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ノドグロの尻尾  作者: 浦切三語
第三章 ノドグロの尻尾
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第十六話

 翌朝、通い慣れた道を歩いて、俺は研究室へと向かった。


 時刻は朝の九時。まだ教授達は来ておらず。何人かの研究生がまばらに実験しているだけだった。


 研究室に入ると、俺は自分の机の上に背負っていたリュックサックを置き、その中から空の2Lペットボトルを3本取り出して両手で抱えた。研究室の後輩たちが「先輩、それ何に使うんすか?」などと聞いてきたが、俺はそれらの質問を適当にあしらうと、階段を降りて純水生成装置の置かれた部屋に入った。


 間取りの関係からか、部屋の中は暗く、湿っぽかった。


 俺はまず、空のペットボトルを1本手に取る。

 キャップを開け、装置の『開始ボタン』を押して、注入口にペットボトルの口を当てた。ちょろちょろと小便の様に出てくる純水を見つめながら、俺は昨晩の事について考えていた。


 結論から言えば、昨晩の内に羽純を助ける手段は見つかった。


 でも、『手段』は分かっても、それを行使する為の『材料』がどうしても思いつかないでいた。残された時間は少ないのだ。もたもたしていれば、手遅れになってしまうのは明白だった。


「もたもたしていれば……か」


 羽純に対してもそうだった。

 思えば、大学に入ったばかりの頃か、高校生の頃か、いや、もっとそれよりも前、中学生の頃に羽純に思い切って告白しておけば、今頃俺の心は、初恋に縛られず、もっと自由にのびのびと出来た筈だ。


 告白して、それを羽純が受け入れようと受け入れてくれまいと、少なくとも、今よりかは随分と澄んだ人生を送れたに違いないだろう。しかし、現実はそうではなかった。


 なにもかもが手遅れだった。


 初めて俺の家をエミリが訪ねてきた日の夜。彼女は俺に対してこう言った。

 行動する事こそ正義なのだと。


 ということは、羽純に対して行動を起こせなかった自分は『悪』という事なのだろうか?

 自分の本当の気持から逃げ続けてきた自分に、ノドグロに立ち向かう資格なんて、本当にあるのか?


 頭が痛くなってきた。

 いくら考えても答えは見つからないような気がしたので、このことについて考える事はもうやめることにした。


「早く、何とかして材料を見つけないと」


 1本目、3本目のペットボトルに純水をパンパンに蓄え、最後の1本も残り僅かで満杯になるという時だった。


 突然、部屋のドアが乱暴に開け放たれた。

 驚いて振り向くと、そこには同じ研究室の後輩である島本がいた。

 男でありながら中性的な顔立ちをしており、本人の弁によると、女の子と間違われる事もしばしばあるそうだ。


「先輩!ここにいたんすか!」


 島本は珍しく、切羽詰った顔で俺を呼んだ。

 装置の『停止ボタン』を押して、「どうした?」とぼんやりとした声で聞き返す。


「大変っすよ!さっき病院から連絡があって、支倉さんが脳溢血で倒れたそうです!」

「なっ!?ど、何処で!?」

「こっちに来る途中で、道端で突然倒れたらしんですよ!今先生たちが病院に向かってる所です!先輩も後で来てくださいねっ!」


 それだけ伝えると、彼は足早にその場を去った。

 残された俺は、一人深い深い迷路に迷い込んだような心持ちになる。


――ノドグロに寄生された人間は、その周囲に災厄を撒き散らす傾向があるのです


 あのエミリの言葉は嘘でもなんでもなかった。

 いや、注目すべき所はそこではない。


 問題なのは、『支倉が脳溢血で倒れた』という事だ。


 エミリは言っていた。宿主に近しい人間がおっかぶる災厄の規模は、その人その人によってまちまちであると。それで考えれば、支倉が脳溢血という、生命維持活動に重大な影響を与える病気に襲われたということは由々しき事態であった。


