16
いきなり、通路全体が激しく揺れた。
わたしは悲鳴をあげ、そして自分の声が通路に響き渡ったことに違和感を覚えた。
自分の声しか、……聞こえない?
若武者たちのライブの音が、止まっている。
音と光のスペクタクルは、いつのまにか中断されていた。当然、あたりは真っ暗だ。
突如として訪れた静寂と闇に、わたしは震えた――いやぁ、幽霊になっても怖いって感覚あるんだな! 生きてるのとなんも変わらないよ。
「逃げられたようだ。エリザベス、追跡頼む」
アーサーの声だ。
こんな状況でも少しときめいてしまうし、久しぶりに聞く気がするし、いや久しぶりってことはないだろって自分でツッコミ入れざるを得ないし、エリザベス様に命令できる立場なの、いや命令してないなお願いか……って一瞬でいろいろ考えて。
「わかった、アリスのことはまかせてくれ。殿下からも守るし、君が戻って来るまで抜け駆けはしない。君が全力を出せる環境を整えることが、長期的に見れば、全員のためだからね。安心したまえ」
うん、アーサーだな! って、納得した。
エリザベス様との交信を終えたらしいアーサーの足音が、こちらに近づいて来る。
出迎えないのかとわたしは殿下を見上げた。
すると、視線があった。
アーサーが灯りをつけたらしい。光源が遠すぎるにせよ、完全な闇ではなくなったせいで、この距離なら殿下の顔が見える。身長差が許す最低限の距離しか間が空いていないから。つまり、近い。
もうほんと、何回いってるかわからないけど、近いよ、この王太子!
「あんなことをいってる臣下には、ちょっと見せつけてやりたいなぁ。どうするのがいいと思う? 僕も手袋を脱いでみる?」
「聞こえているぞ、エドワード!」
アーサーの足音が、速くなった。走りだしたようだ。
「あるいはもっとこう、抱き寄せて」
ようやくわたしの手をはなしてくれたと思った殿下の手が、顎をつまんで顔を仰向かせるとか、いやいやいやいやこれは無理無理無理!
「で……殿下!?」
「名前で呼んでっていったよね?」
「えっ、エドワード様ーッ!!」
絶叫してしまった。
薄暗がりでイケメンと超接近して目を見合わせるなんてシチュエーション、耐性がなくて無理過ぎます。心は乙女ですもの。霊だけど。
駆けつけたアーサーが、悪鬼のごとき形相でわたしを殿下から引っぺがした……らしいけど、殿下も、そして叫んだわたし自身も、耳がキンキンしておどろいて、なんだか笑ってしまっていた。
たぶん、アーサーが来てくれて安心したせいもあるんだと思う。
なんだかんだで安定安心、信頼のアーサーなのだ。彼がいれば、どこでもアーサー・ワールドっていうか。
「アリス、大丈夫か?」
「先に主君の無事を確認しないのか」
「アリス嬢に不埒な真似をするくらいだから、元気に決まっているじゃないか。確認するだけ、時間の無駄だろう。第一、君はわたしの主君ではない」
「今はまだ、ね」
「そうだ。主君ではない。勘違いはしないでくれたまえ。……アリス、どうした? 気分でも悪いのか?」
殿下から引っぺがされたわたしはというと、当初は笑っていたけれど、その笑いがだんだんと、こう……泣きそうになってるっていうか。
嫌だこんなの、恥ずかしい。見るな。
わたしの念波が通じたのだろうか、アーサーは追及をやめてくれた。
よかった。こういうの、エンドレスで追求しかねないタイプだし、アーサーって。
「早く安全なところに移動しよう」
「ここも安全だと思っていたのだけどね」
「ものごとに、絶対はない」
管理責任についてチクリとやった殿下への回答がこれか。さすがアーサー。
やっぱり笑っててもいいのかもしれない。
「完璧を期してほしいものだが……今いうことでもないか。うーん、公爵家に戻るか。それなら距離短縮の魔法が使えるんじゃないか」
「いや、王宮にしよう。さっきエリザベスと話したのだが、あの侵入者、魔法を使うとそれが隙になるようだ」
「隙?」
「隙間、といえばいいかな。魔法の行使によって、奴らが入り込むルートが生じてしまう、と考えてくれ。この通路への侵入も、入口の扉が開閉した、その魔法に乗じたものだと考えている」
「……なるほどね。ああそうだ、ここに来たのはふたりだったよ」
「地上にも、ふたりいた。後から来たようだったな。こっちに来たのは、どんな奴だった?」
「暗くて見えなかったんだよね。ひとりは、ウサギの化身だから穴掘りが得意とか口走ってたなぁ。もうひとりは、歌がうまかった」
「なんだそれは」
「僕にいわれても。……まぁ、そういうことなら歩こうか。まだかなり遠いだろう」
「ああ。魔法で縮めるわけにもいかないしな」
歩くしかない、というお馴染みの結論に達したところで、わたしたちは歩きだした。
歩きながら、自分の置かれた立場について、しみじみと考える。
さっきは悪霊って口走っちゃったけど、悪いことはしてないよ……意図的には。でも意図してやらなきゃ悪じゃない、ってわけでもないしな。
自分は悪霊だと自覚して悪霊やってる霊って、どれくらいの割合なんだろう。
漠然としたイメージでしかないけど……悪霊ってそれぞれ悲劇的な背景があって、そこを理解しちゃうと、あーそっかー、そりゃ無理もないよねー、みたいなパターン多くない?
