一日目:王手
逃げ切りました。
いや、本当のこと言うと微妙に逃げ切れませんでした。
「携帯食……、君の犠牲は無駄にしないよ……」
いや、そもそもそれがなくなると、ぼくの食料もゼロということなんだけど、そのことを少しの間でも忘れようとしてる自分の姿が、そこにあったと思う。
崖沿いの足場は危険ということで、来た道を引き返しながらぼくは走った。
引き返しながら、でもちょっと方向を変えつつ。要するに、より内陸の方に向かって走った。
リビングデッドたちも追いかけてはきたんだけど、ぼくより後方に居た奴等は流石に足が遅いので、追いつくことはできなかった。
問題だったのは、前方にいたリビングデッドたち。
明らかに腕とか、顔の半分とかが欠損しているのとか居たりして、思わずもらしかけたのは内緒。
ぎりぎりで漏らさなかったのは、たぶん気合で押し留まったというより、喉がからっからだったからじゃないかな。身体が、たぶん水不足だったのだ。
「しかも全員、体のどっかしらが燃え盛ってるし……」
暑苦しいこと、この上なかった。
いや、それ以上にグロテスクだったんだけど。
ともかく、そんな死体が十や二十や三十や、一言で言うと数え切れないくらい前方に居た。
どの方向に走っても、生存率は限りなくない状態だった。
歌劇とかに出てくるリビングデッドだと、体が崩れていたりしても理性を残していたり、ヒトに取り憑いたりしていたと思うのだけれど、実際目の前に居た彼らは、マッドゴブリン(凶暴な鬼族型のモンスター)もかくやというほど野蛮極まりなかった。
……ん? 何でそんな知識があるんだろう。
思い出そうとしたけれど、なんとなく頭が痛くなったので止めた。
まあともかく、そんなモンスターじみたリビングデッドたち。
その一団を見た時、ぼくは何故か、咄嗟に携帯食を取り出していた。
食べかけで、歯型のついた、ぱっさぱさで味のないやつ。
棒状のそれを、ちぎって、投げた。
「……思い出すと、何やってたんだって話だよなぁ」
何を思って、ぼくがそんなことをしたのか、ぱっと思い出せない。
たぶんだけど、結構混乱していたんだろう。混乱というなら目覚めてからずっとなんだけど、特にマグマのかたまりと同じか、それ以上の恐怖を感じていたからなぁ……。
でも、その行動は結果的にぼくを救った。
投げた携帯食は、綺麗な半月型を描いて一体のリビングデッドの身体にあたった。こつん、という感じの音はでなかったけど、リビングデッドは足元に落ちたそれを、じっと見つめた。
『GRURURURU……?』
さっきとは、ちょっと違った唸り声。
気のせいでなければ、それは自分にぶつかったものを吟味している声だったと思う。
そのリビングデッドが足を止めたと同時に、周囲のリビングデッドもそれにならって、携帯食の欠片を眺めた。
全部のリビングデッドが、というわけじゃなかったけど、一部が全く動かなくなったことに変わりはない。
やがて、その落ちたやつを一体が拾い上げ、口に放り込んだ。
顎が半分くらいなかった奴なんだけど、器用に飲み込んだらしい。
『GRURURURUR!』
『GURURU……!』
『GUEUEUEUEUEUEU!』
その一体の行動に、周囲のリビングデッドがざわついた。
そして数秒後には、その一体が私刑にかけられた。
なんだかこう、それは野蛮は野蛮なんだけど辛うじて知性を感じさせる行動だった。どうやら、全くただのモンスターというわけでもないらしかった。
「……でも、それって一番面倒な奴なんじゃないかな」
ほとんどヒトを襲うことしか考えていないモンスター。それであっても、多少の思考能力を持っている。それってつまり、罠とかがあったら対応してきたり、解除方法とか見分け方とかを考え付いたりして、戦いにくいということだろう。
「まあ、戦えるなんて思い上がっちゃいないけど……」
逃げるだけでぜーはーぜーはーなぼくだ。
そんなことしたら、絶対死ぬ。
八つ裂きにされちゃう。
日の目を見るより明らかだった。
で、まあそうやって「携帯食を投げれば足止めくらい出来る」とわかったぼくは、逃げる方向に居るリビングデッドたち目掛けて、同じように携帯食を千切って投げるという行動を繰り返した。
驚いたことに、真横を通過しているぼくのことより、目の前に落ちた食べ物の方に意識がいっているらしかった。
知性はあっても、頭は悪いのかな?
まあお陰で、ほとんど逃げ切ることが出来たには出来た。
……そう、ほとんどは。
「何とかならないかな~……」
足元、その下を眺めてみた。
真っ黒でものすんごく硬い木。現在ぼくが乗っている木だ。
その下に、六、七くらいのリビングデッドが集って、『GRURURUR……』って唸っていた。
「数変わってないし」
増えてはいないみたいだけど、リビングデッドは下からこちらを見上げていた。
まあ、早い話。
携帯食の在庫切れです。
ちぎるものがなくなってしまったというわけです。
それでも何故逃げられたのかと言えば……、逃げ切れてはいないんだけど、喰われないで逃走することくらい出来たのかと言えば、
「あーっ!」
『GRU!?』
頭が悪いかもしれない、という仮説をもとに、適当な方向に指差して叫んでみたのが成功したってこと。
結果的に、そりゃもう上手くはまってくれましたとも。指差した方向を見て、しばらくそっちをきょろきょろ見回しているのは、ぼくを襲おうとしている相手であるにもかかわらず、ちょっと可愛く思えたくらいだ。入れ食い(?)って、こういうことを言うんじゃないのかな。
その方法を駆使して、四回くらい避けに避けたのがついさっき。
でも追撃を振り切れそうなところで、ぼくの体力切れの方が早かった。
それでもその場で足をついていたら、もう彼らの朝ごはん(?)になるのは確定だったので、やっぱり無理やり走った。
そして、木を見つけて上る。
妙につるつるとした木だったけど、溝にナイフを突き刺したり足を突っ込んだりして、全力で上った。というか、何故か上れた。二回くらい失敗してお尻とか痛いんだけど、それでも上れたことに変わりはない。
「というわけで、めでたく膠着状態となりました、とさ」
自分で呟いて、ため息が出た。
我ながらものすごく、落ち込んだため息だった。
「……まあ、上って来たりされないだけマシなのかな?」
ぼくの身の丈の二倍くらいの高さの位置の枝まで登ったのだけれど、下に居る彼らはそういった行為をすることがないようだ。
いや、というか出来ないのかな?
高いからちょっと見え難いけど、彼らのうち、指の本数が揃っていないのとか、骨っぽくなっているのとかも居たりした。もしかすると死体だから、木の幹とかを強く握れなかったりするのかもしれない。
「でも、篭城するにも分が悪いんだよなぁ」
手元の水筒から一口だけ飲み込んで、思わずぼくはつぶやいた。
食料なし。手元にあるのは節約して飲んでも一日で切れそうな水と、多少綺麗になったナイフ。
これで、どうやって生き延びれと? まだしも新米冒険者の方が、良い装備をしてる。
「良くて脱水死、悪くて餓死か、木から落ちて殺されるか……」
いや、どれも良くないけど。
良くねぇですけども。
死んじゃってるし。
生き残る術はないんですかと。
自分で自分に問いかけ続けても、結局下からリビングデッドが消えることもない。
「……やっぱり、ぼく死んじゃうんじゃないかな?」
逆王手を掛けられたぼくは、ほとほと参るしかなく、引きつった笑いが顔にはりついたままだった。