序章 コドクの世界――死闘、転生。
この作品で扱われる転生の意味は二つあります。
一つは一般的に使われる新たに生まれ変わると言う転生。
もう一つは、オリジナルの別の世界に“転移して生きる”と言う転生です。
序章の転生は二つ目を指します。
【序章 コドクの世界――――死闘、転生。】
○――――魔王城――――○
玉座の間と呼ばれる場所には、ドワーフ族の技術の結晶である血のように染められた黒の椅子が鎮座していた。
椅子は凝った装飾の無いシンプルなデザイン。しかし、魔王と呼ばれる魔の頂点に君臨する王の座る厳格さが溢れ出ている。
普段ならそこに踏ん反り返って魔王――ベルナードが座っているはずだ。だが、そこに王の姿は無い。
なぜなら、
「ハッ!!」
「温いわッ!!」
椅子が置かれた玉座の下の広間で、遥々魔王討伐に来た勇者と剣を交えていたからだった。
白騎士――そう呼ぶに値する純白の騎士鎧に身を包んだ人物が聖剣と呼ばれし長剣を用いて、凄まじい速度の剣技を幾度も放つ。
それを黒き覇王鎧に身を飾ったベルナードは足を捌いて軽々と避ける。そして指南をするように隙を狙い、確かな重みと威力のある一撃を返す。
白き人物――勇者ヴィクトリアはその細見の体を捻り、紙一重でそれを避ける。女性の細見に加え、自己鍛錬により鍛え上げられた彼女のボディと精神は今日のために最高のコンディションを掴み取っていた。
対して魔王ベルナードは大型処刑剣に似た魔剣を軽々と振り回しているが、そのイメージとは裏腹にそこらの青年と間違えるような身長、巨漢のような体躯ではない。彼には「まだ変身が三回残っている」と言うアドバンテージは無く、その姿こそが彼の本当の姿なのだ。
「ハッハッハッハ!! 当たらん、当たらぬなぁ!!」
「聖剣の輝きを知れッ!!」
狂気! 狂喜! と言った様子で高らかに笑うベルナードの幾度目か分からぬ挑発に、ヴィクトリアは聖剣≪ヴァルキュリス≫の真名を解放し衝撃斬を放つ。
それを魔剣≪ダインスレイヴァー≫の赤熱した剣身を持って死神が魂を狩るかのように斬り捨てる。
ヴィクトリアは悉≪ことごと≫く自らの結晶とも呼べる剣技らを、否定に似た圧倒的な実力により潰されていくのに歯噛みした。同時に魔王と呼ばれる男との実力の差を身を持って噛み締めていた。
光妖精の加護を得ているとはいえ、か弱い十七の少女である彼女と歴代の勇者を討ち滅ぼしてきた元祖魔王ベルナードの実力差は、当然のものと言える。何せ、経験の年数が二桁違うのだ。
敵うわけが無い無謀な戦いに身を寄せる少女は、ただただ自らの胸の奥から湧いてくる誇りと信念により恐怖を打ち消している。
恐怖が無いわけではない。彼女とて人の子。魔王城へのつり橋を渡る決意をするために、一日潰すほど彼女は弱い存在である。
しかし、彼女には守るべき人、国、世界がある。それらが彼女の折れそうなメンタルを奮い立たせ、戦場へ向かう力の糧となっているのだ。
その精神を何度も打ち払い、理解している魔王たるベルナードは、「惜しい」と思う。
歴代勇者の中で唯一の女性、そして己の剣を全て避け切り尚カウンターをフェイクを混ぜて放ってくる剣技の技量。
・・・・・・・
そして、絶対的な力を見せつけていると言うのに折れぬ芯の強さ。
感銘を受け、感動を覚える度に「惜しい」と思う。
好敵手として、唯一の理解者として、このまま時間の限り……世界が終わってしまうまで戦い、傷つけ合い、理解し合いたいと思うほどに。
「……つまらぬ、な」
「――ッ!」
魔王のその哀れみに似た感情を乗せた低い声に、ヴィクトリアは覚悟を決めた。
そう、死の覚悟を。
すぐさま、彼女はバックステップで距離を取り、聖剣≪ヴァルキュリス≫に全ての力を込める。
光妖精の加護も、
周囲を取り巻く聖者の加護も、
