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目が覚めたら、オレの目の前には薄く緑がかかった光が現れた。
キャベツの葉を一枚はいで、向こう側からこちらに向かってライトを当てているような光景。そして遅れてそれが、グリーンのカーテンであることに気が付いた。
「おお、起きていたか。いや、よく眠ってたよ君達は」
金属同士が強くぶつかり合う音と共に、やや掠れた初老と思われる男性の声が聞こえた。
誰だ? と思いそちらに視線を向けると、薄汚い白衣を着た男(予想通り60代と思われる)が、頑丈そうなスチールの扉を開いてこの部屋に足を踏み入れている。
オレは状況を確認する為、周囲を見渡した。10畳くらいの広さの部屋、病院を思わせる床と壁。目の前には緑のカーテン。光の漏れから、その奥には多分窓があることが分かる。
そして自分は、両手両足に手錠をはめられ、パイプ椅子に括り付けられたまま、座らせられている。それと全く同じく、オレの隣には椅子に括りつけらえられた仲間の「トモヒロ」が、今なお電池が切れたオモチャのようにぐっすりと眠っている。
「どうだい気分は? ん? いや、いいタイミングで起きてくれた。今からちょうど面白いモノを見せてやろうと思っててな」
白衣の男は、部屋の隅に折りたたまれて置かれたパイプ椅子を片脇に抱えてこちらに歩みより、オレとカーテンとの間に立ててそれに座った。
「連れの方は、ええと……トモヒロ君だっけか? まだ起きないみたいだね。まぁ、君一人いてくれれば、ボクはそれでいいんだがね。ええと……双葉シンジ君。でいいんだね」
男はどういうワケか、オレとトモヒロの名前を知っていた。運転免許証だとか、身分が分かる物は一つも携帯していなかったのに関わらず。
「お前……誰なんだ? ここはどこだ? 」
オレはカラカラに乾いた喉を鳴らして、目の前の得体の知れない男に質問したが、向こうはそれに答える気は無いらしい。肩を大きく揺らしながらこの部屋から出て行ったと思えば、A4サイズの液晶端末を持って戻り、そこに映された画像をオレに見せつけた。
そこに映されたのは、定期入れ程のビニール製小袋に入れられた真っ白な粉の写真。それはオレにとって毎日使う歯磨き粉と同じくらいに見慣れた物だ。
「純度99%。良質のメタンフェタミン(覚醒剤)……シンジ君が持ってきてくれた物さ。今からこれを使った面白い実験を君に見せたいんだ。いや、大丈夫。心配しないでくれ。ちゃんと代金は支払うからね。ただ、1グラム10万ってのはもうちょっと何とかならんのかね? いや、誤解しないでくれ、払うよ。ちゃんとキャッシュで用意してあるから」
男は次々と表情を変えつつ、アメリカのホームドラマを思わせる身振り手振りでどんどんオレに話しかけてくる。一見人好きしそうな陽気な印象をもたらしてくれたが、覚醒剤を購入する為、売人であるオレ達に近寄って来る時点でロクな人間じゃないことは確かだ。おまけに突然スタンガンをお見舞いしてこんな意味不明の場所まで拉致して監禁するとなると、よほどに強い後ろ盾を持っているか、はたまた横綱級のバカなのか。とにかく油断ならない相手であることは確かだ。
「さて、さっきから気になっていただろうけど……シンジ君。このカーテンの奥、一体何があると思う? 」
「はぁ? んなコトよりも、さっさとこの手錠を外せ! タダで済むと思ってんのか? ああァ!? 」
「んん~、やっぱりわからないか? しょうがない。教えてあげるよ」
こうやって凄んで見せても、男は気にもしていない顔つきでカーテンの端を掴み「それでは御開帳~」と芝居がかった口調で喋りつつ、厚い布の奥に隠された物をオレに見せつけた。
「どうだいシンジ君。びっくりしただろう? 」
オレの目の前に晒された光景は、あまりにも異質で奇妙だった。
カーテンに隠されていたのは、やっぱり窓だ。ちょうど畳一枚分のサイズ。しかし窓と言っても自由に開け閉めすることが出来ない、四角い枠にドカっとガラス板を詰め込んだ、いわゆる嵌め殺しの窓だ。
そして、その窓の奥にはもう一つ部屋があった。
奥の部屋は、オレ達が今いる部屋と同じように、真っ白な壁にリノリウムの床で構成されている、天ぷらの載ってない天丼みたいな場所だ。
そんな殺風景な部屋の中心に、歯医者で使うようなアーム付きの椅子に横たわる、一人の子供が死んでいるかのように眠っている。
