第十話
「なぁ」
「なんでしょう?」
「本当に宿主は羽純なのか?見たところ、特に変わった様子は見られないが……」
「当たり前ですよ」
エミリは、ピンと右手の人差し指を立てて、講釈を始めた。
「ノドグロの尻尾に寄生された宿主は、外見からは普通の人間となんら変わりはありません。ですが、見分ける術は有ります。それは、吐息の色です」
「色だと?声に色なんてある訳がない。何を言ってるんだ?」
また訳の分からない理論が飛び出してきた。
困惑の表情を見せる俺に、エミリは優しく、ゆっくりとした口調で説明を始めた。まるで、九九の分からない子供に九九の覚え方を教える母親のように。
「我々鬼ヶ島の鬼達は、宿主の吐息を、色として認識することが出来るんです。そして、ノドグロに寄生された宿主は寄生レベルに応じて吐息の色が変化するんです。レベルは1から3まであって、1は緑色、2は黄色、3は赤色です。レベル3まで進んでしまうと、もうこれは手遅れの状態を意味します」
「なるほどな……で、俺は何をすればいい」
「特別な事は必要ありません。ただ、彼女に普通に話しかけて貰えれば結構です。私は此処から、彼女の吐息の色を探ります。ですから、なるべく彼女の顔が私の方向に向くような位置で話しかけて下さい」
「あれ?お前は来ないのか?」
「私が不用意に彼女に近づくと、彼女に宿っているノドグロの尻尾を目覚めさせてしまう危険性があります。昨晩も言いましたが、私とノドグロは互いがレーダーのような関係にあります。つまり、互いに刺激しあう状況にあるのです。ですから、不用意に近づく事は出来ません。このくらいの距離がギリギリなんです」
「分かった」
俺は意を決して柱から飛び出した。
羽純はまだ、ショーウィンドウの前で商品を吟味していた。彼女に一歩一歩近づいて行く度に、心臓の鼓動が少しづつ大きくなっていくのを感じた。
落ち着け、落ち着け、平静を装え、と念じながら、俺は彼女の肩越しに声を掛けた。
「こんな所で何してるんだ?」
突然、後ろから声を掛けられて驚いたのか、羽純はビクッと体を震わせてこっちを振り向いた。
だが、俺の顔をその丸っこい愛らしい瞳が捉えた瞬間、驚きの表情が、柔和な笑みに変わった。
「あ!かず君!久しぶり~~~!」
目を細めて可愛らしい声を上げる羽純。
心が僅かばかり動揺するが、それを表に出さまいとする俺。
「よう」
「こんなところで何してるの?」
「いや、ちょっと時計を買いに来んだけど、さっきそこでお前を見かけてさ……お前の方こそ何してるんだ?何かすごーく迷っているみたいだったけど」
「あー、うん。ネックレスを買いたいなーって思ったんだけど、どれにしようか迷っちゃって……」
そう言って、羽純は目線を再びショーウインドウに向けた。
だが、俺の視線は彼女の横顔に釘付けになっていた。
きめの細かい白い肌に、綺麗なカールを描いている睫毛、手入れの行き届いている黒髪は、ブラックダイヤモンドのそれに近い輝きを放っていた。
うーん、どれにしようかな、と腕組みをして悩んでいる彼女が、凄く可愛らしく、そして何より、愛おしいと感じた。
「そういやあ……支倉の奴はいないのか?」
俺は、羽純の『彼氏』である支倉の名前を出した。
正直、彼の話題をここで口にするのは嫌だった。
だが、もっと会話を引き出す為には、これしか策が無いように思えた。
「あ、けーちゃんなら四階のCDショップにいるよ。なんか洋楽を買いに行ったみたい」
「ふーん。相変わらず洋楽かぶれか、あいつは……」
そこでまた、会話が途切れた。彼女は俺との会話などそっちのけでどのネックレスを買うべきか、かなり真剣に悩んでいるようだった。
「これなんかいいんじゃないか?」
そう言って、俺は一番右端に設置されている、淡いエメラルドグリーンの宝石が嵌め込まれたネックレスを指差した。
値段もそれほど高くないし、何より、羽純に一番似合いそうな色だった。
「あ、じゃあこれにしようかな」
「え?あ、い、いいの?」
「うん。かず君意外とセンスあるし、君が選んでくれたものなら多分似合うよ」
「意外ってのは余計だなぁ」
「だってホントの事じゃん」
「言えてる」
そう言って、俺達は互いに笑いあった。
中学生の頃に戻ったような、そんな懐かしい気分になった。
しかし、羽純の笑顔を見たとき、俺の心が鈍痛に襲われた。
こんな事、思いたくもないが……依然として、彼女の事を諦めきれていない証拠なのだろう。男として、情けない限りだ。
羽純の目を盗んで、俺は背後を振り返った。柱の陰に隠れて、エミリが両手で丸印のサインを送っている。どうやら、頃合いの様だ。
「あ、じゃ、じゃあ俺そろそろ行くわ?」
「うん、分かった。かず君も就活頑張ってね」
「おう。決まったら報告するよ」
それだけの会話を交わして、俺は羽純と別れた。
戻る途中、後ろを振り向いた。羽純は俺が選んでやったネックレスを指さして、店員に「これください」と、にこやかな口調でお願いしていた。