26.試合のち控室にて
「あ~、緊張した」
僕はイリーザ様から貰った変装用の白い仮面を顔から外し、一息ついた。
ここは僕用に特別にあてがわれた一室。
この大会では貴族の子弟が出るので、選手はそれぞれの貴族のゲストルームに控えるらしい。
選手として選ばれると、分家の出身であってもその部屋に入ることが出来るらしいので、武門でなければ選ばれること自体が名誉になるとか。
前回の大会経験者のルヴィアや当時のアルナータに付き添ったユーニスから聞いた話だ。
そんなわけで、正体を隠して飛び入り参加した僕がチェスタロッド選出枠のカール
エスト様と同室になる訳にはいかず、こうして別の部屋で一息ついている次第である。
「お疲れ様アルナータ。まずは一勝おめでとう」
「ありがとうございます、イリーザ様」
イリーザ様の祝福の言葉に僕は起立し、挨拶を返す。
相手が相当油断しててくれたから勝てたようなものだけど。
まぁ勝ちは勝ちだ。
「あぁ、楽にしてていいよ。今は私もお忍びだからね」
悪戯っぽくウィンクをして僕を制す。
今のイリーザ様は華美な装飾を一切せず、服装や髪形も一般市民によくみられるものに整えられており、
諸々の仕草も、貴族のするようなものではなく一般市民のそれだ。
本人である事を前提に注意して見なければ、国王の第7夫人その人であるとは認識出来ないであろう。
木を隠すには森、と驚いた僕に対してイリーザ様が答えてくれた。
ちなみに本人がここにいる間、というか大会期間中は影武者を国王の側に本人の代わりに侍らせているとの事。
イリーザ様の変装具合を見るに、あちらもあちらで本人と見分けがつかなそうだ。
なんか色々凄いよねフォーオールって。
この部屋を用意してくれたのもそうだし、扱いなれた得物をという事で、飛び入り参加用の貸与武器の中に僕の木刀を混ぜ込んだし、
ユーニスとルヴィアの変装指南もフォーオールだって話だ。
ユーニスが紅茶を淹れてイリーザ様と僕の前に差し出す。
「ありがとう、ユーニス」
そう言って僕は出された紅茶を口に付ける。イリーザ様も、
「あれ、『お姉ちゃん』って言わないのかい?」
ブフーーーッ
僕はとっさに横を向き、何とかイリーザ様にぶっ掛けるのを回避する。
「げほっ、ごほっ、な、なんでそれを」
ルヴィアから差し出されたハンカチで口を拭いながら、僕はイリーザ様を涙目で睨んだ。
「はっはっは、ごめんごめん。久しぶりに会えたもんだから、つい、ね」
床に飛び散った紅茶をルヴィアが布巾でせっせと綺麗にしていて、顔を真っ赤に染めたユーニスが代わりの紅茶を僕の前に置いて、さっと後ろに控える。
「本当に君は面白い。かつての、私の知るアルナータ・チェスタロッドとは全くの
別人だね。今の君をあの『人形姫』だよと紹介しても誰も信じないんじゃないかな?」
「いや、それは流石に……」
「顔の表情やちょっとした仕草、体の動かし方。かつての『人形姫』はその仇名の
示す通り、まるで操り人形の様に個のある人間を感じさせなかったからね。魂を吹き込まれ人として生きている君とは全然違う」
「そういうものでしょうか」
僕はかつて聞いたアニの言葉を思い出す。
『お前が目覚めた時、誰が見ても目覚めたとすぐに判る様に、な。感情を一切出さないようにしていただけだよ』
感情だけでなく、立ち居振舞いに至るまで考えてくれてたんだなぁ。
ちょっとアニを見直す。
前回のこの大会で優勝までしたのもその一環なのだろうか?