髪の毛は無く、皮膚は青みが掛かっているほどに白く。転んだらそのままバラバラになってしまうかと思うほどに痩せていた。衣服は真っ白な病衣だけ、おまけに顔も中世的な作りだったので、その子供が少女なのか少年なのか判断しかねた。
それだけでも十分に気味が悪いのだが、ダメ押しとばかりにその子供の頭部には、何やら穏やかな雰囲気を感じさせないラバーコートのケーブルが突き刺さっていて、腕には点滴を思わせるチューブが繋がれ、股間や尻のあたりからも管が伸びている。
推測するに、それらの機器は、子供の脳波だとかそういうモノを測定したり、養分を送り込んだり、排泄を吸い取ったりする為に取り付けられているのだろう。つまり、ガラスの奥の子供は自分で体を動かせないことが分かる。
「脳波は異常なし、健康状態も良好……いや、実験を始めるのにもってこいだね。この状態は。うんうん……」
男は液晶端末を慣れた手つきで操作し、画面上に映し出されたよく分からないグラフだとか数値の羅列を見て一人でブツブツ喋り出した。
「おい」
「なんだねシンジ君」
「答えろ。お前は一体何が目的で、オレ達をどうするつもりなのか」
「ほう……君もようやく僕の研究に興味を持ってくれたと見える。いや、嬉しいよ」
「知るか。オレ達は今すぐにでもこのふざけた場所からおさらばしてビールでも飲みたいってだけなんだよ。今すぐ手錠を外して薬の代金だけくれりゃ、何もなかったことにしてやる。(まぁ、お前の歯を全部へし折って追加の代金をいただくくらいのコトはさせてもらうが)」
「まぁまぁ、そんなに気を荒げないでくれよ。君達にしてもらいたいコトは僕の実験を見守ってて欲しい。ホントにそれだけの理由なんだ」
そう言われて「なるほど、そうか」と飲み込めるほど、今のオレには心のゆとりは無い。せいぜい好き勝手やってろ。隙をついてどうにか脱出してやる。
「さあて……世紀の一瞬まであと10分だ……」
実験を行う下準備を追えたらしい男は、再びパイプ椅子に座り直してオレと向かい合った。気味が悪いほどに綺麗で澄んだ瞳と目が合う。
「シンジ君、ちょっと話をしようか? 」
「ああ? 」
「君は……覚醒剤を使っていると、恐ろしい幻覚を見ることがあるってのはモチロン知っているよね? 」
何の話をするのかと思えば、専門家であるオレに講釈を垂れようってワケか。イラつくぜ……力士にまわしの締め方を知ってるか? って聞いているようなもんだ。
「バカにしてんのか? 」
「いや、誤解しないでくれ……僕も君がそれくらい知っているという前提で話をしているんだ。覚醒剤を常用していると、いるはずのない人間が見えたり、体中に虫が這う幻覚を見てしまうと言われている。要するに自分が恐ろしいと感じる体験をしてしまうワケだね」
「それがどうした? 」
「まぁまぁ、大切なのはここからさ」
男はゆっくりと立ち上がってガラスの向こうに目をやる。今から行う実験とやらは、様子から見てあの子供に対して行なうのだろう。多分あの子供はモルモットとして闇のルートから手に入れたと見ていい。オレの専門外ではあるが、そういった商売の話はよく聞く。
「シンジ君……こんなコトを考えたことはないかい? 」
男は再びオレの方へと視線を戻す。その一つ一つの芝居がかった動きに、オレはいちいちイラついてしまう。
「なんだ? 」
「いや、僕はふと思いついたんだ……生まれてから一度も恐怖という感情を抱いたことの無い人間に覚醒剤を投与したら……一体どんな幻覚を見るんだろう……って」
「………………」
男のその言葉でオレはようやく確信した。ああ、コイツはとんでもないサイコ野郎で、絶対に深く関わっちゃいけないタイプの人間なのだと……
「まさかお前……あの子供は……」
「そう。生まれたばかりの彼女を僕が引き取ってね、今日まで一切の感情を覚えさせずに育ててきたんだ……あ! ちなみに6歳で名前はシオンって言うんだ」
狂っている。
オレ自身健全な人間ではないことを自覚しているが、コイツに対してはオレがそう評しても許してもらえるだろう。たったそれだけの目的の為に法を犯し、道徳をないがしろにし、手間を惜しまない男を、コンビニ店員と同じ扱いが出来るハズがない。
「脳を弄って痛みを感じさせないようにし、食事もチューブから直接栄養を与える。嗅覚だってもちろん無い。苦痛も、美味しい物を食べた時の幸せも、アニメを見て楽しむことだって無い。プレーンな状態……いや、大変だったよ。ここまで育て上げるのは」
