一日目:極限
人間、極限状態になると幻覚とかが見えるっていうけど、そんなことはないみたい。
いや、まだぼくがそこまで極限状態になっていないっていうのも、理由かもしれないけど。
最低でもまだ、水で飢餓感を紛らわせることができるだけマシなのか。
そうやってがぶがぶ水を飲むわけにもいかないのだけれど。
どっちにしたって、栄養失調か何かで死ぬ。
わずかに一日以内のことだと思うのに、その確信があるのが恐い。
「お腹が空かないんだよなぁ……」
そう、目下それが一番問題だ。
だって、考えてくれよ。
あの後、木の上で何度か昼寝したのに。
少しでもお腹が減ってるのを紛らわせるために、ひたすらに寝たのに。
もしかしたら、もう一日くらいは経過してるかもしれないというのに。
たびたび寝違えたような痛みに襲われたり、木から落下したりして起きたりしたのに。
不思議なくらい、お腹が減ってない。
いや、空腹感自体はうっすら存在してる。
なのに、猛烈に腹減ったという渇望が全くなかった。
「……これ、まずい兆候じゃないのかな?」
ぼうっとした頭でそう考えながら、ぼくは再び水を一口。
人間、限界を超えると何が起きるかわからない。ぼくの場合は、もしかすると空腹が限界を超えてしまって、その感覚が狂ってしまったんじゃないのかと思った。
絶対まずいって、そうだとしたら。
実感が薄いからこそ、逆にぼくは死を意識した。
「何か食べないとなぁ。そうなると」
そういいつつ、ぼくは木を見た。
シナモンとかみたいに、食べられる木である可能性を最初に考えたけれど、残念ながらその気配は全くなかった。というか、黒光りでもしそうな木は、まるで金属のような硬さだった。そりゃ、これの上で寝たら寝違えるよ。軽く殴った手が、今でもひりひりするもん。
「というわけで、リビングデッドのみなさんの死体の前にいるのでした。はぁ……」
正直言って、活動しているリビングデッドたちの姿を見るのは、そこまで忌避感を抱かせはしなかった。
まあ「目がずたずただな~」とか、「一体何があって腕がまるごとミンチになってるんだ?」とかみたいな感想なら抱いたけれど、直視できないというほどの拒否感までは抱かなかったのだ。ただ、それが混乱状態にあったからそうだったんだろうと、ぼくは今結論付けた。
「……うぇ」
正直、近寄りたくもなかった。
腐乱臭のする死体。活動していた時は燃えていたけど、今は全くその気配もない。ただの死体だ。いや、ディーゼルボアに粉砕されているから、ただの死体というより見るも無惨な死体というのが正解だと思うけど。
血とかは既に固まっているのか、服が結構赤黒い。
そのかわり、液体的なものはほとんど滴っていなかった。
ただし、それ以上に断面から覗く内蔵が……。
「うっ」
吐いた。
死体にかからないように、そっぽを向いて吐いた。
口の中がすっぱい。何を食べたわけでもないからだと思うけど、出てきたのはただの液体だけだった。その液体から漂う匂いが、またぼくの喉を焼き、刺激する。
しばらくゲーゲーうなって、水を含んで一回口の中を洗浄した。
「水、何日持つかな」
節約すれば数日は大丈夫だろうと思ってた水の量は、ぼくの見通しの甘さを物語っていた。
半透明の水筒は、軽く叩くといい音が鳴る。
つまり、だいぶ少なくなっていた。
「ま、それはとりあえず置いておいて……」
何故、ぼくはリビングデッドの死体をあさりになんか来ているのか。
別に、リビングデッドの肉を食べようとか、そこまでぶっとんだことを考えちゃいない。……というか、そういうの駄目だ。生理的に駄目だ。イメージしたらまた吐きそうになったから、この考えは一回止めだ。うん。
ともかく、なんであさっているのか。
それはまあ、ちょっとした推測からだ。
「えっと……。あ、あった」
腰から上に薙ぎ払われた下半身(?)のズボンのポケットから、何かの道具をぼくは取り出した。
「やっぱり、知性はあんまりないのかなぁ」
リビングデッドに襲われたときのこと、あとストーンワイズの言葉を思い出して、ぼくは一つ仮説を立てた。
