マグデリアン学園-1 仮面舞踏会
十三歳になる年、私はマグデリアン学園に入学した。
古城を二つくっつけたように巨大な学園には圧倒される。
制服は支給された。女子生徒はダークブラウンと白いフリルのドレスと黒のケープ、そしてリボン。リボンは学年で色が違う。黄色、オレンジ、赤、紫、青、水色、黄緑、緑。
男子生徒はダークブラウンのブレザーとネクタイ。ネクタイも女子のリボンと同じく、学年で違う。
男女と全学年共通なのは、黒のローブだ。
私は魔法使いにぴったりのその黒いローブが好き。お兄様が着ている姿を見て、とてもかっこいいて思ったからかもしれない。
残念なことにジオお兄様は八年制のマグデリアン学園を卒業。一緒に通いたかったけれど、ジオお兄様はマグデリアン学園を首席で卒業。しかもパーフェクトな成績。歴史上初だ。
それだけでも大喜びしてしまうのに、ジオお兄様はお城の魔術師の一人となった。
魔法研究や魔法開発をしながら、王様の命で魔法問題を解決する職業だ。
最高クラスの魔法使いに与えられる名、それが魔術士。
真の才能ある者にしかつけない職だから、両親も私も鼻が高かった。
学園中に自慢したかったけれど、ジオお兄様の後輩である先輩方はもう知っていた。私がそのジオお兄様の妹だと言うことも、学園の中で知らない人なんていない。
教師にさえも、自己紹介なんて不要だった。
入学して間もなく、お城から仮面舞踏会の招待状が届いた。
お父様もジオお兄様も城で働いている。貴族でなくとも参加する資格はある。名誉なことだ。
十三歳になった私も、パーティーに参加する資格はあるから、お母様は張り切って私のドレス選びをした。
夜のパーティーに参加するのは初めて。しかも国王様も参加なさる。緊張で落ち着きがなくなってしまった。
「ジュリア……とても美しい」
「ジオお兄様。ありがとうございます」
髪もセットして軽く化粧も終えれば、ジオお兄様が部屋に来て褒めてくれたので、スカートを摘まんで軽く上げてお辞儀。今夜はお辞儀をたくさんしなくちゃ。
ジオお兄様もパーティーのために、装飾性の高い衣装で着飾っている。
学園を卒業するとジオお兄様は髪を切って髪型を変えた。右の前髪は垂らして、左の前髪は後ろに掻き上げるような短い髪型。私とお揃いの髪色。
白いシャツと白いスカーフ。金の刺繍が施された黒いベスト。
左肩には金色の装飾がつけられた純白のケープ。城に仕えている魔術師の証。
でも私の目には、ジオお兄様が王子様にしか見えなかった。とても高貴で美しい。
「ジオお兄様も、素敵です……」
恍惚と見惚れてしまう。
二十一歳になったお兄様も素敵。
にこり、とジオお兄様は微笑んだ。
「今夜、私は挨拶をして回らなくてはならない。くれぐれもお母様から離れないように」
「……はい」
前髪を撫でるジオお兄様に、思わず苦笑をこぼしながら頷く。
「どうかしたのかい?」とジオお兄様が首を傾げた。
「緊張してしまって……初めての夜会ですから……。ジオお兄様がそばにいないと思うと心細いです」
「ジュリア、すぐに済ませるよ。それに心配ない。グラヴィオンもついているし、自信を持っていていい。挨拶を終えたら、私と踊ってくれるかい?」
私の手を握って励ますと、ジオお兄様はダンスに誘ってくれる。
それなら楽しみに待っていられるから、緊張が和らいだ。
「仮面はこれを」
「わぁ……素敵ですわ」
お兄様が用意してくれた仮面を、私は一目で気に入った。
目元だけを隠す仮面はまるで黒い蝶が羽を広げているように黒い。でも夜空に瞬く星のように宝石が散りばめられていた。部屋に飾って眺めていたいくらいだ。