子供をこんな状態に追い込んで、あくまでも育てたと言い張るこの男……この男こそ感情の無い人間じゃないか? と感じ始めてきた。
「さぁ、シンジ君。これを見てくれ」と、男は液晶端末の画面をオレに見せつけた。そこにはひたすら真っ黒の映像が映し出され、時折火花が散ったような点滅が走った。
「ここには彼女の思考を映像として映し出すことが出来る……自分以外の人間を知らず、自分の顔すら分からない……だから当然今は真っ黒の世界が見えるだけ」
「あの子供に覚醒剤を投与したらその真っ黒の画面に変化があると? 」
「その通り。さて、そろそろ時間だぞ」
男がそう言うと、ガラスの奥の少女……シオンって言ったっけな。彼女の左腕に繋がれた管に、液体が注入されていくのが見て分かった。って……おいおいおい……
「静脈注射で直に薬をブチ込むのか? 」
「その通りだ。この方法が一番脳に効くからね」
「何グラム与えるつもりなんだ? 」
「とりあえず0.05グラム」
「……子供じゃ十分致死量だ……大人でも一回に楽しむ量は0.03ぐらいだぞ」
「いや、てっとり早く幻覚を見せる為でね。やや多めに設定しておいたのさ」
実験の後のことなんてどうでもいいってことか。仕事柄、オレは色々と危険な人物と接することが多いが、この男ほどシャバに放っちゃいけないと感じた人間はさすがにいなかった。言葉遣いや、ここまでの設備を用意した手際からはオツムのよさを感じさせるが、人間的な共感が全く持てない。
「……う……あれ? ここは」
オレと男の声が意識をつついたのか、隣でぐっすり眠っていたトモヒロが目を覚ましたようだ……ちょっと面倒なタイミングだ。
「シンジさん……大……丈夫ですか? 」
「一応な」
「ここ……どこです? アイツは誰なんですか? どうなってるんですか? 」
イチから丁寧に教えてやりたいところだが、それどころじゃない。オレはとにかく「手錠を何とかできないか? 」とだけ小言で相棒に伝えたところ「先がとがったモンがあれば、何とかなります」と頼もしい返事をしてくれた。
「よしよしよしよし。脳内ドーパミン量が増加……薬が効いてきているぞ」
あの男はオレ達のことなんて忘れてしまっているみたいに興奮して液晶端末のデータに見入っている。今なら隙を付けそうだ。
「よしトモヒロ、ちょっと我慢してくれ」
トモヒロの耳たぶにはピアスの穴を新しく開けた時に使う、釘みたいな形のファーストピアスが取り付けられている。オレはそれを口を使って取り外し、トモヒロの手に渡した。
「頼むぞ」
「任せてください」
オレ達はパイプ椅子に固定されながらも小刻みに体を動かし、背中合わせになった。そしてトモヒロは器用に後ろ手でオレの手錠の鍵穴にピアスを突っ込み、開錠に取り掛かってくれた。いいぞ、上手くいきそうだ。
「さぁ、見せてくれシオン! 空白の中で見る、恐怖のビジョンを僕に見せてくれ! 」
男は見るからに興奮してシオンの実験に夢中になっている。もう、オレの両手を拘束する手錠が外されているということも知らずに。
「どうしたシオン! まだ君の世界は真っ暗なままだぞ! 止むを得ん! もう0.05グラム追加だ! 」
あいつはバカか? これでシオンには0.1グラムもの覚醒剤が投与されたことになる。大人でも死に至る場合がある量だぞ、
これ以上くだらない実験に付き合わされてはたまらない。トモヒロは床に横たわって、オレの足に付けられた手錠を外しにかかってる。拘束解除まで秒読み段階だ。
「シオン! 何か見えるかい? 感じるかい? 聞こえるかい? 僕はこの日の為に6年間も費やしたんだぞ! 」
6年か……確かに長いな……ダサいママチャリで登校していた中学生が、外車を乗り回す高利貸しに変わっていてもおかしくないほどに長い時間だ……でもご愁傷様、その苦労はどうやら実らないで終りそうだぜ? 紛い物のブランドルさんよ。
「ふぐうッ!? 」
手足が自由になったオレは男を殴り飛ばし、痛みで悶絶している内に白衣やズボンのポケットをまさぐって手錠の鍵を見つけ出した。これでトモヒロの手錠を解く。
「う……うう……」
痛みと驚きで前後不覚になっている男は、落とした液晶端末が足元にあるのに気が付かず、明後日の方向を手で探っている。ざまあねぇ。
「クソッたれの変態が、代金10倍にしてよこせやコラ」
四つん這いになっている男の腹に駄目押しの蹴りを入れてやると、そのまま石のように動かなくなる。ちょっと力を入れすぎたか?
