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エリザベス様は、なんだか照れてしまわれたらしく、ちょっと用事がなどとおっしゃって、遠くでこちらを見守っている使用人の皆さんの方に歩いて行かれた。
可愛い!
照れてるエリザベス様、ゲームで見たときの百倍可愛い!
やっばい転がりたい、ごろんごろんしたい、絶対に奇異な姿になるから我慢するけど、本当はキャッホゥとか声をあげたい!
テンションが上がったわたしは、トライフルの残りをじっくり味わいながら、幸せだなぁ、なんて考えていた。
これ、幸せっていっちゃっていいよね?
わたしに好意的な美形の皆さんに保護されてる世界に、転生してるわけですよ?
幸せじゃなかったらバチが当たるわ。
惜しむらくは、スクショの保存ができない……。すっごく保存したいのに。
カメラ?
写真撮影を嗜めばいいの?
でも待って、この時代のカメラが高級品なのは間違いないし、たしか、撮影のためには何時間もポーズとりっぱなしとか、そういうんじゃなかったけ?
たとえば、あの木の陰からこっちの様子を窺ってるウサギだって、鼻ひくひくさせて、ちょっと場所移動して、耳もあちこち向けてたら、写真ではブレッブレの謎の影として記録されてしまうはず。
……って。
なんであのウサギ、徐々にこっちに近づいてるのかな。
近づいてるよな?
ていうか、野ウサギじゃないね? 茶色くない……。
公爵家の飼いウサギだったりするのかな? なんか、やたら大きい気がするし。白くて、ふっかふかで、眼が赤くて。貰ったばかりの指輪のルビーの色より、もっと明るい赤だ。
あれ……額にグレーのバッテンみたいな模様が……。
額にグレーの……?
えっ。
ウサギとわたしの、視線があった。
「小銀丸?」
思わず名前を口走った刹那、ウサギが白煙をあげ、トンボを切った。
着地したときには、もう、少年の姿だ。耳は残ってるけど!
うわぁ、マジで小銀丸だ! なんか和風っぽい白を基調にした衣装も、小生意気な表情も、見覚えあるよ。
説明しよう。小銀丸とは、キャラクター・デザインに人気漫画家を、音楽には一世を風靡したソングメーカーを起用し、メイン・キャストに超人気声優を並べ、鳴り物入りで製作発表された大型乙女ゲーム『乱舞・永遠の音』のキャラクターだ。
乱舞のルビがLOVEなあたりから、不安はあった。「ん」はどこに消えたのか。それは省略しても構わない「ん」なのだろうか? んんん?
なぜか和風モダンなデザインの制服……という割には自由過ぎるファッションに身を包むことが許されている謎の学園を舞台に、音楽で世界に打って出ようとする若武者(オフィシャル・リリースの原文ママ)たちの、時間と空間を超えた愛と夢を描いちゃう!
なんかね、残念過ぎる乙女ゲーム大賞があったら、余裕で受賞だよね、っていうゲームですよ。
まず、設定がてんこ盛り過ぎて、わかりづらい。
学園、音楽、和風モダン、ケモ耳、タイムリープ、世界征服、悪の音素、アイドル活動……もうちょっと絞れ!
そればかりか、肝心のゲーム部分がク○。
台詞スキップできないとか、タイムリープで同じイベント何回もやらされるのに、不便過ぎるでしょ。
イベント・グラフィックのアルバムも、なんでこんなに時間がかかるのかわからないというほど読み込みが遅いし、なぜかフル画面表示できない仕様。
なんでだよ!
そもそも、どうしてここに絵があって、あっちには絵がないんだ、逆だろ逆って感じの割り付けだし、シナリオも複数名の思いつきをまとめずに散らかしましたって印象。
で、実際にやらされるのはリズムゲーム、いわゆる音ゲーなんだけど。
音ゲーとしても、タイミング調整が曲によってバラバラで、最悪。しかも全曲フルで収録! って威張ってるけど、それな、一曲フルで叩くのに、どれだけ集中力がいると思ってんの!
世の音ゲーが、一分くらいに曲の長さを調整してることに、意味がないとでも思ってんのか!
やばい、いくらでも貶せる!
……いやー、わたしよくあのゲーム、エンディングまで頑張ったな?
ていうか、それどころじゃない、小銀丸がいるってことは、……。
「おまえ、何者だ!」
おおおお、声が……声が某人気声優さんのまんま……。どうなってるかわからないけど、小銀丸の中の人、お疲れ様です!
いや、ほんとに、それどころじゃない!
「え、いえ……名のるほどの者でも」
あっ、これイベント会話のまんまだ、まずい、そんなのなぞってどうするの。
二度あることは、三度ある。
これ、またアレだよね。
うっかりすると、わたし、残念過ぎる大賞のゲーム世界に連れ去られかねないよね⁉︎
嫌だ、そんなの!
あの世界にも推しはいるけど、わたしはここにいたい!
善きロンロン市民として、このまま、この世界をエンジョイしたい!
「怪しいやつめ。さては、魔妄の手の者か!」
「違います。怪しいっていえば、あなたの方が怪しいです。ここは公爵家の御領地ですよ!」
とっさに庭とはいえなかった。つい、本音が。
そこへ、エリザベス様の声がした。
「何奴!」
わぁー、これはまずい。
だって小銀丸だよ! 小銀丸。イベント管理が最高に大変だった、ランダムの申し子、小銀丸! しかも武闘派。人の話を聞けない。わかりあえない系の……だがまぁ、美形は美形ですよね、うん。
立体化の担当者、ほんと、良い仕事してるなぁ。誰にお礼をいえばいいの?
