転生少女ー4 惚れ薬
お兄様から励ましともにもらった卵から孵ったのは、掌サイズのドラゴンだった。
蝙蝠の翼を持つドラゴンだけれど、ブラックゴールドの鱗が艶めいて綺麗だ。掌の上で鳴くドラゴンを見て、とても感動した。
「ジオお兄様、ジオお兄様! ドラゴンです!」
「……そうだね、ジュリア」
「名前はどうしましょう、どうしましょう!」
「……ジュリアが決めるといい」
ジオお兄様はなんだか喜んでいない様子だったけれど、舞い上がっている私は気に留めず手放して喜んだ。
ドラゴンは、数日かけてグラヴィオンと名付けた。グラという愛称で呼んだら、喜んで「キュイ」と鳴いてくれた。
「……ジオ。心を映し出す化身のはずなのに、どうして雄のドラゴンなの」
「……考察の結果、恐らく私の心を先に映したことが原因でドラゴンの姿になったのかと思います」
「ああ……それなら納得だわ」
「あるいは……ジュリアの心がドラゴンのように強いのでしょう。どちらでも、ジュリアに似て優しい化身です。心配はありません」
お母様とジオお兄様が、グラヴィオンと遊ぶ私を見守りながらなにかを話しているようだった。それも気にしない。
卵を渡された日から、落ち込むことは止めて、勉強も稽古も再開した。
ほどなくしてアマリアンジュアカデミー学園に入学。
アカデミーは私服通学だ。私服と言っても、女性はドレス、男性はズボン。だからあまり個性が目立つような服装はない。
グラヴィオンと毎日学園に一緒に通って、学ぶことにも遊ぶことにも全力で取り組んだ。
学園生活はとても充実している。魔法も学ぶ毎日は楽しいし、友だちもたくさんできて、成績も優秀だと褒められた。
順調な小学生ライフだった。
五年生になると、魔法薬学の授業で惚れ薬を作り方を教わった。
五年生の教室は、ベルガモットの香りを仄かに発する木で出来た勉強道具が置かれている。マグデリアン名門学園の教室より質素でも、ずっと親しみと落ち着きを感じる教室だ。
建物も大きな教会のようで、そこで六つの学年の生徒が勉強や遊びをしている。
「ジュリア、貴女は誰に使う?」
前の席に座っていた一番の友だちのナディアが、目を輝かせて私に訊く。
ピンクの髪が可愛らしい子なのだけれど、時折もう突進するパワフルな子。
年配の女性教師、キャシー先生に惚れて欲しい相手を思い浮かべながら作るようにと言われたけれど、正直私にはそんな相手が思い浮かべられなかった。
私以外の生徒は皆、周りを気にしながら、そわそわと惚れ薬を作っている。
「使わないわ」
「なんで!? ジュリアなら最強の惚れ薬になるでしょ!」
「最強って……ナディアったら」
ナディアはことあるごとに、私のことを最強と言う。それは全ての教科で成績トップだから。
マリアンステラ名門学園の入学試験以来、手を抜いてテストを受けたことはない。おかげでお兄様に胸を張って報告できる成績。
いつも授業で作ったものはお兄様に見せて、評価してもらう。今日も帰ったら見てもらいたいから、頑張って作った。
惚れ薬は、飲んだ直後に目にした相手に恋をするもの。
人差し指サイズの小瓶の中に言われた通り煮込んだ薬を流し込み、愛の宝石であるストロベリークォーツで蓋をする。
「蓋を閉めましたね? それでは魔力を込めながら、優しくこう囁いてください。あなたが好き。さぁ、恥ずかしがらずに」
キャリー先生は目元にシワを寄せながら、微笑んで言った。恥ずかしがる生徒達がブーイングをする。
私はそれを眺めて笑ったあと先生に言われた通り、小瓶を両手に包んで魔力を込める。祈るように囁く。
「あなたが好き」
愛の宝石、ストロベリークォーツから光が溢れて、薬の中に染み込んだ。
ガタン、と隣の机が揺れたから見てみれば、隣の席の男子生徒が顔を赤くしていた。
名前はアレッス・セレスタイト。
深い藍色の髪と爽やかな笑顔の持ち主で、とても優しい男子生徒。
三年生の時に転入してきた。とても頭がよくて、私のよきライバル。
この前の採点で返されたテストを見せ合って「またまけた」ってアレッスは笑った。今のところ、私が連勝中。
気さくな彼も他の生徒と同じく、恥ずかしがっているみたいで、ぎこちなく笑いながら自分の小瓶と向き合った。
私が見ていると、ちらちらと目を向けて気にしてアレッスは苦笑を溢す。
「ごめん、ジュリア。あの。ちょっと見ないで、もらえるかな?」
「あら……ごめんなさい」
目を逸らせば、アレッスは「あなたが、好き」と小瓶に魔法をかけた。
そのあとに目を向ければ、アレッスの手の小瓶が淡く光ったあと、スッと光が消える。