 それだけの事態を周囲にまき散らすほど、羽純の中に巣食っている『ノドグロの尻尾』の力が増大している様に思えたからだ。


 突如、携帯が鳴った。ズボンのポケットから取り出して画面を見る。

 羽純からだった。


「もしもし?」


 呼びかけるが、応答は無い。俺はもう一度大きな声で「もしもし!?」と尋ねた。


『か、かず君……けーちゃんが、けーちゃんが……』


 微かに、泣きじゃくる羽純の声が聞こえた。

 不意に、胸がぎゅっと締め付けられる。


「落ち着けって。今こっちに連絡があったんだ。これから直ぐに病院に向かう」

『なんで……どうしてこうなっちゃったの?昨日は普通だったんだよ?普通に……元気に過ごしていたのに……』


 鼻を啜る音。居ても立っても居られなかった。今すぐ、羽純の体を抱きしめてやりたかった。だが、それは叶わない。代わりに、俺はこう言葉を掛けた。


「お前のせいじゃない」


 はっきりと、そう言ってやった。

 それだけは、言わなければならなかった。


 君が悪いわけじゃない。世の中には、自分の力だけでは到底太刀打ち出来ない理不尽な事が山ほどある。


 そういったものに押しつぶされそうになった時、かけてやるべき言葉は『頑張れ』とか『やれば出来る』とか、そういった類の言葉ではないように俺は思った。


「お前のせいじゃないんだ。一人で抱え込むようなマネはするな」

『……かず君……私……』


 そこで、電話が途切れた。

 急いで再度電話をかける。だが、いくらコールしても、羽純は二度と電話に出ることはなかった。


「……くそっ!どういうことだよ!」


 苛立ちと焦りを抱えつつ、俺は純水で満タンになったペットボトルを3本抱えると、大股で部屋を飛び出した。


 その時、脳の中に直接、誰かが語りかけてくる感覚があった。


〈和成さん!私です。エミリです!)

「え、エミリ!?」


 誰もいない廊下に向かって、気がつけば叫んでいた。

 しかしながら、エミリからの返事はない。だが、今さっき確かに、エミリの声が耳に届いたのだ。

 聞き間違いである筈がなかった。


〈和成さん、聞こえていますか?今、テレパシーを送って貴方の脳内に直接語りかけています〉


 やはり、エミリの声だ。

 しかも、テレパシーで俺の脳内に直接語りかけてるときた。

 まったく、鬼ヶ島の鬼達は超能力者か何かなのか?


〈落ち着いて聞いて下さい。『ノドグロの尻尾』が完全に力を取り戻してしまいました。今朝方、私の胸の中に、強烈なノドグロの意識が流れ込んできたんです。悪意ある挑戦状でした。私は、これから準備を整えて羽純さんの所に向かいます。今から十分後にもう一度連絡をしますから、その時に集合場所を伝えます。それでは〉


 そこで一方的に通信が途切れた。しかし、俺はこの後に及んでも、まだ羽純を殺す覚悟を決めていなかった。


 何とかして、彼女を助ける為の『材料』を探さなければならないと、そんな事を考える始末であった。しかし、もう残された時間はない。


「(ちくしょうっ!諦めるしかないって言うのかよっ!)」


 重い足取りで階段を上り、研究室へと戻る。部屋には誰もいなかった。恐らく、支倉が運ばれた病院に皆で向かっているのだろう。

 リュックサックにペットボトルを詰めて背負い、俺もまた研究室を後にしようとした時だ。


「痛っ!」


 何かが足元にぶつかった。

 足下を見ると、円柱型の缶が倒れていた。

 金属試薬なんかを保管する時に使う缶だ。


「ったく誰だよ。こんな所に置いとくなんて」


 膝を屈めて、缶を手に取る。

 缶のラベルには、『ナトリウム棒 五百グラム 特級』と書かれていた。


「ん?まてよ、ナトリウム?」


 その文字を目にした途端、俺の頭の中で何かが弾けた。

 暗い洞窟を走り続け、一筋の光明を見つけたような、そんな感覚が全身を襲った。


「そうだ、これなら……!」


 俺はリュックサックをその場に置き、研究室内の金属試薬が保管されてある青い棚に大急ぎで向かった。

 乱暴にドアを開けて、中を確かめる。そこには、ナトリウム棒の五百グラム入りの缶が十本、ずらりと並んで置いてあった。


 それを確認した俺は、昨晩、エミリが解読したあの袋閉じの文章の事を思い出していた。




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