あと、小銀丸が乱入してきたことへのクレームは、どこにぶつければいいの!
バグ報告ボタンはどこだ!
どうでもいいけど、ロンロンのバグ報告ボタンは「パグ報告」になってて、ファンのあいだでぬるい笑いを誘ったものですよ。
さすがロンロン、愛してるから今すぐパグ報告させてください、お願いです頼みます。
「エリザベス様、危ないです! 下がってください」
エリザベス様は、わたしの指示を敢然と無視して走ってくると、小銀丸を睨みつけた。凛々しい横顔もまた、素敵です……。これ、さっき真っ赤になってたのと同一人物ですか? ギャップやばくないですか⁉︎
「エリザベス・メアリー・ローズ・ソウルズベリーの名において命ずる。三十七のV、起動!」
小銀丸の足元から、バーン、と光の檻が立ち上がった。
すご……ていうか、ロンロンて、こういうゲームじゃなかったはずだけど……。
「わわ、なんだこれ⁉︎ きっれいだなー!」
小銀丸は、眼をきらきらさせている。うん、こういうキャラだった。ブレてない。
「おとなしくしていなさい。……アーサー、聞こえる? 変なのが網にかかったわ。想定していたのと、タイプが違うけど……!」
「危ない!」
わたしたちは抱き合って、地面に伏せた。
小銀丸の歌が、檻の中から飛び出してきたのだ。
歌が実体を持って攻撃してくるとかね、うん、そういうゲームだった……。そういうゲームじゃなくていいのに!
「あはは、こんな隙間だらけの檻じゃ、僕を止められないよ!」
小銀丸の特徴は、ひとことでいうと、戦闘狂。トラブル・メーカー。
歌の力を戦いにばかり使うので、扱いが大変だけど、そのぶん、パワーはある。あと、考えなし。先のことは気に病まないし、前に注意されたことは全部忘れる。
なんで、よりによって、この子⁉︎
べつに贔屓した覚えないのにー!
「なんなの、これは!」
さすがのエリザベス様も、動揺を隠せない。わたしの肩を摑んで、叫ぶ。
「逃げて、アリス」
「いえ、エリザベス様が逃げてください」
小銀丸が歌う。銀色の散弾のように、歌が襲って来る。シュールだ……。
「もっと大きい、しかも緻密な術式が必要だわ。アリス、あれは何者なの。あなた、知っているの?」
残念大賞乙女ゲームの、お騒がせキャラです……と説明しても、通じない気がする。どうすれば、コンパクトに、今必要な情報をまとめられるだろう。
「夢で、知ってます。喧嘩っ早いので、こうなってしまうと、落ち着かせるのは大変です」
「夢で? さすが、〈いとも神秘なアリス嬢〉ね。わかった、鎮静させる方法を考えるわ。……エドワード、抜け道の使用許可を、アリスに出して。そう、地下の。出したらすぐ、迎えに来て! わたしは手一杯だから、あなたにまかせるしかないわ」
そうか、わたし霊能力者だった……そうか!
なんか変なお告げみたいなこと口走っても、それで納得してもらえる立ち位置だったんだ、わー、忘れてた!
ところでエリザベス様、さっきから、アーサーや王太子殿下と通話なさっているようですが、いったいそれは……魔法なのかな……。
ロンロンってそういうゲームじゃなかったと思うんだけど、まぁいいか。
ロンロンだし!
「我が名において命ずる、三十九のK、起動!」
どうやら、公爵家のお庭には大量の魔法が埋めてあるんじゃないか……と、わたしは思った。いざという時は、それを起動する。実に準備がいい。
今度のは、防護壁のようだった。さっきの光の檻と違って、きっちり壁だ。小銀丸の歌が襲いかかっても、隙間を抜けて来たりはしない。
ただ、強度はどうなんだろう。小銀丸って、かなり強いから……。
「我が名は王家の足下にあり、影の内にあり、その深奥にあり。王に栄光を、祖国に勝利を、行く船の舳先で日の沈むことなき帝国を讃えよ。開け、扉!」
なんだか長い呪文を唱えたと思うと、エリザベス様は、ボタン留めの上品なブーツで、力強く地面を踏んだ。
と、その場所がまた光を発して、なんということでしょう、匠の技でこんな地面に扉ができたではありませんか。
円形の扉の中央には、丸いドアノブ。それがパッと勢いよく開いたかと思うと、王太子殿下が顔を突き出した。
「アリスは無事か、エリザベス!」
「もちろんよ。後は頼んだわ。王宮で匿えるわね?」
「僕の名誉にかけて」
「始末をつけたら、わたしとアーサーも行くわ。アリス、気をつけて」
エリザベス様は、わたしの手を引っ張って、王太子殿下に引き渡した。
「えっ、嫌です、わたしも残ります!」
「アリスったらもう、ほんとうに可愛いわね」
エリザベス様は、わたしの頬に、さっと触れる程度のキスをして、またちょっと、頬を赤らめた。
かっ……可愛い……。
「これで無敵よ。さぁ、アリスとふたりきりで逃避行なんて、羨まし過ぎて脳天に雷を落としたくなるから、エドワード、さっさと行って」
「人を呼びつけておいて、ずいぶん扱いがぞんざいだな! 仕方ない、アリス、おいで」
王太子殿下は、すらりと痩せ気味の体格でいらしたけど、やはり男性、引っ張られたら逆らえなかった。
エリザベス様の名をもう一回呼ぶ暇もなく、わたしは地下通路とやらに引っ張り込まれてしまった。
頭上で、パタンと乾いた音をたてて扉が閉じると、王太子殿下が手にしたランタンの光だけが頼りになった。
「行こうか、アリス。あまり長居すべき場所じゃない」