マグデリアン学園-6 魔法研究部
液体はまるでスライムのように、空中に留まっている。オレンジと赤の液体が綺麗に混ざり合っているけれど、危険な薬。と言うより、それはマグマ。小瓶の中では大人しいけれど、空気に触れれば燃え上がる。人に触れれば、勿論燃やす。
それはリノとアレッスには降りかからなかった。
割れてしまった硝子さえも宙に留まっている。
「なにやってる!? アレッス!」
アレッスを叱りつけるのは、マグマ色の髪をグシャグシャに乱した男性教師が立っている。魔法の手袋をつけた右手で指を差して、落下を防いだ。
顧問のレッド先生。
時間を巻き戻すように瓶を修復して戻した。
「す、すみません……レッド先生」
アレッスは頭上を気にしながら、リノの手を引いてその場から離れた。
「誰だそいつ」
レッド先生がリノを見て更に顔をしかめる。
「なんでマリアンステラの生徒がいるんだよ?」
「あの、私の友人です。ミハエルリノです。見学に誘ったのです」
「ジュリアの友だち? ふぅーん……めんどくせーな。問題を起こさなきゃいいけどな。他所様の生徒だし。危ない薬品は作るなよ?」
リノは私の背中に隠れてしまったから、代わりに話す。
口癖は「めんどくさい」だけど、そう言いつつも情熱を持っている教師だ。長身で顔も整っているイケメンの若い教師だから、とても人気がある。
「危ない薬品なんて作りませんよー、レッド先生」
サリー先輩は猫撫で声を出して笑いかけるから、レッド先生はじとりと疑いの目を向ける。
「アレッス! お前はなにやってんだ!? 今の被ってたら骨まで溶かされてたぞ!? 何年ここの部員をやってやがる! 危険な薬があるって初めて知ったのか!?」
「す、すみません……本当にすみません」
ギロリとすぐにレッド先生はアレッスをまた叱りつけた。アレッスは反省して顔を俯かせる。
「はぁ……」とレッド先生は溜め息を溢す。
「お前らしくもない。どうしたんだ? なんかあったのか? ん?」
アレッスの頭をポンポンと掌で叩きながら、原因を問う。
こうして訊いてくれるのは、生徒想いの表れだと私は思う。
「俺の不注意です、申し訳ありません。……本当にすまない、ミハエルリノ」
アレッスはレッド先生に頭を下げると、リノにも謝る。
私がリノを振り返れば、大欠伸をしていた。眠たそうに私の腕に凭れる。
「大丈夫? リノ」
「んー……眠いだけ。お昼寝しなかったから……」
眠気たっぷりの声を出すリノがフラフラしているから、ソファーへ手を引いて座らせる。
「ボク、お昼寝しないと……だめなんだぁ……」
「どうして眠らなかったの?」
「ジュリアを一人に出来なかったんだもん……」
「あら……」
普段はお昼に仮眠を取る習慣だったのに、スパイダー先生が近付かずけないように眠らずに私とお昼休みを過ごした。気を遣わせてしまったことに申し訳なく思う。
「クッキー作るだけだから、座って見てて」
ラピア先輩が優しく微笑むと立ち上がって、パンパンと手を叩いて鳴らす。床からテーブルが浮き出てきて現れた。私も準備を手伝おうと、一言伝えてリノから離れる。
「効力は一分の変身薬。この中に生き物の百種類分ある。選べ」
ディタ先輩は棚から大きな瓶を取り出すと、リノに投げ渡した。人の頭より大きな瓶には、変身薬がビー玉のように小さな粒になって入っている。色とりどりのそれを、リノは興味津々に覗いていた。
そこにアレッスが近付いて話し掛ける。内容は聞こえなかったけれど、リノは変身薬を十個近く選んだ。
「はい、クッキー生地の出来上がり。さぁ、レディー達の愛情を込めてね」
ダノン先輩が生地の準備を終えて、ボールごと私達の前にウィンクして置いた。
「先輩に向ける愛情は持ち合わせておりませーん」
「同じく、持ち合わせておりません」
ナディアとラピア先輩がにこりと微笑んで毒を吐くものだから、ダノン先輩はまた胸を押さえて部屋の隅で踞る。
ディタ先輩もサリー先輩も無視だ。
私は慰めようとしたのだけれど、ディタ先輩に止められた。腕を回されて抱き寄せられる。
「ほっとけ。このやり取りが好きなんだよ。傷付いちゃいない」
そっと私にだけ聴こえるように囁くと、ディタ先輩はラピア先輩が細かく分けた生地を私に渡す。
……確かに、ダノン先輩はいじられることを気に入っているから、めげずに言い続けるのよね。