「シンジさん。一体何なんすか? これは? あれは……子供ですか? 」
自由の身となったトモヒロは興味深そうにガラスの向こうのシオンにくぎ付けになっている。彼女は相変わらピクリとも動かずに横たわったままだ。少し気になって液晶端末の画面に目をやると、そこには心電図と思われる表示が映し出され、リズムを刻むことなく真っ直ぐな線を刻んでいる。やはり、薬の効果に耐えきれずに死んでしまったようだ。
「このオヤジのオモチャにされたかわいそうなヤツさ」
「はぁ……」
もうこんな胸糞悪いな場所は一刻も早くおさらばしたかったが、ついてないことに薬の代金が未収のままだ、このまま帰ったらオレ達が上に絞められちまう。
「トモヒロ! オレは他の部屋で金の在りかを探すからよ、お前はここでそのオヤジを見張っててくれ」
オレはこの部屋の出口に向かいながら、背を向けてトモヒロに指示をした。しかし、いつもなら言葉を言いきらない内に「ハイッ! 」と答えるような相棒が、一向にオレに対して返事を寄こさない。先輩をシカトしたというイラつき以上に、何かただならぬ雰囲気を感じ取ったオレは急いで振り返り、トモヒロの姿を確認した。
「オイ! トモヒロ……何やってんだ? 」
再び視界に入れたトモヒロは、どういうワケか跪いて床に落ちた液晶端末の画面を食い入るように見つめている。
「オ……オイ? 」
心ここにあらず。って言葉はまさにこういう時の為にあるんだろう。トモヒロの瞳からは輝きが失われ、でも瞼はしっかりと開いていて……目が合ったらスグにでも逸らしたくなるような不気味さがあった。
「シ……シ……ィ」
「お前、どうしちまったんだ? 」
トモヒロはふらつきながら立ち上がり、うわごとのようにブツブツと意味不明の言葉を喋り出した。明らかに異常だ……
「トモヒロ! トモヒロ! 」
「オ……オオ……? シロ? オモ、オ」
オレの声など聞こえていないようだった。トモヒロは小刻みに足踏みをして自転し、背後を向いて死んでマネキンと化したシオンに指差してこう言った。
「シ……シオン? 」
オレはその瞬間、全身に鳥肌が立ったのを確かな感触として分かった。トモヒロにシオンの名前は教えていない。なぜその名を突然口走ったのか? 寝ているフリをしてしっかりオレ達の会話を聞いていたのか? いや、重要なのはそこじゃない……
「ンー……」
豹変したトモヒロは再びその場で足踏みをして方向転換し、今度はオレの方へと視線を向けた。真っ黒なコンタクトレンズを付けているのかと思うほどに、生気を感じさせない瞳孔……人形以上に人形を思わせる不気味さで、認めたくないがチビってしまいそうなほどに恐怖を感じている。
そしてトモヒロは、今度は自分自身の顔を指差して……
「シオン? 」と呟いた……
まさか……! その動きと言葉からオレはもうこう考える他無かった。オカルトで胡散臭さ満載の思考だが、こう結論つけることが今は一番自然に思えた。
シオンの魂が……トモヒロに乗り移ったのだ……!
「うおらッ!! 」
気が付いたらオレは、全力疾走でトモヒロの元へと駆け寄り、存分に助走を付けたパンチをその顔面にめり込ませていた。
逃げることよりも先に、まずコイツの動きを止めなきゃならない! そうしなけりゃいけない! オレは本能的にそう感じ取っていたのだ。
「ウウウ! 」
腕を全く動かさず、一切の受け身を取る動作をせずに床に倒れたトモヒロは、苦しむことも怒ることもせず、ただそのまま床に貼り付き、死にかけた昆虫のように手足をバタつかせ始めた。
オレは理解したよ。コイツはもうトモヒロじゃない。別の何かだ! てな。
「フフフ……いや、まさかね……」
黙って倒れ込んでいた全ての元凶が、いつの間にか意識を取り戻してこちらを見据えている。男はこの状況を楽しんでいるのか、悩んでいた便秘が解消されたかのように清々しい笑顔だった。
「これはうれしい誤算だよ……まさか、感情も運動も何もかも奪ったハズだったのに、シオンの意識はしっかりと存在し、成長していたとはね……これは驚いたよ」
男は倒れたトモヒロ(の形をしたシオンと思われる生物)の手を取り、まるで子供をあやすようにして頭を撫で始めた。
「ごめんよシオン……君にちょっと無茶なコトをやらせちゃったかもしれないね。空白の恐怖は見られなかったけど、代わりに君はそれ以上のモノを見せてくれた」
「ウ……ウー? 」
オレをないがしろにして二人は自分達だけの世界を作り始めた。そのままトモヒロを置いて逃げればいいのに……オレはどういうワケかそれが出来なかった。目の前で繰り広げられている異常な光景に足がすくんでしまったのか? それともまさか……オレ自身がシオンという実験と現象に興味を抱き始めているのか?