そして彼女の信念とも呼べる熱き魂の咆哮すらも込めようとする。
彼女の意図を察したベルナードは、仁王立ちしたままだった。
「聖剣よ……私の全てを纏え――――歌え、聖域の戦女神よ!!」
聖剣≪ヴァルキュリス≫の輝きが増していく。それを淡々とした様子でベルナードは見る。彼女の最後を、見届けるために。
「聖剣に自らの生命力も束ねるか……。貴様らは本当に意味が分からぬ無茶をする」
「……そうか。ならば、魔王よ。我が最期の一太刀を受けてみよっ!!」
少女は、自殺に似たその行動を後悔していない。だが、恐怖が心を満たす。しかしそれを必死に『勇者』と言う肩書きで押し固める。
その一矢を報いるその一撃を難なく避け問答無用に切り捨てる――のが、ベルナードのこれまでやってきた勇者の最期への弔い。
正直、魔王……いや、ベルナードは飽きていた。
その 一方的な塵殺し≪ワンサイドオーバーキル≫ に、だ。
「……その展開はもう飽きた」
興冷めだ、とベルナードは魔剣を背の鞘に仕舞い入れた。
「は?」
ヴィクトリアは最後の手順――己の生命力を纏わせること――の段階に入る前に集中力を絶ってしまった。
「しまっ――」
当たり前のように聖剣の輝きは失せ、彼女の体に倦怠感のような気怠さが襲う。一番神経を使う儀式技術であったためにその反動はでかい。しかし、決して膝を地につけることなくヴィクトリアはキッと怨敵を睨む。だが、ベルナードはつかつかと玉座へ戻り、椅子にどかっと座ってしまう。
「……貴様ら勇者と言うのは自殺志願者の集まりなのか? オレの目の前で自殺特攻するのがお約束か? 三桁を超えればさすがに飽きるぞ」
「なっ!? ゆ、勇者を愚弄するか! 魔王!」
「はぁ……。つまらぬ、つまらんぞ。なぜ、命を削り落ちるまで己の剣技をオレとの剣戟に費やさんのだ。些か呆れてくるぞ」
「…………な」
「む? 聞こえんぞ、勇者よ」
ぷるぷると肩を震わせたヴィクトリアは――ガチャンと心の中で何かが落ちた音を聞いてから――叫んだ。
「無茶を言うなぁあぁあぁあああっ!!
お前が村にばんばん魔物を送ってくるから勇者候補もどんどん死に絶えるんだぞ!?
私が最後の勇者だぞ!?
いつ死ぬかっていう瀬戸際で愛の営みに走れる奴が居ると思うなよッ!?
だいたい、お前が――」
そこまで言って、ヴィクトリアはふとベルナードが口を押えて悶えているのを見てしまった。ボッとドラゴンの猛火のように顔に赤みがかかる。
「アッハッハッハッハッ!!!」
「わ、笑うなっ!!」
「っくく、くくく、クハハハハハハッ!!!
愉快、愉快だ……。
貴様が初めてだ。魔王たるオレに正直な本音をぶつけたのは!
毎回毎回、魔王覚悟! と言われて呆気なく死んでいく間抜け共と死合うのは興冷めでな!
貴様のように気高く、芯の強い勇者は居なかった!
だからこそ、惜しい。オレは貴様を殺さねばならぬ。魔王としてな。
だが、ベルナードとしては別だ。貴様を嫁に貰いたいほど愛焦がれているぞ」
「な……!? ば、ばばば馬鹿なことを言うな魔王! わ、私をお嫁さんにするだと!?
フリフリの純白のドレスを着て教会で、
……手を握って、
……ち、誓いのキ、キスをして……
……永遠の愛を誓い合いたいと言うのか!?」
「うむ、その通りだ。何とも乙女チックな勇者だのぅ、おぬし。おぬしほど可愛らしい勇者を見たことが無いぞ」
怨敵であるはずの魔王の言葉、そして屈託の無い笑みにヴィクトリアは絶句しながらも不思議な感情を得ていた。
「(奴は怨敵……。魔物を放ち、村の人達を殺した張本人だぞ!
なのに……、なのに!!)」
ヴィクトリアは、ぺたんと両腿を合わせて座り込む。
俯いているので表情は分からないが、戦女神の兜から見える耳は真っ赤に染まっていた。
「(何なんだこの熱い感情は……。この温かい感情は!
