第十一話
家に着くと、俺はまず煙草を取り出して気持ちを落ち着かせようとした。さっき、帰りの電車の中で、エミリの言った内容が未だに信じられなかったからだ。
『残念ながら、彼女の吐息は赤色でした。つまりレベル3。それも、かなり濃い色です。どうやらノドグロの尻尾にとって、あの大原羽純という女性は最高の寄生体だったようです』
意気消沈した口調でそう告げられた時、俺は目の前が真っ暗になりそうだった。足元が崩れていくような、言い表せぬ不安に押しつぶされそうだった。
煙草を燻らせる。紫煙が拡散し、天井にぶつかって、散った。
「和成さん。一つ不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「駄目」
「……じゃあじゃあ、ちょっと恋バナでもしませんか?」
「はぁ?何を突然……」
いつの前にか、エミリが俺のソファーに座ってテーブルに置かれた菓子を勝手に貪っていた。小さな頬に沢山の菓子を詰め込んで、もごもご顎を動かすその仕草が、なんだかハムスターっぽく見えてしまう。
この少女は、なかなかどうして、こうして出会って間もない男の家でゆったりとくつろげるのだろう。襲われるなんて事は考えないのだろうか。
あるいは、これが鬼ヶ島の女達にとっては普通の事なのだろうか。
いまいち、良く分からない。
お菓子を頬張りながら、エミリが不意に尋ねる。
「和成さんは、あの大原羽純という女性の事が好きなのですか?」
図星だった。だが驚きはしなかった。
寧ろ、やっぱりわかるんだなという感情しか湧いて来なかった。
苦笑を浮かべて煙草を消す。二本目の煙草に火を付けて、俺は答えた。
「ああ、好きだよ。大好きだ。中学二年生の頃からずっと、な」
「ということは……十二年間ずっとあの女性の事を想って今日まで生きてきたという事ですか?」
「そんな大げさな言い方しなくても……いや、合ってるんだけどさ」
否定はしなかった。事実、俺は今日まで彼女の事を一日たりとも忘れた事はなかった。ふと、暇になったときに、彼女の事について思いを巡らすような事など日常茶飯事だった。
しかし、彼女の見ている風景が自分の見ているものとはまるっきり異なる事を、俺は今日改めて知ることになった。
「気持ち悪いだろ?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。このお菓子、なかなかどうして美味しいです。ぜんぜん胃もたれを起こしません」
「君の腹の調子を聞いているんじゃないんだよ」
「ふへぇ?じゃあなんの話です?」
「十年以上も、一人の女性の事を考え続けている事だよ。まるでストーカーだ。気持ち悪いと思わないのか?」
「別に全然。人が人を愛するのは当然の事じゃないですか。美しいことですよ」
「……例え、相手に彼氏がいてもか?」
「いるのですか?」
「ああ、いるよ支倉って奴なんだけどな」
「ふーん……まぁ、いいんじゃないですか?そういう恋愛の形もありだと思いますけど」
「そうか……ってか、鬼ヶ島にも恋愛の概念は存在するんだな」
「そりゃあ当然、ありますよ」
エミリは口に溜めこんだ菓子をごっくりと飲み干すと、俺の質問に答える。
「鬼ヶ島にも恋愛という概念はありますし、結婚制度もあります。ですが、一夫多妻制です。因みに私の父には五人の奥さんがいました。私はそのうちの、三番目の母の長女です」
「そうか……なぁ、エミリ、さっきの電車での話なんだけどさ……」
その話を持ち出した途端、彼女の顔が暗くなった。実際口に出すよりも、その表情は雄弁であった。
実際、彼女の顔を見て、俺は無性に叫びたい気持ちに駆られた。
「……羽純は……助かるのか?」
搾り出すように声を出す。
煙草の灰が灰皿に落ちた。遠くで電車の通過する音が聞こえる。