まず、リビングデッドはぼくみたいに、元々は普通に生きていたヒトだということ。……いや、この言い方じゃ意味が分からないか。まあつまり、たぶんもともとは、この地下帝国(?)に居た人じゃなくて、地上に居た人だろうということだ。ぼくはその記憶自体ないのだけれど、間違いなく地下帝国出身者とかじゃないだろう。というか、なぜかそのことには確信がある。それにぼくは、ストーンワイズの言葉を信じれば“墜落者”、というか“落とされし者”ということらしい。ということは、落とされる前は別なところで過ごしていたってことじゃないのかな。
誰が何のためにぼくをこんなところに落としたのかとか、そういうのは今は考えないでおく。無駄にマナを使うから、とりあえず考えない。
そして、ぼくの見てきたリビングデッドに共通する「たいして頭が良くなさそう」という感想を踏まえて、出される結論。
リビングデッドたちは、生前(?)身につけていたものをそのまま持っているんじゃないだろうかということだ。
ぼくは現状、水筒と短刀くらいしか道具がない。
もしディーゼルボアに立ち向かうのだとしたら……、出来るとは思っていないけど、それでも立ち向かうためには、他の道具が必須だ。ともなれば、どうやってそれを手に入れるかという話になる。
結果としてぼくがとった手段がこれ。
死体の遺品あさりという、おおよそ人間がとりうる行動の中でも最低な行為の一つに数えられるものだろう。
今は緊急事態だと自分に言い聞かせていても、気が滅入るのはどうにもできなかった。
綺麗な死体だろうと腐った肉塊だろうと、死体は死体。
見ていて気分がいいものじゃない。
男性女性区別せずまさぐらなきゃならないのに、手に伝わる微妙なぶよぶよ感と臭いが、ぼくの気分をどんどん萎えさせていった。
「……ごめんなさい」
一通り回収し終えて、ぼくは死体たちに頭を下げた。
一応、これは礼儀だ。エスメラ聖書にも確か「己の心に負い目がある時は、あやまるか感謝するか決断するべき」みたいなことが書いてあったような気がする。……うろ覚えなのが残念だけど、そこはまあ仕方ない。記憶を失う前のぼくは、そんなに勤勉じゃなかったんだろう。
「ま、落ち込んでてもはじまらないか」
いいつつ、ぼくは例の木の下でものを並べる。
さて、本日の収穫は?
小さな移植ごて(ショベル)一つ、殻のびん(大)三つ、ぼくでも持てるくらいの重さのハンマー(持ち手が長い)一つに、なんだかよくわからない金色の物体が一つ。
「……」
わかっちゃいたけどさあ。
食料がないだろうとは思っていたけど、これくらいしか僕の持てるものがないっていうのは、なんだか悲しかった。
いや、実は食べ物なかったわけじゃない。一応はあった。骨のついた何かの肉っぽいのが。腐ってるわけじゃないと思うんだけど、それでもぼくは持つことが出来なかった。なにせ、異様にくさかった。リビングデッドたちと同じにおいのするその食料を、ぼくはとても食べる気にはならなかった。
ともかく。以上がバッグにつめ仕込めるぎりぎりの量。
そして丁度、立ち上がったときだった。
「……! え、何、地震?」
突如、地面が揺れだした。
童話だと、地震は“地底の女王”が嘆いているからだとか色々言っていた。でもぼくは今日、それが誤りだったということを初めて知った。忘れていない知識にはないから、たぶんそうなんだろう。
揺れる地面。
一回振動するたびに、ぼくの立っている地面の先に罅が入る。
入ったところから、猛烈な勢いでマグマが吹き上げ――。
「って、冷静に思ってる場合じゃなあああああああああああッ!」
とにかく、ぼくはその場から逃走を図った。
罅がこちらの方にまで来そうな勢いで入っていた、というか徐々にこっちの方にまで亀裂が入り始めていたので、急いでぼくは逃げた。
それで喉が乾くだとか、おなかが更に減るだとかいってる場合じゃなかった。
この場合、優先されるのは今生きられるか。
その瀬戸際において、ぼくは生存を図る。
「でもこれ、絶対殺しに来てるだろってのッ!」
今日何度目になるかわからない悪態をつきながら、ぼくは背後から感じる熱気をぶっちぎることだけを考えるようにした。