奴と話していると自分が分からなくなる……、求めて……いるのか? 奴を?)」
玉座で心配そうにこちらを見やるベルナードを見て――――ヴィクトリアは取り敢えず考えるのを止めた。このままでは自分を見失ってしまう。
村に、世界に、誓った自分の決意が砂の塊のように崩れ落ちてしまいそうになる。
そんな感覚に支配されたヴィクトリアは一度息を吐き出す。自分の中の迷いを、感情を、内側から吐き出すように。
頬の赤いヴィクトリアを見てベルナードは「ふむ」と口から感情の一端を漏らした。
足を組みなおし、玉座の肘かけに腕を乗せた。
「……勇者よ、誇り高き勇者よ。おぬしはこの世界の在り方を知っているか?
この世界の全てを、真実を」
「……しん……じつ?」
「そうだ、おぬしになら教えてやろう。どうせ、この世界は永遠に朽ちぬ。
このオレが居る限りな」
ベルナードは右腕ぎゅっと握りしめて突き出す、するとヴィクトリアの前に綺麗な椅子が地面より生成された。そこに座れ、と言うことだろう。ヴィクトリアは気怠さのある体に鞭打ち、そこへ座った。ふんわりとしたクッションが柔らかく彼女を包んだ。
「まず、自己紹介をしておこうか。オレの名はベルナード。
コドクの魔王、そして最初の"勇者"だ」
「なっ!? 勇者だと!? 魔王のお前が!?」
「うむ。オレも元は人間だった。
今の世はもう衰えた文明だが……、オレが人であった頃は王国が全てを統括し、魔王と言う絶対的悪の存在に人々は恐れていた。
そして王は魔王討伐に向かう"勇敢な者"……そう、勇者を募った。
数ある歴戦の戦士たちは挙ってそれに参加し、王国を出た。魔王を討伐するために。
オレもまた、その一人だった。死刑人を殺すだけの人生を送っていた処刑人のオレをあいつ……ブレイヴはパーティに誘ったんだ。
そして、光精霊の加護を得ていたブレイヴはオレとペアを組み、魔王討伐の旅へ出た。
人を断罪するオレは光精霊は懐かれなかったな。むしろ、闇精霊が懐いて大変だった。
精霊に信頼されるまで不幸体質になり、戦場で死にかけた時は本当に焦った」
そうベルナードは懐かしそうに遠目で虚空を見据えた。楽しそうに、尚且つ寂しそうに語る彼を彼女は一度たりとも見逃すことはしなかった。
勇者である前に、人の、少女であるヴィクトリアには……
怨敵であるはずの魔王――ベルナードが憎めなくなってきた。
「そして、たくさんの人々に出会い、様々な難関を二人で乗り越えた。
最終目的地……そう、この城に辿り着いた」
外見は古城、中身は廃墟。そんな魔王城の道を通って来たヴィクトリアは自分の記憶を脳内に映し出す。
「今は朽ちているが、昔はこの城も立派なものだった。
姫がにこやかにバルコニーから群衆に手を振るような煌びやかな城だった。
初めてこの城の荘厳さを目の当たりにした時は二人で目を奪われたものだ。魔王が住むと言う城はこんなにも美しいのか、とな。
だが、内部は城の美しさと裏腹に過酷な場所だった。
幾万の魔物らと血で剣を洗う壮絶な戦いを繰り広げ、オレらはここ――
玉座の間へ、たどり着いた」
ドンッ!! と足を踏み鳴らし、ベルナードはこの場を指した。玉座の床は陥没することも、傷つくこもせずにその地鳴りを生むかのような威力のベルナードの脚を受け止めた。代わりに真剣に聞き入っていたヴィクトリアがその音にびっくりして背中を跳ねらせた。
「び、びっくりした」とヴィクトリアはパニック状態に陥るが、それを知らんと言った様子でベルナードは続ける。
「……この玉座には誰も座っていなかった」
「は? お前のように魔王が、居るはずではないのか?」
冗談だろうと言った様子でヴィクトリアは尋ねた。
「うむ。オレらもそう考えていた。
恐れられていた魔王と言う存在が実は居なかった、なんて考えれるはずが無かった。
有り得ない、有り得るはずが無い。
そう呟きながら魔物の死体で埋め尽くされた道と言う道を探し、部屋を探し、オレらはここに戻った。
結局魔王は見つからなかった。諦めて観光気分でオレはこの玉座に座った。
……座っちまったんだよなぁ」
頭を押さえてベルナードは後悔の色が籠る溜息を漏らした。
「その瞬間、オレの頭の中にとんでもない量の情報が流れ込んだ。
魔物の正体、魔の意味、勇者と魔王の存在理由。
そして、世界の 法則≪ルール≫を、知った。知って、しまったのだ。
この世界には二人の役者しか必要が無かった。
だから、魔物は増えすぎた不要な人を狩るシステムとして存在していた。
考えてもみろ。玉座に魔王は居なかったのだ。なら、魔物はどうして人に向かった?」
「あ……」
「そう、ただの本能だ、システムだ!