「愛情を込めてくれ」
ディタ先輩はダノン先輩の言葉を借りてニッと笑ってきた。私は微笑み返して「はい」と返事をする。
変身薬の粒は色付いているけれど、どの色の粒でなにに変身するかは把握していない。なにに変身するかは食べてみなくてはわからないから、ゲームのように楽しめるお菓子用。
砕くように生地に混ぜこんだ。それから丸い型をとり、トレイの上に置いた。
女子四人でその作業を済ませたあと、壁に凭れたレッド先生に目を向ける。
レッド先生は魔法の手袋を外すと、パチンと指を鳴らした。その手を下げて上げた途端、トレイの上で炎が燃え上がる。すぐに火は消えた。
部屋はクッキーの匂いに満たされる。いい香りに笑みが溢れた。
私がソファーに座るリノに目を向けると、リノはじっと手袋をはめ直すレッド先生を見ている。
「リノ。こっちにおいで」
声をかければすぐに立ち上がって、リノは私の隣に立った。
ディタ先輩がトレイを振り回してクッキーを混ぜこんだ。
「さぁー、食べてみてのお楽しみ! 召し上がれ!」
サリー先輩が笑顔でリノにそのトレイを差し出した。
「いただきます」とリノは、クッキーを一つ手に取る。そのあとに私達も一つ手に取って、同時に一口かじった。
「ん! 美味しい!」
意外だったようで、リノは喜んで残りも頬張る。
薬は苦味が強いものばかりだから、クッキーも不味いと予想していたに違いない。
「お菓子だもの。改良したの。苦味は消して、クッキーで甘く味付け」
「へー、すごぉい!」
リノが喜んだように、きっとリノの弟と妹も喜ぶと思う。
ニコニコしているリノのペリドットの髪から、ピコンと耳が飛び出してきた。三角の形、猫の耳だ。リノは猫の変身薬で、くるりと長い尻尾も出した。
「うわぁ!」とリノは面白がってその場でクルクルと回り出す。白いローブがふわりと舞い上がった。
「幼い奴だな……」
そう漏らすのは、ディタ先輩。ユニコーンの角が額から生えていて、長い毛並みの尻尾を振る。
リノはよろけてソファーに腰を落とした。
「オレは狼だったよ。狼らしく、食べちゃいたいくらい可愛い女の子を口説き回ろうかな?」
狼の耳を生やしたダノン先輩はローズグレーの髪を掻き上げて、不敵な微笑を隣のラピア先輩に向けて髪を撫でる。
鋭利な角と耳を生やしたラピア先輩は、鋭利な赤い爪が伸びた指先を唇に当てると息を吹き掛けた。ボォ、とその息は炎に変わる。
だからダノン先輩は慌てて手を引っ込めた。
「狼は節操があり一途な種族です。節操のないダノン先輩と一緒にしないでください。狼が可哀想です」
赤いドラゴンのラピア先輩は、にこりと微笑み毒を吐く。また部屋の隅にいってしまうダノン先輩の尻尾はシュンと垂れることなく、ブンブンと喜んだように揺れた。
……物凄く、喜んでいる様子。心配はいらなかったみたい。
「あ、部長はおさるさんですね。可愛らしいです」
グリフィンの羽を生やしたアレッスが爽やかに笑いかけたけれど、可愛いはタブー。
大きな丸い耳のサリー先輩は長い尻尾でパシン! とアレッスの背中を叩いた。
私とナディアは、同じものを引いてエルフの尖った耳になっている。吹き出して、互いの耳に触れた。
「リノ、もう一回食べて……あら?」
もう一つ食べるように薦めようとしたけれど、ソファーに目を向けるとリノは肘掛けに頭を乗せて目を閉じている。
眠ってしまっていた。どうやらお昼に仮眠をとらなかった反動がきてしまったみたい。
「本当に幼い奴だな……」
「子どもみたい……」
ディタ先輩とダノン先輩が呆れたように漏らす。
そんな二人から角や耳も消えた。一分経ったみたい。
寝ているリノの猫耳も消えていた。
「可愛い」
クスクスと小さく笑いながら、ラピア先輩がリノに毛布をかけてあげてくれる。
そっとしておいてあげることにして、リノが持って帰る分を袋に詰めた。
残りは皆で食べることにして、私は皆の分のお茶を淹れる。
「そのピアス……もしかして、この前の試験のお祝いにジオ先輩に買ってもらったものか?」
ディタ先輩にカップを渡すと、私の耳に注目しながら椅子を引いてくれた。
「はい。お揃いで買ってもらって、つけているんです」
「……へー。お揃いか」
今日初めて気付いてくれたから、嬉しくて笑みを溢す。ディタ先輩の隣の椅子に座って、私も林檎の紅茶を飲む。