「シンジ君。説明してあげようか? 」
男はオレの心を見透かしたかのように、この事態についての解説をし始めた。
「シオンは完全に隔離した世界で育てたつもりだったが……今考えれば、そうではなかった……彼女は大きな世界と繋がれていたのだ」
「どういうことだ? 」
「ガラスの向こうにいるシオンの抜け殻を見てくれ、頭部には脳から発せられる電気信号を読み取るケーブルが植え付けられているだろう? 彼女は自分の意識をケーブルを介して外部に送り込み、タンパク質の肉体ではなく、電気とシリコンの世界に引っ越ししていたんだ」
「よくわからんぞ! どういうことだ? 」
「いや、簡単なことさ。シオンは肉の体を捨て、コンピュータの中で生きていたということさ」
「コン……」
オレは、もしかして商品の薬を吸い込んじまったのか? SF映画じみたふざけた妄想を見ているのか? もしそうであるなら、今すぐ正気を取り戻させてくれ……そして足を洗わせてくれ……二度と覚醒剤とは関わらないから……
「そして、信じられないコトに、HDDの片隅でつつましく生きていた彼女だったが、覚醒剤の作用で、意識の大元である自分の脳から異常な電気信号が送られた。その効果により覚醒したシオンはコンピュータの言語を理解して0と1の組み合わせで完璧な自我を二次元の世界で構築することに成功したのだ。これはスゴイ。 スゴイことなんだぞ! 」
天を仰いで自らの研究の成果に狂喜する男の姿は晴れ晴れとしていて、オレはひょっとして、本当に、冗談抜きで歴史的な研究に立ち会っていたのかもしれない……と思い込ませられそうになった。
……待て待て……言っていることは意味不明だし、そもそもなぜシオンがトモヒロに乗り移ったのか謎のままじゃないか……薬の作用で幻覚を見ているって考えた方がはるかに現実的だ。
オレはこれ以上ここにいるのはマズイと判断し、トモヒロには悪いが今度こそこのまま逃げちまおうと思った……その矢先だった。
「ウ……ウン? 」
「シ……シオン……? 待て……ま……や……やめろ! やめてくれ! 」
なんの前振りも無く、唐突だった……
「ウ……ウウウウウウ」
シオンが男の首を絞めている。
「あひッ……あ」
元の肉体であるトモヒロは屈強だった。その恵まれた腕力で締め上げたとなれば、初老の男などエンジンオイルの交換よりも、遥かに簡単に息の根を止めることが出来る。
「シ……オ……」
そしてあっという間に男は絶命し、残されたのはオレとシオンのみ。こうなればもう迷いは無い。
「ああッ!! 」
オレはパイプ椅子を折りたたんで武器とし、シオンの頭に何度もそれを叩き込んだ。姿はトモヒロとはいえ、躊躇なく頭部を痛めつけ、結果として100回は振り下ろしたかもしれない。床は血に染まり、パイプ椅子はひしゃげ、過酷な上下運動を強要されたオレの両腕は、消しゴムも持てないくらいに憔悴しきっていた。
「ハァ……ハァ……」
念のため、シオンの手首を掴んで脈を確かめたが、どうやら間違いなく少女の魂は今度こそあの世へ旅立ってくれたようだった。
「クソったれ! 」
オレは二人分の死体が横たわる部屋にツバを吐き捨て、この場から逃げるように立ち去った。
薬の代金。トモヒロ。自分が殺人を犯したという事実。これから自分に伸し掛かるであろう災難が背中に伸し掛かっていることも、今は無理矢理頭の隅に押しやった。
忌々しい研究施設がどこにあって、帰りはどこを歩いて、どのタイミングでタクシーを拾っただとか、全く記憶に無かった。無我夢中だった。
そして気が付いたらオレは、彼女の部屋のソファーにふんぞり返って味気ない発泡酒の缶を5つ空けていた。