「話したかな。赤ん坊は生まれると妖精の祝福を受ける。ジュリアには黒い羽の妖精ばかりが集まっていたんだ。無限の可能性を秘めた赤ん坊を好む妖精、だからジュリアには無限の可能性がある」
初めて聞く話をしてくれながら、ジオお兄様は親指で私の前髪を退かすとその仮面をつけてくれた。
「マグデリアン学園では、あらゆる挑戦をして、ジュリアの力を発揮するといい。先ずは今夜の舞踏会を乗り切ろう」
ジオお兄様が笑わせてくれるから、吹き出してしまう口元を押さえる。
無限の可能性を秘めた私なら、舞踏会なんて簡単に乗り切れると言ってくれた。
卒業しても学園生活を気にかけてくれるジオお兄様は、本当に優しい。
言われた通り、あらゆることに挑戦して自分の可能性を試す。
その前に、舞踏会を乗り越えましょう。
「それにしても、身分を隠す仮面舞踏会で挨拶なんて……大変そうですね」
「これは新人の魔術師を試すテストだ。相手を見破り挨拶をする。元は正体を当てる遊びから始まったパーティーなんだ」
「まぁ、そうだったのですか。頑張ってください、ジオお兄様」
新しい魔術師のテストも兼ねた仮面舞踏会。お兄様なら大丈夫だと思うけれど、言いたかった。
ジオお兄様は微笑んで私の額にキスをする。
それから自分の仮面をつけた。
左の額と右の頬を隠す黒い仮面。王子様からミステリアスな怪盗に変身したみたい。魅惑的で素敵。
お兄様はどんな格好も様になって素敵だわ。
ジオお兄様とお父様とお母様とともに、迎えの馬車に乗ってお城へ。
高い高い城壁の中の城は、マグデリアン学園に負けず劣らず大きい。何より違うのは、美しさだ。無数の純白の塔が藍色の夜空に向かって伸びる美しい対称性。
中に入るより、城壁に腰を下ろして眺めていたいくらいだ。
でもジオお兄様に手を引かれて連れていかれた城の中のパーティー会場は、また違う美しさで溢れていた。
麗しい貴婦人や紳士が仮面をつけて華やかに笑い合う。
シャンデリアと宙にあるキャンドルの明かりで、仮面やネックレスの宝石が瞬く。色とりどりのドレスや背広はどれも高価で、それだけの美しさがある。
思わずため息をついてしまう。
ジオお兄様はすぐにお父様と挨拶しに回った。お母様のそばに立ち、私は眺める。
グラヴィオンも見た方がいいと思うのだけれど、ドレスの下の太股に蛇みたいに小さくなって眠っていた。大抵は私の手首か太股に絡み付いて眠っている。
彼は人間の姿にもなれるのだけれど、あまり好まないから話しかけても無駄かもしれない。よく眠る子なんだ。
「ジュリア嬢」
名前を呼ばれて、振り返る。そこに立つのは、純白の仮面をつけた男の人。
澄んだ青色のベストと背広に身を包んでいて、白いズボンを履いている。金の装飾が施された高価な衣装で、彼が誰なのかわかった。
サファイアのように艶めく青色の髪の持ち主――――アレッサンドロ殿下。本物の王子様。
「私と踊っていただけませんか?」
お辞儀をして白い手袋に包まれた手を差し出す殿下から、ダンスの申し込み。
いきなり殿下に声をかけられてしまい、緊張が爆発しそうになった。でも固まっていては失礼だから、笑顔で応えなくては。
ドレスを摘まみ上げて私もお辞儀をした。
「慎んでお受けいたします、アレッサンドロ殿下」
微笑む殿下の手に自分の手を重ねれば、踊れる場所まで手を引かれる。
オレンジムーンのような明るいドレスに身を包んだお母様は、大喜びの様子で手を振って私達を見送った。
もう……お母様ったら。
「久し振りですね、ジュリア嬢」
「……覚えていてくださったのですね、殿下」
「勿論だよ。仮面をつけていてもわかるほど……貴女のことは覚えている」