すると、ディタ先輩が手を伸ばして指先で私の顎をなぞって、ぶら下がったピアスに触れた。
「似合ってる」
優しげに目を細めて見つめながら笑みを浮かべて、言ってくれる。
私がお礼を言う前に、ディタ先輩は話題を変えた。
「しかし、エリート生徒と合同生活しなきゃならないって聞いた時は、トラブルの予感しなかったのに。ジュリアが初日から友だちを連れてくるとはな……」
視線は気持ち良さそうに寝ているリノに向けられる。
「白がうじゃうじゃしてて居心地悪いよねー。僕が卒業するまでいるんだっけ? あーやだやだ」
頬杖をついたダノン先輩が不満を漏らす。
マリアンステラの生徒を、歓迎していない生徒は多い。
「廊下ですれ違うだけなのですから、そう邪険にしないでください。もし私達が逆の立場なら、感謝するでしょう。母校を壊されてしまった彼らの気持ちも考えてあげてください」
ラピア先輩が紅茶を啜って静かに言った。
私はちらりとリノに目を向けてから、俯く。
「エリートと知り合う機会なんてそうはないですよ!」
「ナディアちゃん……本気で玉の輿狙っているんだね」
エリート生徒大歓迎! と言った様子のナディアに、ダノン先輩とサリー先輩は苦笑を溢した。
「そう言えば、アレッス」
「あー、俺、用事があるので早退しますね! また明日!」
ディタ先輩がリノと何故知り合いなのかをアレッスに問おうとしたけれど、鞄を掴むなりアレッスは部室を逃げるように出ていってしまう。
「追及しないであげてください。……アカデミーに転校してきた時も、すごく嫌そうにはぐらかしてました。前の学園は誰にも話しませんでした」
私はアレッスを庇って、先輩方に伝えた。アレッスはきっとマリアンステラ学園から転校してきた。
それを私達にも隠してきたと言うことは、聞かれたくない事情があるのでしょう。
なら仕方ないといった様子で、アレッスの話はやめてくれた。
「……犯人は、捕まったのでしょうか?」
「マリアンステラ学園を壊した犯人か? そのうち捕まるさ」
重く感じる口でその話題を出せば、ディタ先輩が目を輝かせる。
「なんて言っても、ユリスディ部隊が捜査してるんだからな。どんな相手だろうとも、叩きのめして捕まえるさ」
「ユリスディ部隊……ああ、ローズの部隊か」
自慢げに言うディタ先輩の後ろに立つレッド先生が、紅茶のお代わりを求めたから私が注いだ。
ローズはディタ先輩が尊敬する卒業生だ。
ローズマリン先輩。ジオお兄様の同級生であり、元魔法研究部でもある。
街の治安を守る兵隊。中でもユリスディ部隊は魔術と剣術に長けた者が多く攻撃力が高い。
学園一つを破壊した犯人相手を任されたのは当然とも言える。
ジオお兄様も、ディタ先輩も、彼女に攻撃力の高い魔術を教わったと聞いていた。
だからディタ先輩は現在この学園で一番攻撃魔術に優れている生徒。
「アイツは鼻が利く。時間の問題だな」
レッド先生の教え子であるようで、レッド先生は紅茶の匂いを嗅いでから飲んだ。
「あ……そうだわ。忘れてた。今朝、ジュリアに決闘を申し込んだマリアンステラの生徒がいたわよね?」
猫の変身クッキーを食べたラピア先輩が、耳をピクンと揺らして私に訊いた。
次の瞬間、サリー先輩以外が目付きを変えて私に注目する。ディタ先輩とレッド先生が睨むような目付きをするので怖くて震えた。
「何故それを早く言わない? どこのどいつだ!?」
ディタ先輩は立ち上がって、問い詰める。
「ジオ先輩の妹だって知ってて決闘を申し込んだの!?」
サリー先輩は驚愕した。
「誰の妹か、ちゃんと教えなきゃ!」
ダノン先輩がまた青ざめる。
部室が騒然としてもリノはピクリとも反応をしなかった。
「あの、ちゃんと断りましたので。そんなに心配なさらないでください」
慌ててしまう先輩方に問題はないと話した。
「マリアンステラ学園の入学試験で少し揉めた相手なのですが、私をライバル視しているそうで……」
「ジュリア。ジオ先輩に話せ」
ディタ先輩は鋭く言う。
「ジオ先輩にしっかり伝えておくんだ。解決したと言っても、お前に敵がいるということは、ジオ先輩は知るべきだ」
敵だなんて大袈裟だと思った。でもディタ先輩があまりにも真剣に言うものだから、私は「はい」と頷いた。
20140815




