イレギュラー
「そうだ、エミリオ君、君は退化してしまったんだよ。この男にアンチDナノマシンを体内に打ち込まれてね」
退化。確かにそうなのかもしれない。無駄な争いを続けて来た人間が到達し、自己進化した結果が今の人間なら、僕はその退化した人間という事になる。自由と選択を求めるが故に、お互いを滅ぼし合った人間に。
「そこの裏切り者のイレイザーも、D因子を消し去り、ノエルの完全平和を乱す要因と化した。強力すぎる力と意志は、この世界にあってはならない。君たちは何も知る必要も無い、知ってしまえばこの世界の均衡が一気に崩れてしまうのだから。」
ガンマの目的である、ノエルからの解放。自由と選択を取り戻す人間は、この世界の歪みを知った僕は確かに今の世界には平和を乱し、争いと欲望の世界を作り出す反乱分子なんだろう。正にイレギュラーだ。だからといって、人の意志を歪めてまで平和を維持する必要があるのか。何が正しいのか、僕には解らなかった。
「しかし、D因子は一度効果を弱めると抗体が出来て再び投与、活性化させる事ができない。だから残念だよエミリオ君、君の様な優秀な人間を消去しなければならないのだ」
哀しみの表情、だが目には充分な殺意を籠もらせた男に、僕の体は硬直した。この世界の平和の為に命を失う。仕方ないのか?それが今の世界の流れというなら、受け入れるしかないのか?
だけど、死にたくないという意志すらも、ノエルは消してしまうのか?
「退化、退化と五月蝿せぇな」
背中越しにガンマの凄ざまじい気迫を感じた。その一言で僕の意識が現実に向いた瞬間、何かが落下してきたかの様な轟音を響かせ、ガンマの腕から大量の蒸気が吹き出した。
「目くらましのつもりか?無駄な小細工をする。旧世代のイレイザーが、私から逃げ切れると思っているのか?」
蒸気から目を背ける事もなく、不敵の態度をとる男。ガンマの体液が蒸発し、発生した蒸発は、鉄分の臭いを漂わしながらトンネル内部を満たしていく。僕には近くにいるはずのガンマすら認識できない。
男の目標が僕ならば、ガンマよりも僕を優先的に襲うはずだ。
何処からどのタイミングで襲われるのか解らない。極限の精神状態になった僕は、動かない体を必死に這いずらせていた。
「死にたくない!こんな事で死んでたまるか!!」
人間の生の本能。生きる意志で僕の脳を支配し、神経を通じて全身に指令を下す。なんとか壁際らしき所まで辿り着いた僕は、壁に背を密着させた。五感を研ぎ澄まし、2人の気配を探る。今の僕には微妙な気温の変化すら肌で感じる事が出来るだろう。
そして、まず始めに僕が感じ取れたのは聴覚だった。何かがぶつかり合う衝撃音が蒸気の中から聞こえてくる。2人が戦闘を始めた様だった。そして僕は次の瞬間に目を疑う事になる。
衝撃が空間を真空にし、蒸気が円形に弾け飛び、2人の攻防の凄さを現していた。飛び散った蒸気は気流に流され、あっという間に2人の姿をさらけ出した。
「ほう、逃げなかったのか?度胸がある。それとも命知らずか」
「誰が逃げるか。エミリオを護って、お前はここで俺が消去するんだよ」
ガンマはミシミシと音を上げて、黒い右腕の動きを確かめる。イレギュラーを消去する為に存在していたはずのガンマが何故この世界を否定し、僕をD因子から解放したのか。そして運命を歪めた張本人が僕を護ると言った。解消されない不安を抱きながらも、今の僕にはもうこの男に命を託すしかないと悟った。
「では改めて、世界平和の恒久的な維持の為に、君達2人をノエルエデンの意志であるイレイザースザクが消去する」
「立派な名前つけてもらってんなぁ。死ぬ前にノエルエデンに言っとけよ。人間なめんなってな!」
空気を裂く様に同時に飛び出した2人は、一瞬で距離を詰めた。人間を超えた人間の、異常な殺し合いが始まった。