私のお姫様~フランジオ視点~
八歳になって、兄になるのだと告げられた。
「妹はお姫様。兄とは騎士、お姫様を守る存在だ」
兄になること。妹ができること。
困惑していた私に、お父様はそう告げた。
私の良き手本のお父様は、間違ったことは言わないと信じている。
でも私はそれだけではわからなかった。
新しい家族が増えるということは、初めてだ。
アマリアンジュアカデミー学園の友人は、皆揃ってそれはよくないことだと言った。
新しい家族である妹や弟に両親の愛が注がれるのを目にすると、疎外感を抱き嫉妬をするようだ。
新しい家族が割って入った生活を想像すると、私も嫌な気分になった。
産まれるのが楽しみだとそればかりを話す両親を横目に、私はずっと不安な気持ちでいた。
出産後、子どもは一週間妖精の祝福を受けるために新生児室に置かれる。
私は理由をつけて避けていたが、痺れを切らしたお父様に連れてこられた。
妖精の大きな宿り木が真ん中にある部屋に、いくつもの揺りかごがあり、面会に来た家族が他にもたくさんいる。
その五倍の数の蝶が飛び回っていた。それが妖精だ。
お父様に背中を押され、新しい家族と会うように急かされた。
お父様が指差す揺りかごには、黒い羽の蝶が集まっている。不気味にも思える光景。歩み寄って警戒しながら覗いてみた。
妹と呼ぶべき存在が揺りかごにいる。とても小さな赤ん坊。まだ目が見えないはずなのに、赤ん坊は目を開いていた。
妖精は人間の少女に似た容姿で、背に蝶の羽が生えている。幸せな人生を送れるように祝福の子守唄を聴かせる、赤ん坊が好きな妖精。
純真な魂ほど、多く集うらしい。
私と目を合わせると、もっとちゃんと見てと言わんばかりに、揺りかごの赤ん坊のそばに立って頬を撫でた。赤ん坊の頭より小さな妖精から、妹に目を向ける。
すると、目が合った気がした。ぽかんとしていた妹は微笑んだ。
私を見つめて、微笑でいる。
見えていないはずなのに……。
妖精達は舞い上がると、口を押さえて足をばたつかせながら笑う。
戸惑う私を笑っているのか、それとも妹と笑いながら話しているのか、私にはわからなかった。
赤ん坊の小さな小さな手が伸ばされる。妖精に急かされ、その手に指で触れた。私の人差し指さえも掴めない小さな手は柔らかい。
――初めて、愛しいという感情を抱いた。
お父様の言ったことが、今なら理解できる。
お姫様のようなこの妹を、兄である私が守るべきなのだ。
とても小さな女の子は、可愛らしい微笑みを私に向けてくれる。無数の蝶の妖精達に囲まれた彼女を、見つめて誓った。
小さな手を握りながら、ずっと見つめる。ずっと見つめていたかったのだ。
一時間してお父様に笑われながら、妹と引き離された。
後に調べてみれば、黒い羽の妖精が好むのは、無限の可能性を秘める赤ん坊。
その日からお父様に頼み込んで、剣術を教えてもらい、剣で守る術を学んだ。
妹を守るためだと言えば、お父様は厳しく私に叩き込んでくれた。
アカデミーで学べた教養は全て頭に入れるようにし、魔法も使いこなせるように努力していく。
妹に誇れる兄であろうとした。
両親と私で話し合い、妹の名前はジュリアに決まった。
ジュリア。私のお姫様。
妹のために努力していく私を、アカデミーの友人達は理解できないとバカにした。私の方も彼らのことが理解できない。
何故、妹を大切に思えないのだろうか。ジュリアは、本当に可愛らしい。
私とお揃いの髪色。そしてお揃いの父譲りの青い瞳。
ふっくらした頬はいつも赤みをさし、小さな唇を動かす。よく泣いて、よく笑う子。
そんなジュリアの成長をずっと見守っていた。
手足で床を這う姿も、小さな足で立つ姿も、歩き出す姿も、全て可愛らしい姿を目に焼き付けた。
いつしか私は秀才と呼ばれるようになり、マグデリアン学園へ入学。
四歳になって物心がついたジュリアは、たくさんの質問をして知りたがった。勉強した甲斐があった。
初めて口にした言葉が「マホー」だけあって、魔法に興味津々で覚えたがった。
普通アカデミーに入学してからゆっくり魔法を学ぶものだから、簡単な魔法から教えた。
ジュリアは難なく使ったから驚いた。中には魔力を一生使えない生徒もいる。でもジュリアは、初めて両足で歩いた時のように、おぼつかなくとも笑顔でこなした。
きっとジュリアは天才なのだ。私も負けていられないと思った。
初歩的な魔法をジュリアに教えながら、私も授業以外でも魔法で学ぶために図書室へ通い詰めた。
ジュリアは剣術まで学びたいと言い出した。
私がお父様の背中を見てきたように、ジュリアも私の背中を見ているのだとお父様は笑う。
ますます、誇れる兄にならなくてはならないと私は気を引き締めた。
ジュリアは、私にとって誇らしい妹だ。
マリアンステラ名門学園の予備試験で、前代未聞の百点満点をとって一目を置かれた。
私も両親も喜んだ。
ジュリアも大喜びして、入学試験も頑張ると張り切った。
けれども。入学試験にジュリアは受からなかった。
ガイウスという名の男爵家の一人息子がジュリアに向かって怒鳴り、そこに国王様のご子息が割って入ったことで一時大騒ぎになった。
今まで怒鳴られたことなどなかったジュリアは、小さな身体を震わせて怯えていた。