ふと見ると、イリーザ様が優し気な微笑みで僕を眺めていた。
「さて、と。それじゃ私はこの辺りで帰るとするよ。お邪魔したね」
「あ、ありがとうございました。何から何まで」
僕は慌てて立ち上がり、斜め45度のお辞儀をする。ユーニスとルヴィアも揃って礼をする。
「あぁ、そうだ。アルノ」
「は?」
「アルノ。この大会中の君の名前だ。流石に本名で呼ぶわけにはいかないだろう? 運営の方にもそれを通してある。ちゃんと覚えておいてね」
そう告げると、イリーザ様は「じゃあね」と微笑みながら手を振り、部屋を出ていった。
アルノ。
……あぁ、そうか。今日の試合で勝ったから明日以降も試合に出なきゃならないん
だよな。そうなると「名無し」ではいられないのか。
行き当たりばったりの僕とはさすがに違うね。あ、当然か。
「お嬢様、着替えを」
さっきのイリーザ様のからかいが尾を引いているのか、僕らしかいないのにユーニスは「妹ちゃん」と呼ばなかった。
思わず僕は苦笑する。同じくルヴィアも苦笑いを浮かべていた。
「~~~~~」
再び顔を真っ赤に染めてユーニスは黙りこくってしまった。
お姉ちゃんはやっぱり可愛い。
あぁ、安心したらトイレへ行きたくなってしまったな。
僕は手早く着替えを済ませると二人に断って、用を足しに部屋を出た。
◆◆◆◆◆
「おぉ、貴女はあの時の」
トイレからの帰り道。不意に声を掛けられ振り向くと、銀色に輝く鎧を着込んだ女
性が喜色の笑みを浮かべこちらに寄ってくるのが見えた。その後方には取り巻きらしき数人の男性が困惑の表情で追って来ている。
うげ、気まずい。あの時の女騎士だ。
初めて王都に来た日、大図書館の前で絡まれた(と思っている)記憶が蘇り、一瞬顔が強張る。
「あれからしばらく大図書館に通ったが会えず仕舞いだったのでな。このような場所で出会えるとは思わなかったが、また会えて嬉しい限りだ」
「あの時は無作法をしてしまい大変申し訳ありませんでした。あまりに気が動転してしまっていて、わたし……」
とりあえず謝っておこう。この女騎士から逃げたのは事実なんだし。
昔に読んだ漫画の女性キャラを思い出し、女性っぽい応対を心掛ける。
「いや、こちらこそ名も名乗らず不躾に貴女に触れてしまったのだ。あの時は申し訳なかった、許して欲しい」
そう言うと女騎士は、僕に向かって頭を下げた。
ちなみに今の僕はチェスタロッド侯爵令嬢ではなく、変装をして一般市民に成りすましている状態だ。
傍から見れば、貴族が庶民に頭を下げている構図になる。
「お嬢様お止め下さい! 侯爵家の令嬢である貴方が庶民に頭を下げるなど!!」
うん、まぁこうなるよね。
後ろで不愉快そうに僕を見ていた取り巻き達が、女騎士が頭を下げると同時に激高する。
ギャアギャアと全員が口々にわめいているが、何言っているのか聞き取れない。
……とりあえず、大きな声に怯えておいた方がいいのかな?
意外と何とも思ってない自分がそこにいた。
昔の、前世の頃だったら、男だが涙目になって縮こまっていた場面だ。
そういう暴力的なものに曝されることが無かったからなぁ。その分、周りをキョロキョロしたり対人でビクビクして過ごしたけれど。
あの示現流の鍛錬は、ちゃんと自分の身になってたんだな。
一呼吸おいて、怯えたスタンスを取る。ただし急所を守り何かあった時は反撃が出来るよう構える。
ちょうどボクシングのファイティングポーズのような感じだ。
そうそう、怯えた表情もちゃんと取っておかないと。
「お前達止さないか! 彼女が怯えてしまっているだろう!?」
女騎士の一喝に、瞬時に止む男共の罵声の雨。
男共の声が騒がしかったのだろう、いつのまにか遠巻きに様子を眺める人だかりが出来ていた。
女騎士に叱られ、見世物の様に注目を集め、男達は居心地が悪そうに身を寄せ合う。
「部下がすまなかった。大丈夫かい?」
「は、はい。ご配慮痛み入ります」
僕は怯えた表情を崩さないまま、女騎士に頷く。内心は、女騎士にはごめんなさいと手を合わせ、男共にはざまぁみろと舌を出していたけどな。
「出来れば、名前を伺いたかったところだがどうもそういう雰囲気ではなくなってしまったな」
女騎士はジロリと男共を睨む。
「私はこれから選手として試合に出るのだ。もし良かったら観てくれ」
そう言って女騎士は努めて明るく微笑むと、男共を促し僕の前を去っていった。
すれ違いざま、取り巻きの男共が思いっきりガン飛ばしてきたが、野次馬の目もあるので僕は怯えた表情で見送るだけにする。
行なわれていた試合が終わったのか、遠く、通路の先から歓声が聞こえた。
女騎士たちが去ったあと、僕は足早にその場を後にした。
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今年の更新は今回が最後となります。年が明けてからはなるべく早くに次のお話を投稿したいと思っています。
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