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ノドグロの尻尾  作者: 浦切三語
第一章 鬼ヶ島のエミリ
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第八話

「今でも思うんだ。あの時の俺の行為は間違いだったんじゃないかって。あれは、確かに犯罪だったんだ。やってはいけない事だったんだ。先生や、親に相談すればそれで澄んだ事なんかじゃないかってさ。別段、褒められるような事じゃない。むしろ、罰を食らって当然の所業だよ」

「いいえ」


 ずいっと前屈みになると、エミリが真剣な目で俺の目を覗き込んできた。

 心の奥底の、網を被せて他人には見せないようにしている部分まで覗き込まれてしまうのではないかという、若干の不安を、俺は覚えた。


「和成さんのやったことは、正しかったんだと思います。私は鬼ヶ島という外界から隔絶された土地で生まれ育ちましたから、いじめというのがどれほど酷いものなのかは分かりません。ですが、何の罪もない他者を一方的に傷つける行為が、どれほど卑劣で、許されざる行為なのかと言うことは、良く熟知しているつもりです。そういった、暴力に呑まれた人間に対しては、やはり暴力で対抗するしかないのです。大丈夫です。貴方は、正義の鉄槌を下したのです」

「で、でもさ」


 違うんじゃないのかと、慌てて口を開く。


 エミリが突然、俺の両手をぎゅっと握ってきた。普段、女の子に手など握られた事のない俺は、恥ずかしい事にかなり狼狽してしまった。


 エミリの手は小さかった。それに、さっきお菓子をつまんでいたせいか、少し手がベタベタした。

 でも、不思議と暖かかった。


「あ、あの、え、と」

「和成さん」

「は、はい……」

「そういう『行き過ぎた正義』こそ、私は正しい行為なのではないかと思うのです。今の人々は、何か問題が起こるとまず、自分からは動きません。他人に任せたり、或いは事態が落ち着くのを静観したり……それで事態が好転しなければ、直ぐ誰かのせいにして自分には責任が無いと恥ずかしげもなく叫ぶのです。そんな事は間違っています。結果がどうなろうと、まずは行動する事こそが正義なのです」

「正義……ねぇ」


 正義。その言葉を脳内で反芻する。

 何時、誰が、何のために作った言葉なのかは分からない。

 だが、それが酷く甘美な響きを持っている事は俺も良く知っているし、何より人間の歴史がそれを証明している。


「なんか、論点がずれてないか?」

「そんな事はありません」

「そ、そうかな?」

「とにもかくにも、です。私は貴方の様な正義感溢れる人こそ、ノドグロに対抗出来る唯一の人材だと思っています。お願いです。どうか力を貸してください。これは、貴方がいないと出来ない事なんです。私一人で封印出来るものではありません。貴方の力が必要なんです。ここが、最も重要な所なんです」


 この通りですと、エミリは俺に向き直り、座礼をして俺に協力を乞う。

 しかし、そこまで頼み込まれても、俺はまだ、首を縦に振ろうとはしなかった。


「そう言われても……大体、それって今すぐやらなきゃいけないことなのか?いや、ノドグロが如何に人間にとって脅威的存在だって言ってもさ、別に今すぐでなくてもいいんじゃないか?」

「それは駄目です。手遅れになってしまいます」


 エミリは顔を上げると、再びテーブルの上のお菓子をバリボリとつまみながら、言葉を紡いだ。


「現に、和成さん。最近貴方の身に、何か嫌な出来事が起こっているんじゃないですか?」

「嫌な出来事?」

「はい。ノドグロに寄生された人間は、その周囲に災厄を撒き散らす傾向があるのです。災厄の規模はまちまちですが、恐らく、身に覚えのある程度の災厄だとは思います。ですが、これを放っておけば、何時か取り返しのつかない巨大な災厄が貴方を、いや、貴方だけじゃありません。この世界を飲み込んでしまいます。どうですか?何か、身に覚えはありませんか?」

「……ある、かも」


 脳裏を過ぎったのは、近頃の俺の就職状況だった。これまで二十一社の会社を受けて、その全てが最終面接で落とされている。余りにも不自然過ぎる出来事だ。


「身に覚えがあるんですね?」

「ああ、最近就職活動が上手くいってなくてな。思い当たる事はそれしかないんだが」

「なら、きっとそれはノドグロの尻尾の影響でしょうね。間違いないと思います」

「で、でもよぉ」


俺は、頭をポリポリと掻きながら、苛立った声を出した。


「なんつーか、納得出来ねぇよ。就職活動が上手くいかない原因が、ノドグロのせいだなんてよ。なんか、納得出来ない。最終面接で落とされまくるのは、やっぱ俺にどこか問題があるからで……だから、その、ノドグロなんて得たいの知れない化け物のせいにはしたくないんだ」


 本心だった。ノドグロのせいにはしたくなかった。そうやって逃げをつくるのは確かに簡単だが、それを認めてしまうと、自分の人生が目に見えない、何か巨大な力に操られているような屈辱さを覚えてしまう。それが、酷く気味悪く思えた。

 俺がたどたどしく自分の意見を言い終わると、エミリは目を細めて、俺に笑いかけた。


「そういう所が、私が貴方を協力者に選んだもう一つの理由なんですよ、和成さん」

「は?」

「就職活動が今の貴方にとって非常に重要な問題であるということは、良く分かっているつもりです。そういった重要な問題をノドグロのせいにすることなく、あくまでも自分自身の問題として消化できるその心のタフネスさが、ノドグロと立ち向かうには非常に重要なのです。これが他の人間だったら『なんだ、全てはノドグロが悪いのか。じゃあ俺が悪い訳じゃないんだな』と言って、責任をノドグロに転嫁するでしょう。実際、確かにその通りなのですが、しかしそれでは到底、心がタフネスだとは言えません」

「……」

「お分かり頂けましたか?」

「……なぁ、煙草吸ってもいいか?」

「煙草?」

「嗜好品だ。紅茶と似たようなものさ」


 俺はエミリの返答を待つことなく、シャツの胸ポケットから、ライターとマルボロを取り出した。

 先端に火を付け、煙を吸って、吐き出す。


「随分ときつい匂いの嗜好品ですね」


 左手で鼻を覆い、しかめっ面で俺を見るエミリ。それが何だか可笑しくて、俺は煙をエミリに向かって勢い良く吐き出した。紫煙がエミリの顔を包み、霧散していく。


「ふげっ!く、臭い!くさいですよ和成さん!そんな臭いものの何処が嗜好品なんですか!」

「くっ、くはははははは!」


 顔の前で両手をぶんぶんと振り、煙を散らしていくエミリ。その姿がひどく滑稽で、俺は久々に笑い声を上げた。


 本当に、久しぶりだった。

 不思議なことに、靄が晴れていくように俺の心に光が差し込んできた。

 タバコを吸い終わった俺は、ふぅと一息ついて、エミリに向かい直った。


「協力するよ」

「え?」

「だから、協力するって。このままだと世界がヤバイんだろ?で、協力出来る人間は俺しかいないんだろ?だったら、やるしかないじゃないか」

「ほ、本当ですか!?あ、有難う御座います!」


 エミリは今日一番の笑みを浮かべて、何度も何度も俺に向かってお辞儀をした。

 その日の夜。エミリは俺のベッドで眠り、俺はソファーで眠り、夜を過ごした。

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