますし、入れなければ入れない状態でつづきます」
「場面によって、ってどういうこと?」
「ミルクを入れるかどうかは選べても、その紅茶を飲むかどうかとか、次にケーキを食べるかどうかは選べない、みたいな。選択できる場面は、限られているんです」
我ながら地味なたとえだし、わかりづらいなと思ったけど、殿下には、なんとなく通じたようだ。
「たとえば、アーサーの上着に座るか、立ったまま休憩するかを選ぶことはできるけど、その次に、僕とアーサーのどちらに話しかけるかについては、選びたくても選べなかったり……みたいな感じ?」
「そんな感じです。どちらの魔法の本も主人公は『アリス』という名前ですけど、共通点はそれだけで……ただ、わたしはその両方の物語を読んでいて」
「主人公として選択をしながら、物語を変えていった、ということだね」
「……はい」
ほかに、説明のしようがない。
「自分で物語の進む方向を選べる、魔法の本か……。面白そうだなぁ。僕も読んでみたいな。本の中の僕は、どんなだったの? ちゃんと、アリスとは仲良くしてた?」
「そうですね……親切にしていただきました」
「アーサーと、どっちが?」
「それは……選びかたによるというか、ええと……」
ルート次第というか、好感度の数値で変わるからなぁ。
いやでも待てよ、殿下はなに考えてるかわかんないっていうか、好感度低くても、基本、親切だったな、そういえば!
「一回しか読めないの?」
「いえ、希望すれば読み直すこともできます。ただ、何回読んだかが本に記録されて、読んだ回数に応じて変化したり、とかも……あるようなんですけど」
「読み直すと選択肢を選び直せるだけじゃなくて、そもそも選択肢自体が変化している場合もあるってこと?」
「はい」
「ますます興味深いね。じゃあ、アーサーと僕の双方に誘われて、とりあえずアーサーの無茶につきあってみたらうんざりだ……ってなったら、前に戻って僕を選んで、楽しくお茶を飲んだりできるんだね?」
「おい、そこの王太子、選択肢の例がおかしいだろう」
急に、アーサーが話題に入って来た。
いやでも実際、そういう分岐あったけどね……。などと教えてしまったら、詳しいシチュエーションの解説を求められそうな予感がしたので、わたしはアーサーの発言を無視した。
「そうですね、そうお考えいただいて、間違いではないと思います」
「それで? 君は、その魔法の本の中に入ってしまった、ということなのかな?」
「正直に申し上げると、わからないです。ただ、……わたしは、この世界に属していない、と感じられてしかたがないです」
ディスプレイ越しに眺めていた世界。美しく魅力的ではあっても二次元のキャラクターたち。数値やアイコンで表示されたスペック。
現実時間とは別のスピードで進む、ゲームの中の時間。
プレイヤー・キャラ――アリスは自分であって、自分じゃなかった。
自分の分身であるアリスに浴びせられる甘い言葉を、胸がときめくシチュエーションを。過酷なシチュエーションさえ、わたしは楽しんでいた。
だから今、こうしてこの世界にいるのかもしれないけれど。
でも、どんなに好きでも、楽しんだ記憶があっても、ここはわたしの世界じゃない。
「もしそうなら、君は、よその世界からの来訪者ということになるね。ようこそ、僕らの世界へ。それと、我が国へ。今さらかもしれないけど、歓迎するよ」
殿下、キラキラしてますね……。こんなときでも、キラキラ。
「エドワード、ちょっと黙ってくれないか。アリス、ひとつ教えてほしい。君が読んだ魔法の本とやらは、僕らがいるこの世界の物語と、魔族の城がある世界の物語、この二冊だけなのか?」
「いいえ。あと二冊、読みました」
乙女ゲームに限っていえば、だけど。
でも、この雰囲気だと、落として揃えて消すゲームとか、ボールにモンスターをゲットしちゃうゲームとか、どうぶつの依頼を達成してアイテムをコレクションするゲームとか、混入しそうにないと思うんだよね……。
あれこれやりこんだはずなのにな。記憶は曖昧。攻略情報も、思いだせない。
不意に殿下が、そういうことか! と声をあげた。
「残り二冊の内の一冊に登場するのが、さっきの歌のうまい人たちなんだ?」
「そうです」
「なるほどねぇ。もう一冊は?」
「まだ、出て来てないです」
「君の世界には、魔法の本ってたくさんあるの?」
「あります」
「面白そうだなぁ。連れて行ってほしいくらいだよ」
「馬鹿なこと抜かすな、王太子」
アーサーの、殿下の扱いが……どんどん雑に!
「馬鹿なこと抜かすのが、僕の仕事なんだよ」
「そうか。では頑張れ。幸運を祈る。さらばだ。よし、アリス嬢、この男のことは無視していい」
雑どころじゃない!
「あの……」
「君が悪霊であるという主張について考えていたのだが、それはなさそうな気がする。経験的に、悪霊は挨拶しない」
そういう!?
いや、そりゃそうかもしれないけど、そういう問題なの!?
「そして、わたしの基本的なスタンスは理解してくれていると思うのだが、悪霊はもとより、霊などというものの存在は認めない。なぜなら、認める意味がないからだ。霊がいて得をするのは、いんちき霊媒や、霊をネタにして興業をしたり、本を売ったりといった経済活動にいそしむ者たちだ。あるいは、自己顕示欲の強い人物にとっても、重宝な存在かもしれない。だが、それだけだ。霊にとって、霊がいると認識されることは徳になるか? ならない」
「でも、話ができる人がいると、霊だって喜ぶのでは?」
本物の霊能力者である「アリス」の記憶によれば、そういう現象もあるはずだ。
「霊は地上に留まるべきものではない。よって、霊を喜ばせることは、我々にとっても、霊自身にとっても、よからぬことだ」
あっ……はい。
さっさと成仏しろってことですね!