自分の手の中を見てみると、まだ小瓶の中は桃色にキラキラと光っていた。アレッスの小瓶みたいに光が消えない。
「それで完成です。皆さん、できましたね? いいですか、惚れ薬は長くて一日しか持ちません。皆さんが手にしている惚れ薬の効力は一時間。使う際には必ず相手の許可を取ってくださいね。恋はどんなものか、経験できます。あくまで経験ですよ。その経験を大切にしてください。そして覚えてくださいね、恋をしたら惚れ薬で相手の心を思い通りにしないように。体験はできても、恋の一つにはカウントできませんから」
深い緑色のドレスを引きずりながら教室を歩いてキャリー先生は、生徒全員の小瓶を確認した。
一番後ろの席に座っている私の小瓶を見ると、頬に手を当てて困ったように首を傾げた。
「まぁまぁ……ジュリア。あなたの魔力は強すぎですね。これではいつまでも効力が続いてしまいそう……。保証はできないから、使わないでください」
「あ……はい。キャリー先生」
まだ光っている小瓶を見て言うから、私は頬を掻いて俯く。
前の席のナディアは振り返って、ほら見なさいと言わんばかりに胸を張った。
他の皆は自分の身体の一部のように、何の疑問もなく魔力を使う。
前世の記憶がある私は、魔力を絵具に例えて使っている。
適切な量を注ぐけれど、他の誰よりも水で薄めていない濃い絵具のように、薬で効力を強めてしまうことがある。
薄める努力をすると、魔力の量が満たないことがあるから、なかなか難しい。
お兄様も濃い絵具のような強い魔力だ。でも大抵は効果が強力でも構わない薬ばかりだから、お兄様は不自由ないと言った。
でも効力をコントロールしたい時は、本当に難しい。
放課後になっても、小瓶の中の光は消えなかった。これでは数日、または一週間は効き目が続いてしまいそう。
それを眺めながら、下校する友だちに手を振り「さようなら」と挨拶をして見送った。
「ジュリア。君は帰らないのかい?」
革鞄に教科書を詰め終えたアレッスに問われて、私は首を振る。
「今日はお兄様が迎えに来てくれるの。だから教室で待つわ」
「そうか……。じゃあ俺でよかったら、話し相手になるよ」
教室から生徒が次から次へと出ていく姿を見たアレッスは、一人残る私を気遣ってくれた。向き合うように椅子に腰を下ろす。本当に優しい人だ。
「アレッスは誰かに使った?」
自分の小瓶を見せて問う。
「いや、俺は……いいや。ジュリアは誰か……使いたい相手でもいるのかい?」
自分の鞄を見ると、アレッスは慌てたように首を振る。それから身を乗り出して、私はどうかを訊いてきた。
「んー……いないわ。でも自分で飲んでみたい。恋ってどんなものか、体験してみたいわ」
掌の中の小瓶を見ながら言うけれど、自分の惚れ薬を試す勇気はない。いつまで薬の恋煩いが続くか、わからないものは困る。
恋煩いがどんなものかも、私にはわからないけれど。
「あっ、じゃあ……俺の……。俺の……その」
口こもりながら、アレッスは自分の鞄を見た。落ち着きなく髪を掻いてそれから口を開く。
「俺が自分の惚れ薬を飲むから、感じたことを教えるよ」
鞄から小瓶を取り出すと、にっこりと笑ってアレッスは私に見せた。
「いいの? 私が飲んだ方が……」
「いや、それは……っ」
アレッスは喉になにかを詰まらせたみたいに、笑みをひきつらせながら私の手の中の惚れ薬を見る。
「俺の惚れ薬を君に飲ませたら、俺も君の惚れ薬を飲むべきだと思う。それがフェアだ。……でも、君の惚れ薬は強力すぎるから。俺が自分の惚れ薬を飲むよ」
グッと堪えた様子で言うと、アレッスはにっこりと優しく笑った。
フェアにいきたいから、自分が飲むことを選んだ。本当にアレッスは優しい。
私もアレッスには強力な惚れ薬を渡せないから、それに賛成した。
「じゃあ飲むね。飲んで感じたことを話すよ。……相手は……君で……構わないよね?」
薬を飲んで、初めて見る相手は私。教室にはもう私とアレッスだけだ。
私のために体験してくれるから、私は勿論だと頷いた。
アレッスは微笑むと、自分の惚れ薬を一気に飲んだ。
薬だからお菓子みたいに甘くない。アレッスは目をきつく瞑ってしかめっ面をする。苦そう……。
「大丈夫? アレッス」
「うん……」
苦笑を溢すアレッスは深呼吸をしたあとに、そっと瞼を開いた。
ラピスラズリのような藍色の瞳が私を映す。
「どう感じる?」
薬の効果はもう出たのかと、私は身を乗り出して確認しようとした。
アレッスはビクリと震え上がると身を引く。たちまち、整った顔がほんわかと赤く染まった。
