3.美少女、立つ
僕はふっ、と息を吐いたと思ったら水の底から浮かび上がるような感覚を覚えた。
呼吸音が聞こえる。体を覆っている僅かな重みを感じる。暖かい。
ふと目を覚ますと、見慣れない天井が見えた。
おそらく寝ているであろう体を上体だけ起こしてみる。
軽い。
頭に覚えのない重みを感じて自分の髪を触ってみる。
指の通りがよく、やたらに長い感触。
右手で髪の束を目の前に持ってくると白? 黄色? 自分のものではない色がある。
ついでに目に入った右手を見る。白く細めだが、掌に僅かにタコがある。ちょうど野球のバットを振り続けて出来たようなタコ。
髪から右手を離し、自分の顎をさすってみる。
滑らかに顎先を伝う指を感じる。ジョリジョリとした髭の感触が全く無い。
「マジか……夢じゃなかったんだ」
思わず呟いた言葉が透き通った綺麗な女の子の声で聞こえて、反射的に左手で口を覆ってしまう。
自分が発した言葉なのに、自分が知っている自分の声でなくて息を呑んだ。
唇に触れた左手に硬い感触が認められた。右手よりもハッキリとした握りダコのようだ。
アニさん左利きかよ……僕右利きなんだけどなぁ。大丈夫だろうか。
ふと思い立って両手を寝間着の上から胸に当てる。
…………
全く無いわけじゃないんだけど、ささやかに気持ち程度に慎ましやかに、って感じで僕の望む大きさではない事に落胆した。
あー、そういえばどっかで、
『女性の胸の大きさはほぼ15歳で決まる』って言うのを見た記憶があるんだけど……。
確かアニさん、今の僕は15歳だ、って言ってたよな。
突きつけられたものの鋭さに僕は、心の中で膝を折り両手をついて頭を垂れ、
涙した。
僕の胸は、これ以上成長の見込みは『無い』
非情なる現実である。
ひとしきり落ち込んだ後、気を取り直して自分の周囲を見回してみる。
図鑑の中でしか見たことないような、外国の城の中の一室ままの景色があった。結構な広さだ。静かで薄ら寒く感じてなんか不安になる。
カーテン、窓、壁、タンスや鏡台などの調度品。流石にベッドは天蓋付きじゃなかった。ただ一振りの剣と思しき物が鞘に納まった状態で枕元に立て掛けてあった。護身用?
貴族の人ならお付きのメイドさんなりが居そうなんだけど、一通り見回してみても今は自分以外は誰もいないようだ。
さて、困ったな。どうしようか。
……
…
とりあえずベッドから起きて、鏡台で自分の今の姿を確認しよう。
僕はスタスタと歩いて鏡台の前に立つ。本当に軽いなこの身体。
まぁ、40代半ばの運動不足な不健康な体と、15歳の若々しい体力に満ちた体とでは差は歴然だ。
鏡台の前に立ち、鏡を覗いてみる。
ストレートで長い金髪に白い肌、と心の中で見たアニさんの特徴通りなのだが、顔だけ……、
なんか顔だけ微妙に違う気がする。
アニさんは、切れ長の目で凛とした雰囲気で年齢よりもだいぶ上に感じたんだけど、
鏡に映る僕? の顔は少し目尻が下がっているように見えて、起き抜けだって事もあるだろうけど、
なんかこう、ちょっと幼く見えるんだよね。
瞳の色は変わってないな。琥珀色だ、うん。
僕は体の調子を確かめる為に、鏡の前で色々と体を動かしてみた。
やたら柔らかい。体操選手並みの柔軟さを持ってるんじゃないか? かなり恵まれてるなー。
貧乳だけど。
『……お前は何をしているんだ?』
不意にアニさんの声が聞こえたと思った時だった。
ドアノブを回す音が鳴り、扉が開かれた。
ドアノブに掛けている手が見え、続けて僕の目に映ったのは、
宙に浮かぶ黒いスイカだった! デカい!
「失礼致します」
女性の声に気が付いて顔を上げると、入室時の会釈から直ったスイカの持ち主と目が合った。
「お、お嬢様?!」
スイカの女の子は口に手を当て信じられないものを見たように驚いた表情で、そう声を上げると、
扉を開けたまま、廊下へと走り去っていってしまった。
「あ、あれ? スイカさん?」
また一人になってしまった……。さてどうしよう。
『ところでお前は鏡の前で何をしていたんだ?』
またアニさんの声が聞こえた。周りを確認してみるが、それらしい姿は見受けられない。
『幽騎士は基本的に人の目には映らない。私はお前の心の中から話しかけている。当然この声も周囲には聞こえない』
「な、なんでまた僕のところに? 役目は終わったーとかで、離れたはずじゃ」
思わず声に出して訊いてしまった。
『幽騎士間での協議の結果、教育と監視の名目で今しばらく側にいることになった。お前は何か仕出かしそうで危ういからな』
「うへぇ」
教育と聞いて、僕はさっき起きる前まで心の中で行われていた授業という名の刷り込み叩き込み作業を思いだし、溜息をついた。
なんか頭が重くなってきたよ……。ベッドで休もう。
「あ、さっきのスイカさんて、どなた?」
つい先程の、僕以外の人とのファーストコンタクトを思い出し、アニさんに訊いてみた。
『西瓜って、お前な……。寝ている時の授業で屋敷内の人間については一通り教えただろう?』
「あれ? そうでしたっけ」
ベッドに納まりつつ、記憶を辿ってみる。
あー、確かに教えられましたが、スイカに例えられる女性は出てこなかったような……。
『西瓜から離れろ。彼女はユーニス・コロベル。お前の母親の一族の娘で、お前付きのメイドだ。お前が5歳の時から共に過ごしている』
自分付きのメイドさんの話は確かに聞いた。でも、
「あんなにおっきなおっぱい持ってるってのは聞いてませんでしたよ?」
さっきのあれは、『巨乳』では収まらない大きさだった。『爆乳』の中でも一際大きい部類に入るだろう。
『言う必要が無かったからな』
さも当然、という感じでアニさんは答えた。おそらく僕のおっぱい好きを見越した上で、わざと伝えなかったのだ。ちくしょう。
『それで? お前は鏡の前で? 一体何をしていたんだ?』
そんなにしつこく訊かれる様なことはしていないんだけどなぁ。
「別に変なことはしてませんよ? この身体の柔軟性を試していただけで……」
僕が言葉を発した途端、なんか思いっきり溜息を吐かれたような圧力を感じた。
『頼む……頼むから、もう少し女としての自覚を持って行動してくれ……』
「昨日今日ですぐに変われる訳ないでしょうが。無茶言わないでくださいよ」
目を閉じて瞑想するように心の中のアニさんを確認すると、正座をし項垂れた様子のアニさんが瞼の上に浮かんできた。
なんか滅茶苦茶罪悪感を刺激するんですが……どうしよう、これ。
『ちょっとみんなのとこへそうだんしてくる』
若干幼児退行したような台詞を残してアニさんは僕の心の中から去っていった。
とぼとぼ、という表現そのままに。
最後の無意味な空白部分を削除しました。ご了承下さい。