前編
ペットボトルに小便を溜めるなんて、外道だ。
限られた空間で日がな一日過ごすのに、排泄物と一緒に暮らすなんて御免だ。自分の巣を汚すなんて鳥にも劣る。やつらは糞をするとき尻を巣の外に出すんだ。中では排泄しない。
風呂にも入らず汚れたままの服を着るのも嫌だ。身体が痒くなる。だから誰もいない時を見計らってささっと身体を洗う。汚れ物は出しておけば母さんが洗ってくれるし、食事も朝と晩は部屋の前に置いてくれる。──悪いとは思ってる。
だから、家に俺以外の誰もいない時、家事をすることにした。洗う時間が無くてシンクに放って置かれた食器を洗い、家の中を隅々まで掃除する。最近は洗濯機も回すようになった。外には干しに出られないけど、主にリビングに干す。引っ掛けられるところにはハンガーを引っ掛ける。タコの足って干し具、便利だよな。
母さんのパンツだって洗う。弟のぶんも、全部一まとめだ。ブラジャーってワイヤーが歪んだら台無しになるらしいから、手洗いしてる。手洗いして、軽く脱水掛けてちゃんと形を整えて干す。これでも俺は男だから、女性用下着に疚しい気持ちになるかもしれないかと思ったけど、母さんの下着なんか見ても何とも思わなかった。ダサいベージュ色とかだから、余計かもしれない。
母さんがセクシー・ランジェリーなんか着けてたら、ちょっと嫌かな、と思わなくもない。だけど、俺みたいな出来損ないの息子抱えて働いてるんだから、下着くらいカラフルなの選んで楽しんでくれてもいいんじゃないかな、と最近思えるようになった。
俺のメシなんかに金掛けるくらいなら、もっと身なりに気を使ってほしいと思う。
年の離れた弟は大学生。コンパにバイトに忙しい。だからあんまり家にいない。俺のことはもう意識の外にすることにしたようだ。俺は弟を裏切り続けたから。部屋に籠り始めてからは、兄ちゃん兄ちゃんとどれだけ泣いて呼ばれても出て行かなかった。返事もしなかった。慕っていた兄の豹変に、弟はついていけなかったんだろう。
弟にも悪いと思っている。俺のせいで母さんは父さんと離婚することになったし、引きこもりを兄に持ったせいで、学校でからかわれることもあったようだ。つまらないこと気にするな、なんて俺には言えない。まさにそんなつまらないことで俺は学校に行けなくなり、部屋から出られなくなった。弟が俺みたいな豆腐メンタルでなくて本当に良かったと思う。
そんな二人への贖罪の意味をこめて、最近は彼らのシャツやハンカチにアイロンを掛ける試みもしている。リビングでそれをやってる最中にどちらかが帰ってきたら困るから、作業は自分の部屋で行う。ネットで調べて、アイロンは襟から掛けると知った。それから肩、袖。何枚も掛けてると暑くてたまらなくなってくるけど、皺を伸ばしきってきれいに畳んだ洗濯物を見ると、すごい達成感がある。
アイロンを掛けてない洗濯物も一緒に畳んで、リビングのソファに積んでおく。さすがに箪笥に仕舞うのは自分でやってもらいたい。勝手に部屋の中に入られたら嫌だろ？
さて、さっさとシャワー浴びて部屋に引きこもろうと思った時、電話が鳴った。自分で分かるくらい肩がびくっとする。
……電話は、怖い。
母さんや弟は、掛けてくるならそれぞれが家にいそうな時間帯だ。こんな時間に掛けてこない。それぞれの仕事友人関係もそう。しかも非通知。だからこれは何かの勧誘電話だ。
電話はしつこく鳴っている。以前なら、ただ立ち竦んで相手が諦めるのを待つだけだったけど、今は違う。震える手で受話器を外すと、向こうから何か言い始める前に、電話の傍に置いてある再生専用プレイヤーをＯＮにした。
途端に、重低音で流れ出すお経。たまにリードヴォーカル一人だけの声になるのを、動画サイトからこれを変換ソフトで落とし込んだ時に知った。何人もの坊さんの読経って、まんま合唱だ。
そのまましばらく放置。後で受話器を戻そう。
お経の流れる部屋を後に、風呂場に向かう。熱いお湯で全身洗った後は、風呂掃除もしておく。濡れた頭をタオルで拭きながら戻ってきたら、電話は当然切れていた。これに懲りて二度と掛けて来ないでほしいと思う。
切れていることを確認するまでは、やっぱりどこか緊張してたらしい。読経の消えた部屋に腹が鳴る音が響く。昼間カップラーメンカップ焼きソバ三昧に飽きてウン年。──そろそろ、料理を覚えるべきだろうか。母さんが帰る前に晩メシ作って置いておくようにすれば、俺が悪いと思っていることが伝わるだろうか。
怒られるのが怖い。失望されるのが怖い。俺を否定する言葉を聞きたくない。情けないのは分かってる。でもダメなんだ。それが家族であっても人と顔を合わせるのが怖い。だから家族とももう何年も口をきいてない。
まず、ネットでご飯の炊き方を調べてみよう。学校の授業でやった気もするけど覚えてない。カレーなら、作れるだろうか。
そう思いながら起動しっぱなし、繋ぎっぱなしのデスクトップ・パソコンの前に座り、検索を始める。他人の失敗談を見ながら、さすがに米洗うのに洗剤は無いだろうと笑う。ま、ネタだろうけど。古米と新米で扱い方を変えるのか……と米研ぎの難しさに呆れていると、迷惑メールフォルダがいっぱいになっているのに気づいた。
いつもならそのまま空にする。どうせスパムしか入ってないし。アルファベットをデタラメに並べたユーザー名、噓くさいドメイン、胡散臭い件名。そのうちのひとつが、どうして気になったんだろう。
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何だこれ、まさか求人？ 本当に？ そういう疑問から開いてみた。
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思わず目が点になった。まさかのガチ求人。
家から出ず、人にも会わずって、普通の在宅の仕事でもあるだろう。それとは違うのか……？ 社名からすると、ニートを派遣するってことなんだろうけど、家から出ないんじゃなくて、出られないニートをどうやって派遣するんだろう？ 突込みどころ満載だ。
だけど……
──年齢は問いません。社会経験もいりません。コミュ障だって平気。会話も必要ありません。
資格はたったひとつ、綺麗好きなこと。
俺は、綺麗好きだ。綺麗好きのニートだ。年齢も社会経験も問わず、他人と会話もしなくていいのなら、この求人、考えてみてもいいかもしれない……。
問い合わせるくらいは、してもいいかな。
会社名。前株後株だけではなく、ごく少数ですが中株も存在するようです。