十年近くも前に一度会ったきりなのに、アレッサンドロ殿下は私を覚えていた。てっきり有望な魔術師のジオお兄様の妹、また剣士のお父様の娘だから、声をかけてきたと思っていたから少し驚いてしまう。
アレッサンドロ殿下は、談話する人々の間をすり抜けて、バルコニーに出た。
バルコニーに出ても、中のオーケストラの音楽が聴こえる。
「あの時はお礼を言いそびれてしまいました。割って入ってくださり、どうもありがとうございます」
「どういたしまして」
深々とお辞儀をしてお礼を言う。軽く頭を下げると殿下は、中に目を向けた。
「ガイウスも来ているはずだが……見付けられそうにないね」
男爵家のガイウスも当然参加しているはず。でも私はガイウスには会いたくない。入学試験のことを思い出して、私は苦い顔をしてしまいそうになったけれど、殿下の前だから堪える。
マグデリアン学園にも貴族の子が何人かいて、仲良くなった。挨拶したいけれど、やっぱり仮面がついているなら簡単には見付けられないと思う。
今は踊ろうと決めて、向き合ってお辞儀したあと寄り添って踊り始めた。
賑わいから少し離れているから、静かだ。緊張も和らいで、王子様とダンスを楽しんだ。
微笑みながら、ステップをしてバルコニーを回る。
シャンデリアの微かな光と、月光に淡く照らされたバルコニーでダンス。
この世界の夜空には、月が二つ浮かぶ。一つはとても大きく、二つ目は二回りほど小さい。前の世界と月光の儚さは同じだと感じる。
二つの淡い光を浴びるダンスはとても心地いい。
流石は殿下。ダンスが上手く、気持ちいいリードをしてくれる。
白い仮面はホワイトダイアモンドをびっしり並べられていて、動く度に違う輝きを放つ。ちょっと眩しい。
「フランジオさんは魔術師になったけれど、ジュリア嬢も魔術師を目指すのですか?」
静かにアレッサンドロ殿下が口を開いて会話を始めた。
「いいえ……まだ明確には目指していません。マグデリアン学園に通いながら、決めようと思っています」
魔法を極めたいなら、魔術師を目指すべきだろうけれど、まだ一つに絞れない。
これから考えながら、学園生活を楽しむつもり。
「アレッサンドロ殿下。私のことは、ただのジュリアと呼んでください」
貴族のお嬢様ではないから、私は呼び方を変えてもらう。若い女性に対する呼び方なのかもしれないけれど、お嬢はくすぐったい。
「私のことは…………好きに呼んでください」
アレッサンドロ殿下は、呼び名を考えた様子だったけれど、諦めて微笑んだ。
「あー……」
足を止めると、殿下は口ごもる。なにか言いたいことがあるのかと、首を傾げる。
アレッサンドロ殿下は、唇をギュッとしめた。仮面のせいであまり表情がわからない。
瞳は夜空と同じ藍色に見えた。
「……学園生活を楽しんで、ジュリア」
アレッサンドロ殿下は私の前で傅くと、私の手の甲に口付けをした。
王子様のキス。ドキドキしてしまった。
「入学、おめでとう」と告げると、殿下は中へと歩き出す。見ると、ジオお兄様がこちらに近付いていた。
「こんばんは、アレッサンドロ殿下」
「こんばんは、魔術師フランジオさん」
深々とお辞儀をして二人は挨拶をするけれど、アレッサンドロ殿下はすぐにきらびやかな人込みの中に消えてしまう。
ジオお兄様と私は見送った。
「……次は、私と踊っていただけますか? 私のお姫様」
ジオお兄様は丁寧に腕を振り胸に当てると、お辞儀をして私にダンスを申し込んだ。
もう挨拶を済ませたらしい。難なく正体を言い当てたに違いない。流石はジオお兄様。
「喜んで」
私は笑顔で応えて手を重ねる。私にダンスを教えてくれたジオお兄様とは、数え切れないほど踊ってきた。
けれど、その夜は魅惑的な美しさを纏った楽しい一時だった。
20140806