深い森-3
この世界で、黒髪は珍しい。魔力のせいか、不思議な髪色だけれど、ほとんどが宝石のように綺麗な色ばかり。魔力が高い者は、大半がグラデーションの髪色になるらしい。
目の前のマリアンステラ学園の上級生であろう彼は、まるで黒ずんだみたいで、ちょっと地味でだらしない髪に見える。
「えっと……?」
どうやって入ったのか。
その質問の意味がわからず、首を傾げる。普通に扉を開けて入ってきた。
「……愚問か」
ふっ、と彼は静かに笑う。
もしかして、誰も入らないように扉に魔法でもかけていたのでしょうか。妙な感覚はそれのせい。
私が入ってこれたのは、その魔法を破ったからだ。魔力が高すぎると防壁などの魔法は、どうも無意識にすり抜けてしまうらしい。
他の図書室は賑わってしまっていたのだから、ここを独占したくて魔法をかけていたのかもしれない。そうしたくなる気持ちもわかる。
「あ、すみません。お邪魔ですよね」
「いや、いいよ。君一人なら……いや、君達だけなら、この静寂は壊れない。それに、俺一人独占する権利はないから」
遠慮しようとしたけれど、彼はここにいてもいいと言ってくれた。座るよう掌で促されるから、お言葉に甘えて椅子に座る。
私の手首を見たから、グラヴィオンに気付いたみたい。すごい。袖で見えなかったはずなのに……。
彼は頬杖をついて、読書を続けた。向かい側の二席離れた私も勉強をすることにする。
授業でとったノートを別のノートに写して予習をすると、確認しながら覚えられるので、いつもやる勉強方法。完成したノートは教科書よりも試験に役立つものになるから、丁寧にわかりやすく書く。
パン。
本を閉じて、彼が立ち上がる。
「気を悪くしないでくれ。俺は読書を一人で楽しみたいんだ」
他の場所で読書をするつもりらしい。それなら先にいたのは彼の方だし、私が退室しようと立ち上がったけれど、白いローブを靡かせて扉に向かう彼が振り返って笑いかけてきた。
「だが、次会った時は、よかったら話し相手になってくれ」
その笑みは、地味な印象を抱く彼にしては、あまりにも綺麗だと思った。そのまま扉を開いて、彼は行ってしまう。
「ぜひ……」
いなくなってから、返事をする。不思議な印象を抱く人だと思いながらも、私は昼休みが終わるまで一人で勉強をした。
午後の授業が終わり、ラピア先輩とすぐに話したくて、アレッスとナディアと一緒に部活に向かおうとしたのだけれど。
「あたしの王子様がこの階で授業してるから!!」
まだ例のエリート生と接触できていないナディアは、教室を飛び出してしまう。部活を忘れて、追いかけないといいけど……。
「アレッス」
「ごめん、俺は用事あるから。サリー部長には、もう話してあるよ。じゃあ!」
「あっ」
アレッスまで教室を飛び出してしまう。昨日も突然早退してしまい、今日はお休み。……アレッスらしくない。
「……リノと会えるかしら」
一人でとぼとぼと部室に向かう。いつもならリノが私を見付けてくれるけれど、今日はすぐには会えなかった。部室の場所は、わかっているから、多分、大丈夫。
西の階段から上がるために、まず近くの南の螺旋階段を下りた。そこは狭いけれど、そこは壁がガラス張りで、外の光に満ちた暖かい場所。白の階段と言えば、この南の螺旋階段のこと。
――カツン。
私以外のブーツの足音が、耳に届く。南の螺旋階段を利用する生徒が、他にいなかったから、つい顔を上げた。
上の階に、ふわりと紫の髪が靡くのが見えた。
次の瞬間、強風に背中を押される。右手を置いていたのに、手摺を掴み損ねた。
「きゃ!」
途中に踊り場のない螺旋階段を、転げ落ちるとばかり思ったけれど。
グラヴィオンが人の姿になって、ぎゅっと受け止めてくれた。
白い階段の眩しさを浴びるグラヴィオンは、金色に輝いている。
「ありがとう……グラ」
ほっとして、ちゃんと自分の足で立つ。上を見上げると、人影は見えないし、足音が聞こえない。
でも見えた紫の髪は……。
「嫌がらせ……よね」
「……仕返しするか?」
まだ私を支えてくれているグラヴィオンが、真顔で言うからぎょっとしてしまう。
「そんなことしないわ……」
あのジャスミンという名の生徒に、嫌がらせを受けている。でも仕返しなんて、考えが浮かぶわけがない。
「ならば、守る」
グラヴィオンは、私が仕返しという手段をとらない理解していたから、今まで黙っていた。これからも、私を守ってくれると告げてくれる。
「……ありがとう。まだ眠ってていいのよ」
