さて、邂逅邂逅っと。
6月も残すところ、あと数日となったとある水曜日。
午前9時にも関わらず、僕はゆっくりと歩道を歩いていた。学校につくには、後小一時間はかかると思われる。
察すればわかると思うが、今日が休みでも、前日に天災があって授業開始時刻が遅れた訳ではない。
ただ寝坊して遅刻しただけだ。
今月に入って8度目ぐらいになるのだろうか。まあ、1ヶ月中にある水曜日の数よりも多いのだから、遅刻に慣れつつあってもしょうがない気がするが……。
そういう訳で悠長に歩き始め早10分。
商店街に指しかかろうとしたその瞬間。
「――ちょっと、避けてえええええええええっ!!!」
少女が空から降ってきた。
「は?」
勿論そんなに僕の反射神経が言い訳でもなく、突っ立ったまま凝視していたのだが――。
少女は見事に僕のすぐ隣にあったゴミ置き場へと、背中から落ちていった。
僕はもしかしたら自殺の現場を目撃してしまったのかもしれない、と不安になりながらも、ストライクの決まったゴミ置き場を見つめた。
少女は「イテテ」と呟きながら、ゴミ置き場から半身を起こす。どうやら死んではいないらしい。と僕は安堵の息をついた。
だが少女は額から僅かだが血を流していた。落ちた時に切ったのだろうか……僕には関係ないけど。
その後ゴミ置き場から出てきた少女は、僕を見つけるなり、
「君、怪我はなかった?」
と体をよろめかしながら、微笑んだ。
「それ、あんさんが言うのか……」
僕は呆れながら呟くのだが、一つだけ気になる事があった。
彼女の着ているセーラー服には、僕の通う高校の刺繍が施され、更に言うとクラスで女子が着ているものなのだ。
だがらつまり――。
「君、私と同じ高校?」
僕もそれが気になっていたのだ。しかし、彼女が着ているのはえらく新品なセーラー服で、更に言うとうちの高校は特進と普通科で、校舎も校名も規則もだいぶ違うので、もしかしたら校章が同じだけの違う高校――云わば、特進生の可能性もある。
「……かもしれないし、じゃないかもしれない。コーヒーはジャマイカかもしれない」
「じゃあ、ジャマイカだね」
普通に特進生と聞けばいい気がしたのだが、どちらにせよ知ったところでどうこうする物ではないので、「んじゃ」と無理やり会話を切り歩き始めた。
「え、ちょっと! 待ちなよ!」
小走りで少女は僕の右隣へと来る。そして、服の裾を引っ張ったかと思うと、顔を近づけてきて僕に尋ねた。
「君さ君さ、私が落ちて来た事に関しては何で聞かないの?」
だって、理由尋ねて「自殺しようとしてました」なんて答えられたら、返しようがないじゃん。
「だってゴミ臭いし……」
誤魔化すように言ったのだが、隣にいる少々は確かに生ゴミの匂いがする。
「酷いなあ。これでも生まれたときは絶世の美女とまで謳われたのに……臭いなんて言わないでよ」
生まれた時は美女かもわからない気がするのだが……しかも謳われてたんだな……。
しかしまあ、少女はゴミ臭い事は事実なのだが、美女で有ることも事実だった。
長く伸びている黒い髪は、小さく雪のような白い顔を引き立て、さらにその白い肌は、大きくも濁ることのない黒い瞳を、うっすらと紅く色づく唇を一段と美しい物へと変えていた。
さながら、欠けることの許されない完成した芸術品をイメージさせられる。
「じゃあ、なんで落ちてきたんだよ」
諦め半分で聞いてみた。すると少女は良くぞ聞いてくれましたといわんばかりに胸を張った。
「実は寝坊したんです!!」
どうやら自殺ではないらしい。
「……、で?」
「慌てていたら、ベランダから飛んでいました!」
「………………」
自殺でした。
「私の家すぐそこなんですよ」
と、振り返り指を指した。釣られて見てしまったが、そこにあったのはビルのように高いマンションだった。
「まあ、マンションなんですけどね」と遅れて少女は呟きながら「因みにあそこの8階です」と恐ろしい事をいった。
「よく8階から飛んどいて、死ななかったな……」
しかもどうやってゴミ置き場まで飛んで来たんだよ、とゴミ置き場とマンションを見比べる。少なくとも数十メートルは離れていた。
「私は元陸上部なので、こんくらいは余裕です」
「にしても、尋常じゃねえよ。飛距離にしても――」
その体の丈夫さにしても。と、それは口にしなかった。
「あんさん、頭の怪我は大丈夫なのか」
商店街に入って、横を歩く少女に聞いてみた。彼女の額のかすり傷は、一見小さく大した事はないように見えるが、ゴミ置き場で出来た傷な訳であって、もしかしたらばい菌がはいっているかもしれない。
「あ、うん。ん? 私怪我してたんだ」
何かよく分からない返事をされつつ、彼女は自分の額を触った。
そして、手についた赤い血を見て「あちゃー」と呟いた。
「まあ多分大丈夫だよ」
つまり多分大丈夫じゃないのだ。
「ったく、病院行った方が良いだろ」
仮に大丈夫であったとしても、学校についてからが問題な訳で、どっちにしても病院に連れて行く事が得策であった。
だが、しかし――。
「良いんだよ、本当に」
少女は、こちらを見つめたながら微笑んだ。
太陽の逆光のせいかそれは何よりも眩しく、何処か儚さを感じた。
「ん、おう……」
小さく生じた違和感と、得体のしれない不安に襲われたのだが、僕がそれを無理やり気にしないようにしたのは言うまでもない。
それから何も話さずに数分歩き、商店街を抜けたところで少女が、
「あ、私鞄を家に忘れちゃってるじゃん!」
と、言ったのだ。
すべて学校に置きっぱなしにしている僕は、携帯と財布をポケットに入れているだけなので、彼女が鞄を持っていない事になんの疑問も抱かなかった訳だが――鞄を家に忘れていて気付かないとは相当馬鹿なのではないかと思ってしまった。
「あちゃー、こればかりは流石に帰らないとだよね」
はあ、と少女は深い溜息をついた。
「……私は家に鞄を取りに戻りますので、君は一人で頑張るんだよ……」
と、何故かしょんぼりしていた。てか何を頑張るんだ?
「あ、うん。そっちこそ頑張れ」
多分、家に帰ったら着替えたりもしなければならないのだろうから。ほら、ゴミ臭いし。
「君今、私の着替えシーン想像しちゃった? いやだなぁ」
「惜しいけどしてねえ!! てかじゃあな!?」
無理やり引き離すように早歩きになる僕は、そういえば互いに名前とかしらないよなぁ、と思っていた。
……どうでもいいのだけど。
「じゃあ、またいつか――」
後ろから少女声が聞こえた。
振り返れば少女は、大きく手を振っている。
「ああ、またなー」
心に無い事をいいながら、右手を軽く振っといた。
次あったとしても、話すことはないのだろうから。
再び僕は学校へと歩き始めていた。一度も振り返らずに、ずっと前だけを見つめて歩いていた。
その足取りは違和感と不安を僕に与えた少女の事を、必死に忘れようとしているかのように早かった。