「私に恋をしていると、感じる?」
「あ、え、えっと……うん……」
アレッスは真っ赤な顔をしたまま首を縦に振る。
「とても、ドキドキするよ。……見つめたいけれど、目を、背けちゃう……」
サッと目を逸らして、アレッスは俯く。ネクタイと一緒に胸元をギュッと握り締めた。
「それから……えーと、そうだ。君と席が隣同士になれたことが、とても嬉しく感じるよ」
私のために、アレッスは感じたことをそのまま話してくれる。
五年生になってから、隣同士になった。今更だけれど、惚れ薬の効果だ。私は「ありがとう」と笑う。
俯いたまま私をラピスラズリの瞳で見たアレッスは、目を丸めると更に顔を赤くした。
「……せっかく君と二人きりなのに、もう帰らなければならないなんて……すごく寂しいよ」
アレッスが顔を上げると、私を見つめて少し悲しげに微笑んだ。
「ジュリア。君は……俺の初恋だから……」
私は微笑み返す。
「アレッス、惚れ薬の効果は恋の一つにカウントしてはだめよ」
キャリー先生も言っていた。あくまで薬で体験することを、正式な恋とカウントしてはいけない。
「惚れ薬は、カウントしないよ……」
ちょっぴり、悲しんでいるような笑みをアレッスは浮かべてまた俯いた。惚れ薬のせいだろうか。
「触ってもいいかい?」
「ええ、どうぞ」
アレッスに頼まれたから手を差し出せば、私より大きなアレッスの右手に握られた。ほんの少し、震えている。
「……照れてしまうけれど、嬉しい」
「触れているだけなのに?」
「ああ……触れられるだけでも嬉しい」
私の手の甲を親指で撫でながら、アレッスは嬉しそうな笑みを溢した。それからじっと私を見つめる。
黒い睫毛は長い。まだ子供らしい可愛さが残っているけれど、ラピスラズリの瞳に熱さがある。
「見つめるのも、惚れ薬の効果の一つ?」
「うん。君があまりにも美しいから……」
「どうもありがとう、アレッス」
褒められるのは嬉しい。微笑んで礼を言ってから、症状を整理してみた。
胸元を押さえてしまうくらいドキドキして、見つめていたいけれど照れて目を逸らす。触れるだけでも、喜びを感じる。それが恋の症状。
「……っ」
アレッスはなにか言いたげに口を開いたけれど、またグッと堪えたように唇をきつく結んだ。
「ジュリア、すまない。俺はもう帰るよ。最後に一つだけいいかな?」
「なに?」
「キスしてもいいかい? ……手に」
別に謝らなくてもよかったのに、少し焦った様子で言うから承諾する。
するとアレッスは椅子から立ち上がると、床に片膝をついた。そして私の手の甲にキスをする。そっと、アレッスの息が吹きかかった。
「……さようなら、ジュリア」
照れたように微笑んで、アレッスは立ち上がると鞄を掴み、早足で教室を出ようとした。
でも扉を開いたところで私を振り返る。
「また明日。……わっ!?」
丁度お兄様が来て、手を振って挨拶を終えて教室を出ようとしたアレッスはぶつかってしまう。
お兄様の顔を見るなり、アレッスは肩を震え上がらせた。
「申し訳ありません、フランジオさん」
「いえ……こちらこそ」
緊張でもしていたのか、アレッスは深々とお辞儀をして謝罪する。ジオお兄様まで深々とお辞儀をしたものだから驚いた。
前世の日本と違い、日常であまりお辞儀はしない。貴族などの目上の方にしたり、ダンスの前や、決闘の前くらいだ。
アレッスはそそくさと下校した。そんなアレッスを、ジオお兄様は静かに見送る。
「彼の名前は……なんだったかな?」
「アレッス・セレスタイトですわ、ジオお兄様」
「……アレッス……」
鞄と小瓶を手にして、私は首を傾げるジオお兄様の元に歩み寄る。
「それは惚れ薬かい?」
ジオお兄様は小瓶を目にすると眉間にシワを寄せた。一目で何の薬か言い当てるなんて、流石はお兄様。
「はい。キャリー先生には強力すぎるから使わないように、と言われてしまいました。お兄様も作ったことがありますか?」
「……クス、私は惚れ薬のせいで散々な経験をさせられたよ」
ジオお兄様も惚れ薬を作った経験がある。散々だったと苦笑を浮かべるから、聞いてみたかったけれど、ジオお兄様は話してはくれず私の手から小瓶を取った。
「これは私が預かろう。いいかい?」
「え? ……はい」
「私の部屋の棚に置く。さぁ、帰ろう」
ジオお兄様はローブのポケットにしまうと、私に手を差し出す。
お兄様が預かる必要性がわからない。でも別に構わないから、お兄様と手を繋いだ。
一緒に家まで歩いて帰りながら、惚れ薬の散々な経験を訊いてみたけれど、はぐらかされて聞けなかった。
20140805