神が作り出した玩具箱のようなこの世界に作られた配役だ。
……オレはここに座ったことで、魔王と言う存在に成った。いや、改変されたと言うべきか。
人として生きてきた歴史を消され、魔族の一端として生まれた設定に書き換えられた。
……ブレイヴはオレの友人であり、最初の犠牲者となってしまった。
この魔剣≪ダインスレイヴァー≫も後付の設定として呼び出すことができるようになった代物だ。狂気を促す呪いの剣。オレは知らずのうちにこれを振るった。今では何も知らずに一瞬であの世に逝けたあいつが羨ましいと思える。
全てを知ったせいで、オレはこの玉座の間から外を出ることが出来なくなったのだからな」
まるで籠の鳥だ、とベルナードは自嘲めいた笑みを浮かべる。足を再び組み換え、ベルナードはヴィクトリアを見据える。
「……さて、本題だ。オレはもうこの茶番に飽きてきた。
偽りの魔王と勇者の物語を潰してしまい、新たな世界を見てみたいと思う。
我が横に寄り添い、世界の在り方を変えないか?」
「…………在り方とはなんだ」
「……そうだな。勇者よ、おぬしは何のためにここに来た。
敵討ちか?
正義感か?
自らの力を示しにか?
魔物を殺し、魔王を殺して悦に浸りたかったからか?」
「ち、違う! 私はただ、ただ……皆の剣と成りたかっただけだ!
苦しむ人が居ない世を、皆が笑って過ごせる世を阻む魔王を討つために!!
私はここに居るッ!!」
「……よろしい。だからこそ、伝えてやる必要がある。
おぬしが呼ぶ人とは……人形のことを言うのか?」
「は? に、人形だと? そんなもの……十五、いや十歳には卒業している!」
声を荒げてヴィクトリアは言った。見当違いの答えにベルナードは首を少し傾げる。
「いや、そう言う意味では無いのだが……。
神の意思により統一された自らの意思の無い者たちを言っているのだ。
不思議に思わなかったか?
おぬしは先ほど愛の営みと言っていたが、それは何年も前からも言えることだ。
オレが魔物を操っていないと言う事実を知れば自ずと見えてくるだろう?
この世界のからくりに、その在り方に。
では、問おう。なぜ、おぬしがここに居るのだ? それも、“たった一人の勇者”として」
「ま、まさか……。一人まで削るために魔物は村を……?」
「そのまさかだ。神により生きることを示された者達は愛の営みにより、子を作る。
成長の中で勇者と言う肩書きを背負う価値のある子のみを残し、他の者は次に生きるための親となる。
次の世代を作るために勇者候補以外の者らは生き残り、一人を残して勇者候補は魔物により殺される。
そう、魔王と言う普遍的な存在に挑ませるためにだ。
間引く割りに選別をしないあたり、神と言うのはいい加減な存在なのだろうな。
魔王に最強の座を与え、この勇者を殺させることで世界が続く。
恐らく、裏を返せば魔王を殺せばこの世界は終わりを迎えると言うことだ。
これが、オレが知った情報を元にまとめ上げた持論だ。むしろ、これ以外に思いつかぬ。
おぬし以外の勇者は皆、聖剣に命を捨てて話し合う間も無く死に絶えて逝った。
さて、おぬしはどうする?」
ベルナードは期待に似た眼差しをヴィクトリアに向けたが、瞳を閉じてそれを止めた。催促しているように感じられては困るからだ。自分の意思で、確固たる己の意思でこの世界に決別をしてもらわないと意味が無いからだ。
ヴィクトリアはガラガラと自分の中の勇者の在り方が崩れていく音を聞いた。
ベルナードのそれが真であるのなら、自分は何のために生きていたのか。
スライムから始まり、ドラゴンを討つことができるレベルまで苦労してきた今までの時間は何だったのだろうと考えてしまう。
「……心の奥が空っぽになった。
お前のそれが私を騙すための戯言であれば、憤りを感じれることだろうな。
しかし、真のことなんだろう?」
ヴィクトリアの質問に頷くことでベルナードは応えた。未だに瞳は閉じたままだ。
「……魔王、いやベルナード。どうすればこの負の連鎖を終えることができる。
どうすれば――」
――――私達は救われるのか?