それから数日、ジュリアは落ち込んでしまい、部屋にこもりきりになってしまった。
その間、マリアンステラの学園長と教師が家を訪ねてきて、ジュリアにもう一度入学試験をやってほしいと頼んできた。
予備試験で百点満点をとったジュリアが、入学試験で不合格になるはずがないと言う。
わかっている。ジュリアはわざと書かなかったと私達に告白して、マリアンステラ学園には通いたくないと言ったのだ。
だから対応した私もお父様も、断っておいた。
男爵家のガイウスを何度か家の近くで見掛けたが、ジュリアに謝罪をしていない。
彼が謝れば落ち込んだジュリアが立ち直ってくれるだろう。だが、まだ未熟な子どもであるガイウスが、面と向かって謝れるとは到底思えなかった。逆にジュリアを傷付けるかもしれない。だから見掛けても、私は声をかけなかった。
ある日、授業で化身の卵の作り方を教わった。少し調達が難しい材料で卵の殻を作る。ここまでならば、ちゃんと授業を受けている生徒は全員できるだろう。
難しいのはこの次だ。
卵の中に魔力を注ぐ。少なすぎては陥没して卵は壊れる。多すぎては卵は破裂をする。
殻の中を丁度よく満たす。その繊細な器用さがなければ作れない。
白い殻は鏡のように私の顔を映した。持つ者の心を映し出す化身。多くはペットとして作られる。
「流石、フランジオ君ですね。ほぼ完成です。仕上げは君の心だけですね」
褒めてくれる教師の話はあまり聞き取れない。教室にいる他の生徒達が、卵を爆発させて悲鳴を上げているせいだ。
別に私はペットなどほしくない。今は落ち込んだジュリアが心配でならないから、ペットを育てる気は毛頭ない。
私はジュリアさえいれば、それでいい。
失敗した生徒に譲ろうと考えていた時、思い付いた。
ジュリアのペットにどうだろう。
ジュリアが学校にいる間、私はそばにいてあげられない。化身ペットならばともにいることは許される。
私がいない時、ジュリアを守る化身となってほしい。
ジュリアを守る騎士となってほしい。
家に帰ってすぐに、私はジュリアの部屋に向かった。
「私のお姫様」
窓辺に座り込んだジュリアのそばに、片膝をついて声をかける。
笑顔のない彼女を見ると胸が痛むが、微笑んで手を取り卵を持たせた。
きょとん、としてジュリアはその卵を見る。
「授業で化身の卵を作ったんだ。大半の生徒は失敗してしまったけれど、私はほぼ完成だと先生に褒められたよ」
ジュリアは私を見ると、少し眉間にシワを寄せた。
教師の言った褒め言葉が、お気に示さなかったらしい。
「完成させるのはね、ジュリア。君だよ」
両手でジュリアの手と卵を包んで告げた。
初めて会ってから大きくなったはずなのに、まだ小さく感じる可愛らしい掌だ。
「私?」
「これは持つ人間の心を糧にして、殻を破って生まれてくる。つまりは君の心の姿して生まれるということなんだ。君の一部が姿を現して、君の良き理解者となり、良き友人にもなってくれるだろう」
心を糧にして生まれるから、化身の卵。
魔法が大好きなジュリアの青い瞳に、興味の光が宿った。
ジュリアはいつも目を輝かせて、魔法や剣術を学んだ。幼いなりにも毎日を大切にして生きたいと、私よりも勤勉に取り組んでいた。
なのに、今は落ち込んで窓辺に座り込んでしまっている。
ジュリアには、無限の可能性があるはずだ。もったいない。
座り込んで時間を無駄にしていては、彼女の目指しているものと違う。
「……ジュリア。覚えているかい? 大切なものを大切にできる人間になりたいと言っていただろう? 同じ日は二度と来ないのに、ここ数日君はこの窓辺に座り込んでしまっている……日々を大切に出来ていると言えるかい? ジュリア」
「! それは……」
言うとジュリアは泣いてしまいそうな顔で俯いた。
すぐに彼女の顎に左手を添えて、顔を上げさせる。
「ジュリア。私は片時も離れずにそばにいることはできない。でもこの化身は君のそばにいて、守ってくれるだろう。そんな化身を、君は大切にできるはずだ」
大切なものの一つとして、この卵を受け取ってほしい。ジュリアの心を映した化身も、片時も離れずにジュリアを大切にしてくれる。
「……ごめんなさい、お兄様。私は……あの学園には通いたくなくって……」
「わかっている。謝るのは私達の方だ。君の意思も訊ねずに、期待を押し付けてしまった。あの学園の試験で百点満点を取っただけで十分だ、君の実力はとても誇らしい。ジュリアは通いたい学園を選ぶといい。この子と一緒に通って大切な日々を過ごしてくれるなら、それでいいんだ」
今にも涙を溢してしまいそうなジュリアに優しく声をかけてくれば、何度も頷いた。
「お兄様と、同じ学園に通って、この子と大切な日々を過ごしたいです……」
涙ながらにジュリアはしっかり意思を告げた。
名門学園に通う資格があっても、私と同じ学園に通うことを選んだ。
そっと頭を撫でれば、ジュリアは卵を握り締めた。
その両手に口付けを一つ、落とす。
無限の可能性を秘めたジュリアから生まれる化身が、彼女を守る騎士となるように願う。
私も君を守る騎士だ。これから先も、ずっと。
君が落ち込んで座り込んでしまった時は手を差し出そう。
君を愛する兄として、騎士として、君を守り続ける。これから先、ずっと。
私の大切なお姫様。
20140804