つまり、本人(本霊?)の内部的には、悪って認識ないんじゃない?
わたし自身は、悲劇的な背景どころか過去自体がないしなぁ。乙女ゲームの攻略情報しか記憶にないっていうのも、それはそれで悲劇な気もしないでもないけど。
でも、それが原因で悪霊化って話だと、もはや喜劇だよね。
あーあ、どうせ悪いことするなら、ちゃんと開き直った悪でありたいな。
悪いことなんてしてないの、みたいに見苦しい弁解をしたくない。
わたしのせいじゃないの、そんなつもりじゃなかったの、魔族に別世界に連れ去れらたり、若武者ライブで王族専用隠し通路を騒がせたかったりしたわけじゃないの!
って、まさに「そんなつもりは毛頭なかった」案件ではあるけど、でも、たぶん。いえ、絶対。
わたしのせいだ。
黙りこくって、どれくらい歩いただろう。
不意に、アーサーが足を止めた。
「アリス、歩くのが辛ければいいたまえ」
「え? いえ……大丈夫です」
「しかし、ひどい顔だぞ?」
えっどんな顔。
ちょっと衝撃を受けているわたしの肩に、殿下がそっと手をかけた。いや、かけるな。
「アーサー、君はもうちょっと、もののいいかたを考えようか。しかし、ちょうどいい。少し休憩しないか? 僕も疲れたし」
「そうだな、そうすべきかもしれない。アリス嬢、どうぞ」
勧められたのは、アーサーが脱いだ上着を敷いた場所だ。
あまりに流れるような動作だったので、止める隙もなかった。
「そんな、座れません」
「立っていたら疲れるだろう? せっかくの休憩だ、ちゃんと休んでくれたまえ」
問題点、そこじゃない!
アーサーの説得って難易度高いなと思ってると、殿下がさらりと割って入った。
「使わせてもらうといいよ、アリス。じかに座ると冷えるし、ドレスを汚したくないだろう?」
でも、と反論しかけて思い出した。このドレスは借り物だ。
おお、殿下ナイス・アシスト! そうだった! 汚せないんだ、これ。
アーサーの上着とエリザベス様のドレスなら、ここはドレス一択。悩む余地なし。
エリザベス様が嬉しそうに、かつ恥ずかしそうにピンクのリボンを褒めてくださったことを思いだしつつ、わたしは容赦無くアーサーの上着に腰を下ろした。
紳士用の服だってお高いんでしょうけどね……でもドレスの方が、なんか、こう。……ね? 乙女だし!
「アリス、よかったらでいいんだけど、ちょっと話そうか?」
わたしに向き合うように座りながら、殿下が提案する。その声は、胡散臭いほどやさしい。
「さっきの話ですか」
「それでもいいし、そうじゃなくてもいいよ。ああそうそう、僕は却下するからね、君が悪霊だなんて主張」
アーサーは、わたしの左隣に腰を下ろした。
ここで切り込んでこないのもまた、アーサーなんだなって思う。なんの話だ、と疑念をそのまま口にするよりも、黙っていたほうが、早く情報が得られることもある。
……って、昔、いってたよね。ゲームの中で。
わたしの知ってるアーサーは、ほとんど、ゲームのアーサーだなぁ。
「それなら、悪くなくてもいいです。でも、わたしは『アリス』としての記憶がないんです。そんなわたしが『アリス』のこの身体を乗っ取って、自分勝手に動かしてる、ということですよ? あまり良い霊であるとも思えません」
「記憶がない? それは、いつから?」
「今のわたしの意識は、魔族の城からです」
「それなら、魔族になにかされたんだろう」
殿下の言葉はもっともだし、わたしも否定できない。
実際、シルヴェストリがなにかした……から、わたしが「アリス」を押し退けて出現したのかもしれないし、逆もあり得ると思う。
でも、わたしにとって重要なのは、そこじゃない。少なくとも、今は。
なぜこうなったかではなく、こうなっていること自体が重要なんだ。
「その可能性はあるかもしれません。でも、わたしは……『アリス』じゃない。自分が『アリス』だって、思えないんです」
では、とアーサーがようやく口を開いた。
「わたしが君を迎えに行ったとき、君はわたしの名を呼んだと思うが、あれはなぜだね? 記憶がないなら、わたしが誰かもわからないだろう」
「それは……」
「魔族の惑わしにかかっているのではないか? あの魔族が君を自分のものにするために、我々から切り離そうと、君の中に『自分が自分じゃない』という違和感を植え付けたのではないか。そうだとしたら、到底許しがたい行為だが……」
なるほどな、確かにそれもありそうだけど。
でも、伝えなければならないことがあるんだ。この人たちに、誠実に向き合うために。
観念しろ、わたし。
「わたしには、この身体の、皆様と時間を過ごして来た『アリス』の記憶はありません。ただ、『アリス』が出てくる物語を、知っているんです」
「物語?」
「はい。スクルージさんに雇われて、霊能力者として皆様にお会いする少女の物語です。皆様は、わたしにとっては物語の中の登場人物なのです」
さすがに、乙女ゲームの攻略対象なのです、とは……いえなかった。