グラヴィオンの頬に手を重ねて、確認したけれど、ちょっと顔色は良くなっていても眠たそう。でもグラヴィオンは何も言わず、私に寄り添って階段を一緒に歩いた。
下の階につき、西の階段に向かおうと廊下を歩くと、前方にガイウス。
思わずびくりと震えて、グラヴィオンの腕にしがみつく。
ピタリと歩みを止めたガイウスは、暫く目を見開いていた。やがて、ズカズカと乱暴な足取りでガイウスが目の前まで来る。
「だ、誰だ!?」
「えっ……あっ」
ガイウスが真っ直ぐに睨むのは、私の隣にいるグラヴィオンだった。ギッ、と深くシワを寄せたガイウスの眼差しは、相変わらず鋭い。
でも、グラヴィオンは動じない。いつもの無表情で、ガイウスを見据えている。
グラヴィオンもガイウスも鋭い目付きだけれど、私はグラヴィオンの方が好き。微笑まなくても、グラヴィオンは優しいもの。
私の化身だと言う前に、グラヴィオンは何を思ったのか、こう答えた。
「恋人だ」
私は目を丸め、首を傾げてしまう。
ガイウスの方は、びくりと震え上がった。
「こ、こい、恋人!?」
「そうだ」
激しく戸惑うガイウスに、グラヴィオンは顔色一つ変えずにまた言う。
「ちが、んむっ」
私から嘘だと言おうとしたのに、グラヴィオンが私の口を塞いだ。
ガイウスはわなわなと震えた末に、ダッと駆け出して去ってしまう。
姿が見えなくなった頃、グラヴィオンの手が口から離れた。
「もう……なんで、嘘をつくの?」
「決闘は申し込まれなかっただろ」
「あ、本当だ。ありがとう、グラ」
ガイウスにまた決闘を申し込まれないために、グラヴィオンが阻止してくれたんだ。
「でも、何故恋人なんて……? ああ、恋人といるなら邪魔かと思って引いてくれたのかしら」
「……」
首を傾げたけど、なんとなくガイウスが離れてくれた理由を理解した。
グラヴィオンは口を閉じると、私の肩に顎を乗せて抱きついたまま歩き出す。
ガイウスがいるならリノが近くにいると思ったけれど、会わないまま部室に行き着いた。
「ラピア先輩」
「あら……グラヴィオンとジュリアだけ?」
フードを脱ぐラピア先輩も、丁度来たところだった。
掠れてしまいそうな静かな声で、ラピア先輩は私達に微笑んだ。
まだ体調が悪そう……。
「……大丈夫ですか? ラピア先輩。この頃、体調が悪いですよね」
「ええ……」
そっとラピア先輩の背中に手を当てて、ソファーまで付き添う。
「ごめんなさいね、心配かけてしまって」
「そんな……謝らなくても。なにか、悩みがあるなら、聞きますよ。私でよければ」
ラピア先輩と並んで座ってから、私は最近のストレスの原因を訊いてみた。
「……実はね。マリアンステラには、腹違いの姉がいるの」
「!」
「近くにいると思うだけでストレスを感じてしまって……今のところは会わないで済んでいるのだけれど」
貴族の妾の子であるラピア先輩のストレスの原因。
父親と本妻の実の娘は、マリアンステラ生。今この学園にいる。
だから、マリアンステラ生が来てから、ラピア先輩は体調が悪いんだ。ストレスの原因から離れなくてはいけないのに、近くにいる。
そう言えば、マリアンステラ生が来てから、廊下を歩く時は、ラピア先輩はフードを深く被っていた。会わないように、神経を尖らせているのでしょう。それでは血圧が下がる一方だ。
「……あの、よかったら、夕食は私の家でとりませんか?」
ストレスの軽減のためにも、夕食をに誘ってみる。
「お兄様は帰ってくるかはわからないですが、父も母もきっと喜びます。どうですか?」
「へっ?」
ラピア先輩の手をぎゅっと握って言うと、目を丸めた。
「あ、手紙を送って、お兄様に伝えましょう」
「えっ? そ、そんっ、そんなことしなくていいわ。私はっ、夕食には行けないわ」
頬を真っ赤にしたラピア先輩は、頭を振って断る。
「え、嫌ですか?」
「嫌、とかじゃないのよ。こ、こんな、具合の悪い顔でご家族に会うと心配してしまうし、だから、ねっ? やめておきましょう」
また頭を振りながら、断られた。
「そう、ですか?」
「うんっ。また今度……お願いするわ」
そこで扉が開かれ、リノが飛び込んだ。真っ直ぐに私に駆けてきて抱きついた。
「わぁっ」
「ジュリア、みーつけた! あれ? ラピア先輩、顔真っ赤だね、熱?」
「え? ううん、だ、大丈夫よ」
そう言いながらも、ラピア先輩は真っ赤な顔を両手で押さえる。
「きょーは、なにするー!? 諸君!」
すると、ダノン先輩が慌てた様子で飛び込んできた。あとから、ディタ先輩とサリー先輩が来たので、部活が始まった。
20150322