そう続けようとした言葉をベルナードが瞳を開き、言葉で遮る。
「言わなくて良い。それを言ってくれるな勇者よ。
おぬしは例え神の人形とはいえ仲間を失ってきたはずだ。それを無駄にしてはならない。
ここまで至った死を、無駄にしてはいけないのだ。方法ならある。再度問うぞ、勇者よ」
「……勇者ではない、ヴィクトリアだ。
ハウン村のレイ家の娘、ヴィクトリア・レイだ!」
「そうか! ならばヴィクトリアよ、おぬしに問う!
我が横に寄り添い、世界の在り方を変えないか?」
「……ああ。そうすることで、救いが、希望があるのなら!」
ベルナードはその力強い答えに応え、椅子から立ち上がり、ヴィクトリアの前に立った。凛々しく座るヴィクトリアの唇を――奪った。ついばむようなフレンチキスでなく、長い濃密なディープキス。その突然のキスにヴィクトリアは驚いたが、徐々に身を、心を委ねた。
「……すまんな」
唇を離した際にベルナードがふっととある魔力を込めた息を吹きかける。
ヴィクトリアの瞳から生気が抜け、ふわりと眠りに落ちる。
前のめりに倒れかかるヴィクトリアを背もたれに預けさせると、ベルナードはこの長年準備していた鉄でできたカードに魔力の圧力で字を書きいれた。そのカードをヴィクトリアの騎士鎧のポケットにねじ込む。
「うむ、これでよい。……して」
彼は彼女を起こさないようにその戦女神の兜を取り外した。
ぱさり、と金髪の長髪が純白の騎士鎧に垂れ下がる。彼はその美しい髪を撫でてから、前髪を左右に払った。兜により見えなかったヴィクトリアの凛とした可愛らしい顔が現れる。頬に優しく触れた後、彼は満足したのかくるりと踵を返して玉座を見据えた。
あの場所で、親友を討った時のことを胸に噛み締めながら、腰の鞘から魔剣≪ダインスレイヴァー≫を引き抜いた。
口でガントレットの役目をしていた右手の部分の中指を噛み、引っ張る。するりと中から褐色の肌が現れた。
そして、自らの手首に魔剣≪ダインスレイヴァー≫の刃を当て、引いた。
ブシャァッ! と深く入れられた傷から夥≪おびただ≫しい量の赤い血が地へ流れていく。
ヴィクトリアが居れば慌てて止めただろう。
だからこそ、彼はヴィクトリアの意識を眠りへ誘ったのだ。
「まだ足りぬ」と彼は再び治りかけた傷口に刃を引く。
再び流れ出た血はまるで蛇のようにうねりながら溜まった血に混ざって魔法陣を作り上げていく。
何度も彼が手首を痛めた後に、ようやく魔法陣は完成した。
円状の魔法陣を基礎に、ウロボロス状の輪廻転生術式に加え記憶の劣化を防ぐマテリアルの加護の術式を混ぜたその魔法陣の大きさは半径約二メートル。これほど巨大な陣を描くのにかかる血の量は相当なものだろう。
しかし、彼はすでに人間を止めさせられている身だ。
故に無くなればそれを補うために体が勝手に作り出していくので、命の心配はせずとも良い。……だが痛みはあるため、彼の右手首はすでに傷は無いけれどもジンジンとした痛みの余韻が残っている。
ベルナードは無言でヴィクトリアの髪を束ね、兜を被らせ、お姫様抱っこと言う形で抱え上げた。魔法陣の真ん中にぽっかり空いた間にどかっと座り込み、口を開いた。
「悪戯好きな神よ、今しばらくの別れを楽しむがよい。
あやつが呼ぶのだ。俺は先に行っているぞ、とな。
導きの陣よ、起きよ。右に八、左に三、前に六、後ろに六!
天秤の量りし加護の下、我らを誘いたまえ。
彼の地、ヴァルハラへと!」
魔法陣は赤く染まり、彼らの周りを凄まじいスピードで回転し始めた。
直後、二人は黄金の柱により見えなくなり、その輝きが消え失せた広間には誰も居なくなっていた。
魔王と勇者が消えたその世界は、未だに回り続ける。空回りし続ける歯車のように。
不定期で更新していこうと思います。
アドバイス、指摘、感想などお待ちしております。