イレイザー
非常灯の光の奥から、何者かがゆっくりと近づいてくる。
筋肉が弱体し、思うように立ち上がれない僕は、腕の力で体を這いずり後退していた。
「まさかこのトンネルを探し当てるとは思わなかったぜ。あんたのトコは鼻が効くヤツがいるみたいだな」
完全に肩から指先まで黒一色になった右腕から蒸気を放つガンマは、ゆっくりと腕を回しながらガンマは人影に近づいていく。恐らく僕を巻き込まない様に距離を取ったのだろうか。背中から伝わってくる強烈な殺気に僕の足は震え出した。そして非常灯の光が、ついに人影の本体を照らした。
「貴様達の行動など、D因子のリンクが無くても把握するのは容易、という事だ」
肌の白く、氷のような冷たい表情と声。白のダブルスーツを纏い、ゆっくりと姿を現した男。病院で襲われた、黒いスーツの男達とは違う雰囲気はただ者では無い事を安易に想定させた。
「ノエルエデンも状況に気づきやがったか」
「問題視していなかっただけである。ノエルエデンは全知の存在、そして全能。お前達が何をしようと、この世界は変わらないのだ」
お互い進む足を止めず、ゆっくりと距離が縮まっていく。黒い右腕に力を込め、軋む音を響かせるガンマ。そして、その距離は手を伸ばせば届く程の近距離まで接近した。
「うぅおおっ!!」
閃光の如く、黒い右の裏拳を繰り出しす。左こめかみをカスり、紙一重で右下に体を沈めた男にガンマの左中段蹴りが顔面を捉えた。ミシッという何かの音がトンネルを反響させる。強烈な蹴りを直撃した顔面を中心に男は前から宙を舞った。
一瞬で決まった!と思った。だがガンマの表情は変わらず、男を睨みつけていた。スーツの男達との戦闘とは違う。ガンマの顔に油断や余裕は無かった。
前周り受け身で体を翻した男は、反動を利用してガンマに向かって飛び込んだ。人間の動きではない、と目を疑った。まだニュートラルにすら戻っていないガンマの顔面に男の拳がめり込んだ。
お互いの攻撃の反動で、お互いの距離が再び開いた。僕は息をする事すら忘れて、この攻防に釘付けになっていた。
「ふむ。悪くない反応をする。さすがという事か。旧世代の裏切り者だと少々見くびったよ」
先程の攻防で、2人の顔に傷一つない。通常の人間なら、即死か半身不随だ。鍛えられた体、では説明がつかない。裏切り者と呼ばれたガンマ。僕の疑念はついに確信に変わった。
「遺伝子操作で肉体を強化された人間…」
思わず口走った僕の確信を聞いて、男は何回も頷きながら、手を叩いた。
「その通り。我々は*イレイザー*という」
仮説とおとぎ話の類だと思っていた。遺伝子の分子を解析し、身体能力を特化させた人間。差別や格差を生む恐れがある、として研究はされていないはずである。だが人体やナイフをも破壊するガンマの黒い腕、鋼の様な強靭な肉体、今までこれだけの異常を見せつけられては、もうそれぐらいでしか説明できなかった。
「さすが、遺伝子研究者の卵。見抜くのが早い。ノエルエデンが認めた才能の持ち主である。」
この世界にあまりにも矛盾した存在。もはや現実の受け入れが困難になっていた僕は、大きな怒鳴る事しかできなかった。
「なんであんた達みたいな奴らが存在してるんだよ!!」
僕の質問に、ガンマは出会ってから始めて、僕から顔を逸らした。何かの理由がある、とでも言うのか。そして男はすんなりと結論を説いた。
「答えは簡単だ。恒久的な平和維持の為。君の様なイレギュラーを消去する為である。故にイレイザー(消去者)」
(イレギュラー?)
病院での襲撃もイレギュラーである僕が原因という事か。何時から僕がイレギュラーとして認識されたのか。もはや答えは決まっていた。
「あの時の薬…まさかそれが、僕をイレギュラーにしたのか!」
僕はガンマの背中を、突き殺す様に睨み付けた。僕からはガンマの表情は確認できない。ガンマと相対していた男は、僕の形相を見て無気味に笑っていた。ひたすら手を叩く音がトンネル内部に反響する。
手を叩くリズムがドクドクと頭の中で脈打っている血流の動きと同化していた。